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第七十六話 この想いよ、届け

 


 六年以上、ずっと一緒にいた女性が草原を歩いている。

 こんな時でも上品さを損なわない主の背中を、エリィはじっと見つめていた。


「ご主人様……」


 こんなにもあっさりと、別れてしまっていいんだろうか。

 もっと言いたいことや伝えたいことがあったはずなのに。

 いざその時になると唇が張り付いたように動かなくなってしまう。


「エリィ」

「……リグネ様」


 肩に手を置いたリグネはエリィに微笑み、ディアナを見た。


「其方の主は、立派だな」

「え?」

「あれはどんな時でもエリィを守ろうとしていた。我が睨んでも口を割らなかったのは世界で二人目だ。よい主を持ったな」

「……そう、なんです。ご主人様はいつも優しくて」


 巷では悪女だ尻軽だと言われているけど、エリィは知っている。

 王女としての責務の傍ら、戦争で人手不足になった商会や工場に掛け合って孤児院に仕事を斡旋する仕組みを作ったり、身分のせいで虐げられている貴族令嬢を助けてあげたり、戦争から逃げ出した兵士に身を隠せる場所を与えたり。


 それは表に出ない功績だ。

 ディアナは文句ひとつ言わず、自ら率先してやり遂げた。

 そんなディアナをエリィは誇りに思っていて、だから、何か返してあげたくて。


「おい、エリィ」

「……レカーテ様?」

「あいつは……いや、お前たちはボクと同じだ」

「同じ?」


 何を、言ってるんだろう。


「お前を通じて垣間見た。今回の一件でハッキリと見えた」

「……心を読んだことですか?」

「そうだ。あいつは……いや、これは野暮だな」


 レカーテは首を振った。


「考えろ。そして行け。後悔はするな」


 それだけ言って、怠惰な森人族(エルフ)は目と口を閉ざした。

 何を言っているのかさっぱり分からないが、ディアナのことを言っているのは分かる。エリィはレカーテとディアナを交互に見て、考える。


(わたしたち(・・)とレカーテ様が、同じ……)


 三人の共通点、肌が白いこと、人型?

 ぐるぐると思考を巡らせたエリィは頭を抱えた。


「あぅ……わかんないよぉ……レカーテ様、ヒントを……」

「難しく考える必要はない。エリィ」


 リグネが助け舟を出した。


「其方が伝えたいことを伝えればいい。もう心は通じているのだから」

「……伝えたいこと」

「あとはそれを言葉にするだけだ」

「……分かりました」


 エリィはリグネに頷いて、一歩、踏み出した。


 ──そうだ。まだ、自分はディアナに言ってない。


 拾ってくれたこと、メイドにしてくれたこと。お母さんを見つけてくれたこと、

 リグネと出逢わせてくれたこと、自分の気持ちを尊重してくれたこと、

 色んなことでお世話になりっぱなりなんだから、お礼を言わないと……





「──ご主人様!」





 ディアナは足を止めた。

 けれど、振り返ってはくれなかった。


 本来、メイドである自分が魔王の嫁になるなんてありえないことだ。

 ディアナの立場を奪った形にもなるし、やっぱり怒っているんだろうか……。

 不意に、まったく関係のないことを思い出した。


『呪われた忌み子が……つけあがりやがって!』


(あ)


『その忌み子に魔術で負けたのはどこの誰だったかな』


(レカーテ様との共通点って……もしかして)


 ドクン、と心臓が大きく脈を打つ。

 鼓動が早まり、次々と関連した記憶が脳裏をよぎっていく。


『人族にもあるだろう。白髪、双子、魔力欠陥、古来から通常より逸脱した赤子を忌み子と呼ぶ習慣はある。事実、彼らが生きた後に争いの種をなった例は枚挙にいとまがない』


双子(・・)


 ドクン、ドクン、


『え。じゃあ、私って貴族の血が流れてるの?』

『そうよ』


 ドクン、ドクン、ドクン


『エリィ。幸せになってね。おばあちゃんになるまで長生きして。幸せになりなさい。それが、それだけが私の……私たち(・・)の願いよ』


(私たち(・・)……? まさか……)


 違うかもしれない。違う可能性のほうが高い。

 だってディアナは自分よりずっと綺麗で、気高くて、憧れて。

 こんな自分が、この人とそういう繋がりがあるなんて、ずっと考えないようにしてて。


 でも。


『其方が伝えたいことを伝えればいい。もう心は通じているのだから』


 そうだ。もう、心は通じている。

 ディアナから貰ったこの気持ちは、嘘偽りのないホンモノだ。


「あ、あの……違ったら、言ってほしいんですけど」


 エリィは震える唇を動かして、問いかけた。


「ご主人様は、わたしのお姉ちゃんですか?」

「……」


 ディアナは何も言わない。振り向きもしない。

 風が二人の間を駆け抜けて、同じ色の髪を揺らした。

 やがて、彼女は言った。


「何言ってるの。そんなわけないでしょ」

「ぇ」

「私とあなたは赤の他人よ。この世に自分と似てる人が三人はいるってよく言うでしょ」

「…………そう、ですよね」


 エリィは俯いた。


「何言ってるんだろ、そんなわけないって、分かってるんですけど」

「……」


 ディアナの言う通り、あり得ないことだ。

 自分はずっと平民として暮らしてきた。


 貴族の血が流れていると知ったけど、これからもその認識は変わらない。

 ディアナは大事な主だ。尊敬すべき人だ。


 それでも(・・・・)


「ずっと、ご主人様がお姉ちゃんだったらいいのにって、思ってて」

「……っ」


 ディアナの肩が震え、彼女は歩き出す。

 通りすぎた軌跡に、光の粒が残されていく。

 エリィは慌てて追いかけた。


「あ、あの……待って」


 走り出す。


「待ってください、ご主人様……いだっ」


 小石に躓き、エリィはすっころんだ。

 地面に顔面から突っ込むと、額がじんじんして熱かった。


「いたた……待って、ご主人様……」


 ディアナは立ち止まった。

 顔が微妙に動く。足が震えている。拳から血が流れた。

 それでも彼女は、決して振り向こうとしなかった。


「……そう、ですよね」


 エリィは唇を噛みしめた。

 ぐっと身体を起こし、土を払いながら立ち上がる。


「分かってるんです。ご主人様がお姉ちゃんの訳ないって」

「……」

「わたしはご主人様みたいに頭が良くないし、大雑把だし、てきとーだし、ご主人様のメイドをやれたのが不思議なくらい、平民育ちだし……いまだに王宮の作法とか、よくわかんないし」


 生粋の王宮育ちであるディアナと違うところはたくさんある。

 エリィはどこまで行っても貧民街の出身で、それを思い知らされることは何度もあった。立場や身分だけではない。二人の違いをあげればキリがなくて。



 それでも(・・・・)



「ぽかぽかするんです」

「ぁ」


 ディアナと過ごした色褪せない日々は、心に鮮烈に焼き付いている。

 ずっとしまっていた大事な気持ちを、今だけは届けることが出来る。


「ご主人様と一緒に過ごしてると……お母さんと過ごしてた時みたいに……胸の真ん中が、温かくなるんです」

「……」

「もしもわたしにお姉ちゃんが居たら……こんな感じなのかなって」

「……っ」

「ば、馬鹿みたいですよね! 分かってます、わたしなんかが、そんなわけないのに」



 それでも(・・・・)



 エリィは、閉じかけた口を開いた。

 ぎゅっと唇を噛みしめ、ディアナの語らぬ背中を見つめる。

 細い身体だ。折れてしまいそうなほど細いのに、淑女として洗練された仕草は美しく、揺るがぬ芯を持っている。


 それは淑女の身体だ。

 貧民街で育ち、今も骨ばっていて色気のない自分とは違う。




 それでも!(・・・・)




「ずっと、お姉ちゃんって呼びたかった」




 エリィは滂沱の涙を流しながら、その気持ちを伝えた。

 思い起こせば、思い当たることはいくつもあった。


 ディアナと自分の顔が似すぎていること。

 お姉ちゃんと呼んでみて、と何度も言われたこと。

 あの時、母が言った『私たち(・・)』という言葉の意味。


 エリィは自分を平民だと縛り付け、ディアナを苦しめてきた。

 過去の自分を殴りつけたくなる。それでも、許されるなら。


「わたし──!」

「もしも」


 エリィの言葉を遮るようにディアナが口を開いた。

 一拍の沈黙を挟み、彼女は前を向いたまま、続ける。


「もしも私があなたをメイドにするためにお母さんを奪ったって言ったら、どうする?」

「え」

「自分の幸せのために、あなたの幸せを奪ったとしたら」

「…………それは、もしそうだとしたら」


 エリィは胸の前で祈るように拳を組んだ。


「それはきっと、わたしを守るためだと思うんです」

「……っ!」


 今更の話だ。今更、どうしてディアナが悪者だと思える。

 ディアナが自分の幸せをただ奪う人だなんて思えるわけがない。


「ご主人様は……ずっとわたしを守ってくれた。同僚から虐められた時も、寂しくて泣いてる時も、怖い人に近付かれた時も、いつだってわたしの傍にいてくれた。もしもご主人様がお母さんと会ったとしたら……ご主人様は、お母さんを遠ざけることで、わたしを守ったと思うんです……」


 ディアナは震える声で、


「どうして、そんな風に言えるの」

「だって」


 エリィは微笑んだ。


「わたし、幸せだった」

「ぁ」

「寝る前に一緒に本を読んでくれた。一緒にお花を選んでくれた。メイド長と一緒に文字を教えてくれた。一緒にお買い物をしてくれた。一緒に、内緒でおやつを食べてくれた。お母さんと離れ離れになったのは、辛くて、寂しかったけど……それでも、ご主人様と過ごした日々は、泣きたくなるくらい温かくて……ずっと、恩返しをしたくて……お礼を、言いたくて」


 エリィは踏み出した。


お姉ちゃん(・・・・・)

「…………っ」

「何にも知らなかったわたしに読み書きを教えてくれてありがとう。夜、一緒に夜更かししてお菓子を食べた時、すっごく楽しかった。おっかない先輩に虐められた時、真っ先に駆けつけてきてくれて頼もしかった。綺麗なお洋服を着せてくれて、とっても嬉しかった。わたし、お姉ちゃんと過ごす時間が、とっても大切で……」


 あふれ出す思いは止まらない。

 ディアナから貰ったたくさんの気持ちは、この胸に詰まってる。


「ずっとそばに居てくれて、ありがとう」


「わたしを守ってくれて、ありがとう」


「愛してくれて、ありがとう」


「お姉ちゃん、わたし──」


 ディアナが振り返った。

 大粒の涙をためた彼女が、走り出す。

 光の軌跡を散らす彼女に合わせて、エリィも走り出した。


 互いの距離はまたたくまに縮まり、ディアナの腕がエリィを絡めとる。

 ぎゅぅう、と背中に回された手に力が入った。


「おねえちゃ」

ごめん!(・・・・)


 ディアナは涙ながらに叫んだ。


「ごめん、ごめんね、エリィ。ずっと黙ってて、ずっと騙してて、私、」

「ううん、いいんだよ……」

「私だって、あなたと居て幸せだった! あなたのことが大好きだった! ずっと傍に居たくて、でも、お母さんと引き離した私に、そんな資格ないって……だから……!」

「うん、うん」


 エリィはディアナの肩越しに何度も頷いた。

 瞼に溜まった涙がこぼれだし、ディアナと額を合わせる。


「ありがとう。ずっと頑張ってくれて」

「……っ」

「わたしのほうこそ、ごめん。大好きだよ、お姉ちゃん」


 顔を離して、はにかんだ。

 泣き笑いを浮かべた姉妹はくしゃりと顔を歪め、再び互いに抱き着く。

 別れを惜しむ姉妹の間に、もう壁はなかった。


「また、会いに行くわ」

「うん、絶対だよ?」

「元気でね。風邪引かないでね。好き嫌いしちゃだめよ。それから」

「お姉ちゃん、お母さんと同じこと言ってる」

「……」


 エリィは微笑んだ。


「お母さんとも、仲直りしてね」

「……許してくれるかな」

「もちろん。お姉ちゃん、こんなに頑張ったんだから」

「……努力するわ」


 ディアナが涙を拭い、立ち上がった。

 

「じゃあ、今度こそお別れね」

「うん」


 互いに、もう涙は見せない。

 きっとまた会えると信じているから。

 だから、さよならは言わない。


「またね、お姉ちゃん!」

「えぇ」


 ディアナは花が咲くように笑った。


「またね、エリィ」


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