10話
「……ふう」
真菜は額に浮かんだ汗を袖で拭った。
木々の間隔が広い林の中なので、木陰に入れは涼しいが、煌々と照り付ける日差しの真下では汗もかくというものだ。
冒険者としては、無難に仕事をこなしていると言えるだろうか。
目の前に生えるポーションの元になる薬草を摘みながら、真菜はそう考える。
「これで必要数は集め終えたかな」
革袋の中身を確認する。
アルヘラから授かったマジックバッグとは別に、採取対象を収めるために購入したものだ。
本当は不要なのだが、なんとなくマジックバッグの中に入れたくなかった。そこまで高いものではなかったので購入に踏み切った。
マジックバッグの仕様を確認すると、内部は特殊な空間になっており、例えば液体を放り込んでも中で他の収納品と触れ合うことはないのは分かっている。
詳しい原理も一から閲覧することはできるが、魔法のことに詳しくない真菜にはチンプンカンプンで数秒で止めてしまった。
ともあれ、薬草の形はもうすでに覚えた。よほど似た草でない限り、間違えることはないと自信を持って言える。
冒険者登録を済ませて数日。
真菜はこの日のようにして毎日を過ごしていた。
朝冒険者ギルドに赴き、依頼を確認。ランク的にも実際にこなせるのは常設依頼のみだが、どんな依頼があるのかを見るだけでも楽しいので朝一で向かうことにしている。
何が貼りだされているか、日々変化が見て取れる依頼を眺めてひとしきり楽しんだら、様々な薬の材料となる薬草数種類を主なターゲットに採取に向かう。
「えーっと、ヒール草二十株、毒消し草十株、マルユ草五株……うん、どれもあるね」
それぞれポーション、アンチドーテを調合するための素材、そしてマルユ草は他様々な薬の中間剤として使われる草だ。
こうした採取の依頼をメインに、時に街中の依頼というなの雑用をこなして、「依頼を遂行する」感覚を掴もうとしたのだ。
お金はあるのでだらけるかと思ったが、そんな気持ちにならなかったのも大きい。
こちらの世界ではネットを始めとした電子機器自体がないので真菜が慣れ親しんだ娯楽がない。
故に何をして過ごすか、という観点で行くと依頼をこなすのが一番良かった。
日本どころか地球ですらない世界を自分の足で歩いて回れる。しかも街中だけではなく、危険がある街の外までも。
まるで観光をしているような気持ちも味わえる依頼と言う仕事をしないという選択肢はなかった。
しかも、観光ならば払うはずのお金が、依頼は仕事なので逆に収入まであるのだから、やらない理由が無かった。
何より、これまで抑圧され続けてきた生活から解放されたからか、これまで休日でも平日でも外に出るのが億劫だったのが、それも無くなったのも大きい。
「ま、こうして外を歩けるのは、力を得られたおかげだけど」
ガサリと草むらが動き、真菜を狙ったものが躍り出た。
索敵魔法には引っ掛かっていたので、真菜は転がって飛びかかってきたものをかわした。
立ち上がりながら向き直る。
出てきたのはツリーウルフだった。林や森を棲息域とする種だ。ちなみに、草原に棲息するのはグラスウルフである。それぞれの特徴は、ツリーウルフは木々を足場にした三次元起動が得意で、グラスウルフは最高速度がツリーウルフを上回る。体毛の色の違いのみで見た目は似ているが、特性は棲息する環境によって違うのだ。
なお、ゴブリンとは違い、魔物でなく動物である。
動物だから魔物に劣るかといえばそんなことはなく、ゴブリンと比較してどちらが脅威かといえば間違いなくツリーウルフの方だ。ゴブリンには多少の知恵と、小柄ながら成人男性を多少上回る力がある。しかしツリーウルフの肉体スペックは多少の知恵など塗りつぶすほどに圧倒的だ。
そもそもアイアンランクである真菜にとっては、本来アストレルの東にある森が活動場所としては適切である。
しかし今は異常事態ということで、西側から外に出て近場の林に来ていた。
普通なら許されることではないが、真菜はゴンゾを下した実力があるということで認められたのである。
「ツリーウルフ……確か毛皮と牙と爪は売れるけど、食べれはしないんだったっけ」
杖を構えて戦闘態勢を取りながら思い出す。この動物が出てくることは知っていたが、出会ったのは初めてだ。取れる素材を頭の中で反芻して確認する。
それしか食べられるものが無い、という時以外は基本肉は捨てられる。
グラスウルフは基本群れで過ごすのだが、ツリーウルフは単独で行動する習性のようだ。
この一頭以外に周囲に敵影はない。
真菜は杖を真横に振った。
合わせて発動した魔法は、地面から杭を突き出すグレイブ。
「ギャッ!?」
ツリーウルフは悲鳴を上げてくし刺しになった。
後はもう、息絶えるのを待つのみだ。
こうして血をだらだらと流しながら弱っていくツリーウルフを見ながら、自身の変化に驚いている真菜。
血を見て、そして動物を殺すことにそこまでの抵抗感や忌避感を覚えなくなっているのだ。
現にここ数日は、襲ってきた魔物や動物を討伐し、素材をはぎ取ることができている。
ゴブリンを吹き飛ばしたときに、生々しい光景や血の臭いでメンタルブーストをかけていても吐きそうになった。それがつい先日のこととは思えない変化だ。
こうして順調に冒険者として実績が重ねられているのでありがたく思う一方、謎は深まるばかり。
アルヘラが憑依したことによるものというあたりはついているものの、その理由は不明というのが、真菜の現状で合った。
ツリーウルフから牙と爪をはぎ取り、魔物用の革袋に収納した。皮は荷物なので死骸とともに埋めてしまう。後はスカベンジャー的な生き物がどうにかしてくれるだろう。
「ま、考えても分からないことは後でいっか」
そしてもうひとつ。
真菜はこの楽天的な思考を手に入れた。刹那的ともいえるかもしれない。
かつて悲観的だったことの反動だろうか。
破滅主義とまでは言わないが、それに近いものだっただろう。
彼女がおかれた境遇はそれほどまでに過酷だったのだ。真菜の場合はそうしないと自己を守れなかったのである。自傷行為に走らなかったのが奇跡とさえ言えた。
破滅主義が正しかったのか間違っていたのか、当時の真菜にとってはどうでもよかった。そもそも破滅主義かどうかさえ、考えたことも無かったのだ。
仮に正解があったとして、示されたそれが虐めから真菜を守ってくれるわけではないのだから。
やるべきことを終えた真菜は街に帰ることにした。
今日も働いた。成果はじゅうぶんだった。充実感が身体全体を満たしていた。
後は報告だけだ。
仕事を終えた疲労のままに夕食を摂って、公衆浴場にいってサッパリして気持ちよく眠れる。
そんなふうに思っていたのだが……。
違和感に気付いたのは、オレンジ色に照らされながらギルドにたどり着き、建物の中に入ってからだった
「……?」
空気が朝と違った。
もっといえば、真菜がこのギルドを始めて訪れた日の翌日から今日までとも違った。
緊張感に満ちている、とでもいいのか。
全体的に浮足立っているように感じるのだ。
ともあれ、通常業務は滞っていないようだ。
それも気になるが、真菜はひとまず自分の依頼報告と換金を行うことにした。
比較的空いているカウンターに並び、順番を待つ。
ほどなくして真菜の番になった。
真菜を孫を見るように接する壮年の男性職員である。
「おう、期待の新人ちゃんか、おかえり」
「ただいま。いつも通り常設依頼と、倒してきた魔物の報告だよ」
「分かった」
真菜は革袋から採取してきた薬草各種をカウンターに置く。
ギルドには査定を専門にする職員もいるが、さすがに街の周りで採取できる薬草程度ならば、ギルド職員でも十分可能だ。
「……おし、今日も問題なしだ。違うやつが混ざってることもない」
「良かった」
ほっと一息。
薬草と他の草を間違えることはないと自信をもって言えるが、それでも間違っていないか、不安がないわけではない。
こうして確認してもらって問題ないことが分かって初めて安心できる。
初日は関係ない草を数株採取してしまったこともあったのだ。
「それから、これ。ツリーウルフの爪と牙」
「ふうん? あれとやりあったのか」
「やり合ったというか、魔……術で一発だったよ」
真菜が使うのは魔法。魔術ではない。
しかし、魔法は人間の間では一般的ではない。
なので今のところは隠すことにしているのである。
「そうかそうか。見たところ傷一つないようだし、問題なかったんだろう」
そう言いながら、彼は革袋から取り出した爪と牙を簡単に見ている。
「よし、問題ない。ちょっと待ってろよ」
「うん」
言われるまま待つこと少し。
男性がトレイにお金を置いて戻ってきた。
銀貨数枚が手に入った。
駆け出しのアイアンランクにしてはなかなかの収入である。
アルヘラから受け取ったお金に手を出さなくて済むならその方がいい。
今日のギルドでの用事は済んだ。
このまま帰ってもいいのだが。
幸い真菜の後ろに並んでいる者もいないので、真菜は気になっていたことを尋ねてみることにした。
「ギルドの様子が変だけど、どうしたの?」
男性職員は「ああ」と頷いた。
「そっちから聞いてくれて手間が省けたよ」
「?」
どういうことだろうか。
小首をかしげる真菜。
「この件で、ギルドマスターのところに行ってほしいそうだ」
「わたしに?」
「ああ」
何だろうか。本当に心当たりがない。
ギルドマスターに呼び出されるようなことはしていないはずだ。
日々採取の依頼や街中の依頼をこなしていただけだ。その受注と報告以外でギルドにも来ていないし、ギルドに来た時になんらかの注意を受けたことも無い。
となると。
「……東の森の関係?」
周囲の緊張感を鑑みて、少し声を潜めてみる。
するどそれに男性職員も倣った。
「まだこっちまで詳細は来てないけどな」
そういうことのようだ。
どの道、呼ばれているのならば行かねばならないだろう。
「ギルドマスターはどこに?」
「ああ。そこを奥に向かって、突き当りの大会議室だ」
ギルド入り口から正面に、横に長いカウンター。そして左側には簡易の酒場兼食事処があり、右の壁には依頼を張り付けるボードが壁に吊り下げられている。
これが、ギルドに入ってから冒険者が見る建物内の構造だ。
そのカウンターの右端には、ギルドの奥に続く廊下がある。
先日会議室に連れていかれた時と同じ通路だ。
「あそこの突き当りね?」
「ああ、いつでも行っていいそうだ」
なるほど。ならば早速行くとしよう。
真菜は男性に礼を言って廊下の向こうに進む。
突き当りの大会議室。
「ここか」
いわゆる観音開きの扉の上方には、「大会議室」と書かれた札があった。
ノックをすると、中からギルドマスターの声で「入れ」と言葉があった。
言われて入室すると、一斉に視線が集まった。
値踏みする視線。
観察する視線。
疑惑の視線。
様々な感情がこもった総勢二十名近い視線を一身に受けて、それでも真菜は前に進む。
やましいことなど何もないし、そもそも自分が望んでこの席に来たわけでもない。
その中には獅子のたてがみの面々もおり、アストレアが手をひらひらと振っていた。
真菜もそれを受けて軽く目礼する。
どちらかと言えば歓迎されていなさそうな空気で、大きな動作はしない方が面倒は少ないと思ったからだ。
「来たか」
会議室の正面、司会者が立つところにいたガルビスが、真菜を見てうなずいた。
「ここに来いって言われたんだけど」
「ああ。話はこれから核心部分だ。お前にも聞いてもらいたい」
「分かった」
「ちょっと待てよ」
「なんだ、ケイン」
声が上がる。
話し出したのは若い少年。
背丈や顔立ちからすると高校生くらいだろうか。
狼獣人のブリードとくらべて耳の形が違う。ゴールデンレトリーバーを彷彿とさせるので、犬獣人だろうか。
「なんでこんな子供がここにいるんだよ。オレたちはお遊びしにきたんじゃねぇよ」
「俺が呼んだ。ここに立つ資格は十分にあると俺が判断した
「はあ?」
「何だ、不服なのか?」
「ああ、不服だね。命がけになるかどうかってとこなんだ。背中を預けるんだぜ? タグはアイアンだし、もうちょっとオレたちのことを考えてくれよ」
なるほど。
客観的に見ればその通りである。
アイアンランクの登録したての駆け出し。そんな真菜が、ゴブリン異常発生の話し合いの場であるここにいることは場違い、という意見は出てもおかしくはない。
魔法は扱えるしゴールドランクに決闘で勝ったこともあるが、まだまだ自慢できる実績を積み上げたわけでもない。
真菜が優れた戦士だったら、にじみ出る雰囲気、とかいうのがあってもおかしくはないが、あいにく魔法使いだ。
身体の基礎性能は向上しているが、運動神経が悪くて扱いこなせてもいない。
真菜の強さは、みためでは本当に分かりづらい。
なので真菜はむしろケインという犬獣人の言うことはもっともであると思っていたのだが。
どうやら、周囲の冒険者たちはそうは思わなかったようである。
「ケイン。お前こそゴールドランクになったんだからしゃんとしろ」
「何だよノアさん。なんでそうなるんだ?」
そうケインに声をかけたのは、槍を肩にたてかけ、椅子に座って微動だにしないリザードマンだった。
中年のリザードマンのノアは、真菜を除いてこの場では唯一のソロ冒険者かつ唯一の現役ミスリルランク冒険者だ。
ガルビスも元ミスリルランクだが、ギルドマスターになり現役を離れたことで、もはやノアには敵わない。
現役の頃はどちらが強いかで比べられたものだ。
ノアははあ、とため息をついた。
「ケイン。新人いびりのゴンゾは知っているか?」
「ああ、知ってるぜ。酒場でよくくだを巻いてたやつだろ?」
「あれが登録したてのアイアンランクに負けた話は聞いたことはあるか?」
「そうなのか? ……まさか」
頭の回転は遅くはないようで、文脈から気付いたらしいケイン。
「そうだ。ゴンゾに勝ったのは、そこの娘だ」
「はあ? マジかよ!?」
それは本当に驚きだったようで、ケインは思わず大きな声をあげていた。
他の面々もそれは知っていたようで、一様に頷いたり、知っていることに言うべきことなどない、といったリアクションを見せている。
結果的に、知らなくて驚いたのはケインだけだったのだ。
「な、なあ、お前らも知ってたのか?」
ケインはパーティメンバーと思しき二人の少女にも尋ねる。
すると彼女たちも同じく頷いた。
「知らなかったんだね」
「あたいも知ってるもんだとばっかり」
「マジかよ……」
ノアはもう一度、今度はより大きなため息をついた。
「情報収集の大切さは教えたはずだ。身の回りはもちろんだが、状況にも神経を尖らせておけと言ったはずだな」
「……確かに、教えてもらった」
「あのゴンゾも戦闘力だけは低くはない。粗忽者だが、押すときと引くときを見極める目は持っている」
「確かに、あいつにマグレだけで勝てるもんじゃないな……」
ノアのゴンゾに対する評価は決して低くはない。
教え子であるケインが劣るとは思っていないが、ゴンゾに負けることもありえると理解していた。
むしろゴンゾは腕っぷしだけでゴールドランクに上がったようなものだ。
少なくとも、アイアンランクとゴールドランクでは天と地ほどに差があるのが普通。
単純に踏んだ場数が違う。それだけでも総合力に大きな差が生まれるのだ。
「もう一度言うぞ、しゃんとしろ、ケイン」
「あ、ああ……すまねぇ」
ノアは気に入った新人に目をかけて色々と教えることがある面倒見のいい男である。
教え子であるケインが教えを守っていないことで思わず諫言したのだ。
「すまないな、ギルドマスター。そしてそこの新人の少女よ」
「もういいのか」
「わたしは気にしてないから」
「……そうか」
「では、話を始めるぞ。先日ギルドマスター権限で東の森に調査隊を出したが、先ほど帰還した。十名送り出して、一名のみだがな」
衝撃の内容により一気に場の空気が引き締まる。
悔恨の表情を浮かべたガルビスによって、東の森の謎が明かされようとしていた。




