9話
「えーっと、ここかな?」
たどり着いたのは、大型の猛禽類らしき鳥が枝か何かに止まっている、という看板を掲げた宿屋である。
夕焼けに染まった白鷲の止り木亭。
フランにおすすめの宿を確認すると、教えてもらったのはここだった。
そこそこ高級な宿なだけあって、真菜が要望した各客室に鍵はついており、料理もかなり美味いとのこと。
ともあれ、宿の前で立ち往生していても始まらない。
真菜はそのまま入ってみることにした。
「あら、いらっしゃーい!」
真菜を出迎えたのは、二十代半ばのスリムな女性だった。
ロビー兼酒場らしいところに無数に配置してあるテーブルを拭いていた。
「お泊りですか?」
「うん。冒険者ギルドでここをオススメしてもらったから」
「なるほど、冒険者ギルドから。この宿を選んでいただきありがとうございます」
女性は軽く頭を下げて礼を言った。
真菜はアストレルのことなどほぼ分からない。
だから、フランに勧められるままここに来てみたのだ。
いくつか候補を挙げてもらい、お金があるならここがオススメ、と言われたのが白鷲の止り木亭である。
本来ならぼちぼち稼ぐことができるようになった冒険者が泊まる宿だそうだ。
「それで、空きはある?」
「ええ、空いていますよ、どのくらい泊まられますか?」
「えーっと、まずは一週間お願い」
「一週間ですね、承知しました。一泊一万ゴルドになります」
「はい」
ポーチ型マジックバッグから銀貨を六枚取り出して女性に手渡す。
「はい、確かに。少々お待ちください」
彼女はいったんカウンターまで行くと、そこでごそごそと少し。
ほどなくして手に鍵を持って戻ってきた。
「こちら、お部屋の鍵になります。階段を上がって三階の二号室です」
「三階の二号室だね」
「はい。私はこの宿の女将のマルタです。何か御用の際は遠慮なくお申し付けください」
「うん」
「そうだ、お食事はお済ですか?」
「ううん、まだ」
「それでは、もうじき夕食となりますので、宿でとる場合は次の鐘が鳴ったらこちらまでいらしてください。先ほどの宿泊費に朝と夜の食事代は含まれておりますので」
「そうなんだ、ありがとう」
年若い真菜に対しても一人前の客として接するプロ根性。
お試しのつもりだったが、この宿は当たりではないかと思い始めた真菜。
一週間様子を見るつもり予定ではある。しかし、高確率でここに滞在することになるだろうな、と考えた。
鍵には札がついており、そこには三階二号室と記載されていた。
階段を上がってすぐのところだ。
部屋に入ってみると、テーブルとイス、それにベッド、そして収納ボックスがひとつ。
ベッドはそれなりに柔らかく、清潔だ。
部屋にはトイレやシャワーは無いが、ある程度の値段がする宿でこのクオリティなら、どうやらこれがこの世界のスタンダードらしい。
「ふう……」
今日一日で色々あった。自分だけのプライベート空間に入った瞬間に、疲れがドッと押し寄せてきたのだ。
ベッドに飛び込みたかったが、抑えて椅子に座る。
今それをしてしまうと眠ってしまいそうだった。
「お金、ホントにたくさんあったなぁ」
アルヘラがそれなりに用意してくれていたのだ。
何から何まで庇護する気はないようで、働かずに贅沢し続けてはすぐになくなってしまうだろう。
改めて確認してみると、金貨が八枚、銀貨が数百枚、銅貨と鉄貨は数えきれないくらい。
それでも、この宿に数年引きこもっても問題ないくらいはありそうだ。
宿に着くまでの道中に露店で物の値段を見てきた。武器防具や薬は日本円でいくらになるのかさっぱり分からないので、真菜が分かるものだけでの判断だが。
ともあれ、そこから日本の物価を思い出すと、大体銀貨一枚で一万円というところか。
なのでこの宿は一泊一万円と見ていいだろう。
オレンジマークのスマホで検索して日本円に変換すると、鉄貨が一円、銅貨が百円、金貨が百万円という認識でよさそうである。
これだけ大量のお金を持っていることを理解して舞い上がっているかといえば、そんなこともなかった。
思いのほか冷静で、気が大きくなっているわけでもない。
真菜は別に自分を大人だとは思っていない。
本当に大人ならば、日本にいたころのあのつらい現実にも対処できていたと思うからだ。
真菜が大人に大きな幻想を抱いていることは置いておいて、自身のそんな変化に心当たりがなく首をひねる。
すると鐘の音が部屋の中に飛び込んできた。
木の雨戸を明けて外を見ると、外は既に真っ暗だった。
夕食の時間である。席がとられる前にと部屋を出て食堂兼ロビーに行くと、既に半分近くが埋まっていた。真菜は一人なのでテーブルではなくカウンターに座った。
さすがに無数のメニューがあるわけではなく、宿代込みの夕食は献立が決まっているようだった。
パンと肉がゴロゴロ入ったシチュー、サラダに骨付きチキンのあぶり焼き。
「あ、おいしい」
パンは柔らかく、シチューは長い時間をかけて煮込まれて肉もぽろぽろと口の中でほどける。
サラダは見た目はそうでもないが野菜は新鮮でみずみずしい。
チキンは脂がたっぷりで非常にジューシーだった。
何よりもかなりボリューミーで、食べる前には不安に思うほどの量があったが完食してしまった。
自分の小さな体のどこに入っていったのかと驚いたほどだ。
成長期。
だから太らない。
うん。
大丈夫。
そんなふうに自分に言い聞かせる。
「おう、お嬢ちゃんいい食いっぷりだったな」
ひさびさの満腹感。食事が楽しかったのなんていつぶりだろうか。
余韻に浸りながら果実を搾った水を飲んでいると、正面から声を掛けられた。
「うん、美味しかったから」
「そうかそうか!」
目の前に立っていたのはガタイのいい男。背はゴウゼンやガルビスに比べるとそうでもないが、明らかにただ鍛えている、という体格ではない。
「これは俺が作ったんだよ」
「そうなんだ。明日以降も楽しみ」
「おう、期待してろよ」
とここまで言ったところで、彼はハッとしたように真菜を見た。
「自己紹介が遅れたな。俺はこの宿の料理長のアークだ。あそこのマルタの、まあなんだ、旦那ってやつだ」
彼はアークと名乗った。
見た目のいかつさといい、アークという名前はいささか似合っていないように思える。
失礼なことを考えたと、真菜はすぐにその考えを引っ込めて投げ捨てた。
「私は真菜。今日からお世話になるね」
「おう。お前さん冒険者だろ? うちでゆっくり休んで、依頼に精を出してくれ」
「……分かるの?」
「ああ。敬語を無理くり使ってない感じがなんとなく滲んでるぜ」
確かに敬語ではない話し方には違和感は大きいが、そんなに分かりやすいか。
これは本格的に慣れないとまずそうだ。
何の拍子で敬語が出るか分かったものではない。
「その感じだと今日登録だろ。それでウチに泊まれるんだから大したもんだ。今後もウチを使い続けてくれよ」
「うん、そのつもり」
「大将! こっちに肉の盛り合わせもってきてくれー!」
「おーう、毎度! ちぃと待ってくれ!」
向こうのテーブル席からそんな声がかかり、アークは慌ただしく動き始めた。
「んじゃ、ゆっくりしてってくれ!」
「うん、お世話になるね」
ちょうど果実水も無くなったところだ。
マルタを呼び出して片づけをお願いすると、真菜は自身の部屋に引っ込んだ。
食堂兼ロビーはかなり騒がしかったが、三階の部屋までくるとさすがに声もかなり抑えられており気にならない。
部屋に戻って腰を落ち着けると、頭の中を様々な考えが巡り始めた。
何よりも自分のことだ。
どうしてここまで冷静でいられるのか。
特に、改めて見て大金を抱えている現状で、特別気が大きくなったりもしていない。
これまでの真菜だったらどうだろうか。自分を振り返ってみて、とてもではないが落ち着いていられるとは思っていなかった。
自分が特別優れているなどと思ったことはないからだ。
変わったことと言えばたったひとつ。
アルヘラが自身に宿ったこと。
それによって何らかの変質でも起こっているのだろうか。
……と、ここまで、特別感情の大きな起伏も起きなければ、ショックも起きていない。
自分が変わってしまったかもしれない、という、恐怖を掻き立てるような推測だったのに、だ。
「うん……わたし自身が、変わっちゃったのかもね」
真菜は真菜だ。
真菜自身だ。
よく分からない単語を並べてみたが、それが一番しっくりくる。
しかし同時に、大きな変化は起きている。
そもそも、魔法なんて存在しなかった世界から来て、今は魔法が使えるようになっているのだ。
つまり真菜という存在についての変質は既に起きており、それを既に甘受し助けられてもいる。
今更と言ってしまえば、今更だった。
「困りはしないけど、気にはなるね」
どうしてそうなったのか。
謎を解き明かしてどうこう、というわけではない。
ただ、何故こうなったのかの原因を押さえたいと思ったのだ。
そうして考え事をしていると、頭がぼんやりとしてきたのを自覚する。
眠くなってきた。
そう、今日は怒涛の一日だった。
今になって疲労がドッと押し寄せてきたのだ。
「……クリーン」
もう、頭は半分も回っていない。
なけなしの意識を総動員し、身体を清潔に保つための洗浄魔法を使用して身体の汚れを取り払うと、そのままベッドにもぐりこんだ。
すべては明日以降。
今日はもう寝てしまうことにする真菜だった。




