第七十五話 はじまりの物語(急)
エリィはメイド長に教育を受けてもらい、私の傍に置くことにした。
最初は大変そうだったけれど、徐々に仕事も覚えて、美味しいお茶を淹れられるようになった時は感動したわ。
平民の出身であるエリィを良く思わない奴もいて何度か嫌がらせを受けていたようだけど、私がそいつの家族の下に行って脅してあげたら大人しくなった。私の妹にちょっかい出そうなんて千年早いのよ。殺さないだけ感謝することね。
「ご主人様、今日は何をするんですか?」
「そうね。一緒に服を選びに行きましょうか」
「分かりました」
その日は、エリィと初めて街へお出かけする日だった。
メイドとしての所作も身に着いてきたし、カツラを被らせたら双子だとはバレないだろう。
「ねぇ、エリィ。これはお遊びなんだけど」
正直、私はちょっと期待していた。
正確に言えば、欲が出ていたのかもしれない。
血のつながった妹が傍にいる。それだけで心細さが無くなったのに、私はもっとエリィと親しくなりたくて、だから。
「私のこと、お姉ちゃんって呼んでみない?」
「え?」
「いや、ほら。遊びよ? 姉妹ごっこってやつよ」
エリィには私やアルテマのことは一切話していない。
当然だ。どこで誰が聞いているか分からないし、嘘が下手なこの子のことだから、真実を知ったら顔に出てしまう。それに、忌み子のことを話せば母親のことも話さないといけなくなる。救われたと思っている私に母親を奪われたと知ったら、この子はどんな顔をするだろう。それを考えると、どうしても口に出来なかった。
だから、せめてごっこでも。
あなたがお姉ちゃんって呼んでくれたら、私は。それだけで。
「む、無理ですよぉ!」
「…………え?」
私は着替えのドレスを取り落とした。
エリィはもじもじと指と指を突き合わせて言った。
「だ、だってそんな……無理ですよぉ。ご主人様をお姉さんなんて呼べるわけないじゃないですか。わたしなんかがおこがましいです」
「いや、でも、こんなの、ごっご遊びよ」
「それでも、です」
エリィは頑なだった。
「わたしはメイド。ディアナ様はご主人様です。だからそのお願いは聞けないです」
「………………そう、そうよね」
これは、私への罰なんだろうか。
この子から母親を奪った私は、たった一人の妹を家族と呼ぶことも許されない。
私はただ、頷くことしか出来なかった。
◆◇◆◇
「あまり危険な真似はされないでください」
エリィとの買い物を終えたその日の夜。
私室で膝に顔を埋める私に、メイド長は言った。
「エリィは純粋な子です。彼女がもし、外で姉と口にしてしまえば……」
「何が悪いの」
「……双子は凶兆の証です。最悪、処分されてしまうかも」
十年前、アルテマを王宮から逃がしたメイド長の言葉には重みがある。
きっと葛藤もあるのだろう。
口に出来ないようなおぞましいことがあるのだろう。
忌み子にまつわる因習は、それくらい重い。
「……だったら、変えてやるわ」
「はい?」
「私が、この世界を変えてやるわ!」
私は立ち上がり、メイド長に立ち向かった。
双子であることが許されないというのなら。
あの子を妹だと呼ぶことが許されないというのなら。
「双子でもいい。忌み子なんて因習が無くなる世界に、私が変える! それだけの力が、第三王女にはある!」
メイド長は目を見張り、険の入った声で言った。
「数百年間続く因習を打ち砕くのは並大抵の努力ではかないません。辛い思いをしますよ」
「構わないわ」
もう、迷いはなかった。
「何のためにそこまで」
「理由なんて、なんでもいいじゃない」
嘘だ。理由ならある。
ただ、お姉ちゃんって呼ばれたかった。
素直で、優しくて、純粋で、無邪気で。
とびっきり可愛いエリィを、大事な家族なんだって、自慢したかった。
双子に生まれたからなんだ。
貧民街で育ったからなんだ。
何も悪いことしてないのに認められないなんて、そんなのあんまりじゃないか。
私のたった一人の家族。
母に捨てられた私に残された唯一の希望。
この子を守るために──家族になるために、私の人生を使ってやる。
『わたしはメイド。ディアナ様はご主人様です。だからそのお願いは聞けないです』
……本当は分かってた。
あの子の母を奪った私には、あの子の家族と名乗る資格がない。
実は血のつながった姉だなんて言ったところで、戸惑われるのがオチだ。
あぁ、それでも。
ねぇ、エリィ。
私は、私だけはあなたを家族と思うことを許してくれるかしら。
私はあなたが貰えなかったものを全部あげるから。
お金も服も家も何もかも、どんなものだってあげるから。
あなたと一緒に生きる時間を、分けてほしいの。
「私があなたを守るから」
たとえ、絶対に口に出来ないものだとしても。
そのたった一つの証があれば、生きていけるから──。
その日から、ディアナ・エリス・ジグラッドは変わった。
乗り気ではなかった帝王学や語学、魔術、社交術といった教育を積極的に受けるようになった。
目まぐるしく成績を上げていく私に教育者たちも驚いていたけど、今さら彼らの賞賛なんて欲しくない。
(絶対に、お姉ちゃんって呼ばせてやるんだから……!)
私はただ、エリィに姉と呼んでもらうために。
あの子と本当の意味で家族になるために勉強していたのだ。
とはいえ、忌み子という因習をなくすには私一人が知識を蓄えたところでどうにもならない。若く、未来を担う者達の協力が不可欠だった。
だから私は生まれ持った美貌を武器に有力な男性貴族たちに声をかけ始めた。
恋仲になった相手に実は妹がいると打ち明ければ助けてくれるかもしれないと思ったから。女性はあまり力になれないし、姉様たちの影響力が強すぎるからダメだ。
もちろん最初は匂わせる段階から始めたのだけど……
現実は、理想通りにはいかなかった。
『忌み子? 因習をやめる? はは! そんなの意味ないだろ。俺たちには関係ないし』
『いいかい、ディアナ。人がそれを禁止するのは理由があるからなんだ。何百年も続いた、誰も困っていない伝統を変えて何になる? 君が優しいのは分かるけど、そんなのやったところで無駄だよ』
『僕的にはー、いいと思うけどー。でも、味方いないしなー』
『そんなものを変えたところでメリットがない。諦めたほうがいいと思うよ。それより、俺たちの今後について何だけど……』
色んな男に近付き、さまざまな形で匂わせ、すべてがダメだった。
自分に関係のないところで人間は動かない。
たとえ忌み子がどれだけ悲しい因習であろうと、メリットがなきゃ人は動かない。
「どうして誰も分かってくれないの」
どんな形でも、どれだけ、アプローチをかけても駄目だった。
忌み子をなくそうと動いてくれる人なんて一人もいなかった。
そのうち私の動きは義兄や義姉たちの耳にも入って、色んな婚約者をとっかえひっかえしていた私は『尻軽女』とか『平民王女』とか揶揄されるようになっていた。
「もー! ご主人様、ひどい顔! またフラれたんですか?」
私が婚約者と別れて離宮に戻ると、エリィは腰に手を当てた。
「これで何回目ですか。ご主人様、根は優しいのに……何か余計なことしてますか?」
エリィは妙なところで勘が鋭い。
絶対に気付いては居ないだろうけど、ちょっとだけギクっとした。
「ふん。してないわよ。私が選んだ男に見る目がなかっただけ」
「あぁそれは仕方ない……ってそれ駄目じゃないですか!?」
「というわけでエリィ。あっちの家令に謝ってきて。あ、カツラは忘れないでね」
エリィが離宮の外に出られるのはこういう時だけだ。
もちろん護衛は付けるけど、ちょっとは気分転換になるかしら。
「えぇぇえ! またですか!? もぉ! 怒られるのは私なんですよ!?」
「文句を言うメイドはこしょこしょの刑よ。ほぅら!」
「きゃー! やめ、くすぐった……あはは! ご主人様、くすぐったい!」
ご主人様。
エリィの私に対する認識はずっと変わっていない。
──何度も、打ち明けようと思った。
私たちは本当は双子の姉妹で、あなた自身も王女の資格があるのだと。
本来ならメイド服なんて着ず、私の小間使いもしなくていいのだと。
だからご主人様と呼ぶのは止めて姉と呼んでほしい。
そう思うたびに、私は罪の意識に苛まれる。
(甘えるな。この子の母親を奪ったのは、私なんだ)
エリィが寝静まって、真夜中。
上手く行かなかった夜は、いつも塔の最上階で膝を抱えて蹲っていた。
もう何人目だろう。
あと何人に当たれば、今の状況を変えられるんだろう。
「──もう、いいのではありませんか?」
その日は来客があった。
顔を上げると、メイド長が無表情で立っていた。
「なにが」
「もうご自身を解放してあげてください。見ていられません」
衝動が、メイド長の襟首をつかんで壁に押し付けた。
「私が! あの子の幸せを奪ったのよ! 他にどうしろって!?」
「あの二人を引き離したのは暗殺者から狙われるリスクを分散しつつ、敵の正体を探るためだった! 敵を倒し、因習を打ち砕けば、最初からあの子を母の下へ帰すつもりだった! 三人で一緒に暮らすつもりだった! 違いますか!?」
「…………っ」
「あなたはもう、アルテマ様も許してる……そうでしょう?」
「……」
「偽悪的に振舞わないでください。あなたはちゃんと、二人を助けてます」
私は膝から力が抜けて、ずるずると床に座り込んだ。
「それでも」
ぽたり、ぽたり、と床に染みが出来ていく。
膝の上で握った拳が震えて、どくんどくんと鼓動が早くなった。
「私が、嫌なの……」
「……姫様」
「エリィのこと、大好きになっちゃったんだもん」
無邪気で、素直で、優しくて、一生懸命なエリィ。
私のあとをとことことついて来て、馬鹿なことをしたら叱ってくれる。
もちろん、双子とか、妹とかそういう理由もあるけど。
それ以前に、私はエリィのことをかけがえのない存在と感じ始めていた。
「家族になりたいの……私には、それしかないのよ……」
「……いつまで、続ける気ですか」
「決まってる。限界が来るまで、よ」
──限界は、すぐそこまで来ていた。
忌み子という因習を変えるために、私は派手に動きすぎたのだ。
エリィの存在を嗅ぎつけた黒幕の手がエリィにも及び始めた。私と間違えられたエリィが誘拐されたと聞いた時、心臓が凍り付くほど怖かった。
私に許された時間は、もう僅かしかない。
「ディアナ。お前に結婚してもらおうと思っている」
お父様と面と向かって話すのは六年ぶりだった。
十歳の誕生日を欠席された腹いせとエリィを隠すために頑なに面談を拒んでいた私に、痺れを切らしたようにお父様から呼び出しがあったのだ。久しぶりに会った私に元気かの一言もなくお父様は言った。
「結婚ですか。どこの誰と?」
「魔王だ」
「ま……っ」
お父様が和平派の筆頭として動いていたのは知っていたし、男好きだと思われている私を落ち着かせようと縁談を探していることも知っていたけど、まさかその相手が魔王になるなんて思わなかったわ。
「お前も王女だ。ここまでずいぶん好き勝手にさせてきたが、王族の義務を果たしてくれ」
「あら、意外ですわ。王女とは認めていたんですね」
「……お前には寂しい思いをさせたと思っている。アルテマのことで儂にも至らぬことがあったと思う。だが、頼む。どうか……人類のために、平和のために、協力してくれんだろうか」
二人きりとはいえ、お父様は私に深々と頭を下げて言った。
本来なら命令して無理やりいうことを聞かせることも出来るのに……。
勝手な話だけど、エリィという家族を心の支えにしてる私は、不思議とお父様に怒りは湧いてこない。
それに、ちょうどいいチャンスでもあった。
「その話、お受けいたします」
「おぉ、分かってくれたか」
「はい。お父様が平和のために尽くしていたことは分かります。ただ」
条件を、出した。
メイドにエリィという私にとても良く似た娘がいる。
私には好きな侯爵令息にアタックするからちょっとだけ身代わりにさせてほしいと。
お父様はかなり渋ったけれど、私に負い目があるからか、最後には受けいれてくれた。
──一瞬、お父様に打ち明けるか迷ったけど、すぐに却下した。
この人はエリィのことを何も知らない。お母様も死んだと思い込んでいる。
それに、この人は父親である前に王様だ。その逆じゃない。
国を荒れさせる改革より、安定を選ぶ。そういう人だ。
だから私はお父様と分の悪い賭けをするより、エリィを選んだ。
「エリィ。お前、私の代わりに結婚してくれない?」
ちょっと無茶なお願いだけど、聞いてくれてよかったわ。
これは、最後のチャンスだったんだもの。
王宮に潜む黒幕──急進派の誰かということは分かってる──から、エリィを逃がす。
かの魔王は人族に友好的だと言われていて、もう何年も戦場で人族を殺していないと聞くし、講和の証として差し出したエリィを傷つけるような真似はしないと思った。むしろ、私の傍にいて暗殺者に狙われるより、ずっと安全だ。いや、直接会ったときはめちゃくちゃ怖かったけど……。
だけどその上で、私は勝負を仕掛けた。
私が宰相の息子である侯爵令息にアタックして、因習を変える。
宰相の息子であれば力もあるだろうし、法律を変えるだけならそこまで難しい話ではないはず。
そう、はずだった。
私は勝負に負けた。
『─どうしてもダメなんですの?』
『ダメだね』
落ち着いた内装の応接室で私は侯爵令息と向き合っていた。
『貴女の頼みといえどこれだけは聞けない。諦めてほしい。ディアナ王女」
『……わたくし、これでも貴方を愛していますの』
『僕も君のことは好ましく思う。でも、王女と侯爵令息ではね』
かなりぎりぎりまで打ち明けて、私の思惑は理解してくれた。
それでも、因習を、伝統を変えられないのだと。
『十分では?』
『当人たちがどう思うかよりも、周りがどう思うかだよ』
『そんな……どんな障害も二人で乗り越えると誓ったではないですか』
『記憶を捏造しないでくれるかなっ?』
『ちぇ』
泣きたかった。最後の頼みの綱が断たれた。
もしかしたら、最初からそう決まっていたのかもね。
『マーサ、あの人のところは?』
『防護魔術は完璧です。この六年。侵入者を許した記録はありません』
『……そう。ならもう、十分かもね』
『……殿下』
『エリィをアルテマのところへ帰すわ。準備して』
『………………かしこまりました』
私はエリィと家族になれなかった。
いや、それどころじゃない。
エリィの気持ちを勝手に推し量って、勝手に私の幸せを押し付けた。
本当は好きな人と一緒に居たいあの子を引き離して私が成り替わろうとした。
私は危うく二度も、エリィから大切な人を奪うところだった。
こんな私に、エリィの家族である資格なんてなかったんだ……。
◆◇◆◇
(ごめんね……エリィ)
記憶の船旅を終えた私は現世に帰って空を仰いだ。
どこまでも、どこまでも続く、現実みたいに残酷な深い空を。
(結局私は、あなたを振り回してばかりだった。私の、家族が欲しいというエゴに……三人で暮らしたいという願いに、あなたを付き合わせてしまった、昔も今も、あなたには大切な人が傍にいたのに……私、お姉ちゃん失格ね)
「これからどうするつもりですか?」
「さぁ、どうしようかしら」
メイド長のマーサの言葉に、私はかぶりを振った。
魔族の嫁になるという役目をエリィに任せる以上、人族の領域に私の居場所はない。
どこにも、私を必要としてくれる人なんて居ない。
私はずっと、世界で一人ぼっちだ……。
「──ご主人様!」
その時、エリィが後ろから叫んだ。
私は足を止めるけど、振り向かない。
振り向いてしまったら、エリィを攫って消えてしまいたくなるから。
「あ、あの……違ったら、言ってほしいんですけど」
でも──。
「ずっと、聞きたいことがあって」
エリィが、もじもじとして。
その言葉は、私の背中から心臓をぶっ刺した。
「ご主人様は、わたしのお姉ちゃんですか?」
……………………………………え?




