第七十三話 はじまりの物語(序)
私に妹がいると知ったのは十歳の誕生日のことだった。
七月七日の誕生日は毎年お父様が祝ってくれる大事な日だ。
「お父様、今日はどれくらい居てくれるかしら?」
「お忙しい方ですから、あまり長くは居られないかもしれないですね」
その頃はまだ人族と魔族が戦争を続けていて、和平派の筆頭だったお父様は連合軍の代表として和平のために奔走していた。ほとんど王宮に居ないものだから、お父様と会えるのは誕生日の日だけだ。顔を見るだけなら連合軍主催のパーティーでも出来るけど、あれを会っているとは言わないだろうし。
「ディアナ殿下、サーリア様とリリアーゼ様からお手紙が届いております」
「どうせ美辞麗句を並べたお祝いのお手紙でしょ。そうじゃないなら読んで」
「……」
「そう。捨てていいわ」
第一王女や第二王女であるお姉様たちは私に素っ気ない。
第一王子であるお兄様なんて喋ったこともないくらいだ。彼が平民の母から生まれた私を認めず、存在を無視していることは知っている。誕生日会にだって呼ばれたことがないし、目を合わせたことすらない。そんな中で私と仲良くしたら兄の面目が丸つぶれだから、お姉様たちも手紙を送るだけにしてるのだろう。
「お父様はまだかしら」
私に構ってくれるのはお父様だけ。
お父様に褒めてもらうために厳しい教育を受けているといっても過言ではない。
お母様のことは死んだと聞かされていたから、考えもしなかった。
るんるん、と椅子の上ではしたなく足を揺らす。
普段は厳しいメイド長も今日ばかりは許してくれる。
準備は万端だった。お父様が好きそうな感じに飾りつけもしたし、食事だって晩餐会に負けないくらい豪勢で、お父様が大好きな王亀のスープも用意してある。食後には大きなケーキがあって、これを二人で切り分けて贅沢に食べるのが毎年の楽しみだった。食堂の扉を叩く音がして、私は弾かれるように入口へ近づいた。
「お父様! お待ちしておりまし……あら、クルディア。どうしたの」
侍従長を務める長身の男性を見て私は嫌な予感を覚えた。
平民の王女に対して礼を尽くす彼の瞳は憐憫に満ちている。
ゆっくりと、彼は腰を曲げた。
「ディアナ殿下、申し訳ありません。陛下は会議が忙しく……」
「……そう」
「来年は絶対に多く時間を取ると言っています、その頃には世間も平和に……」
「どうでもいい」
まるで気球に穴が空いたみたいだった。
誕生日で期待していたすべてが穴から出て行って、浮足立った気持ちがしぼんだ。
「戦争とか、平和とか、どうでもいいわ。そんな言い訳、要らない」
「恐れながら殿下、陛下は……」
「だって前もそうだったじゃない!」
私はスカートの裾をぎゅっと握って、思いの丈を叫んだ。
「その前も、その前も、その前の前も、私の時はいつもそう! お姉様たちには忙しい時でも時間を縫ってくるのに、私の時だけ! お父様は私のことなんてどうでもいいのよ。お母様の顔がちらつくのが嫌だから近付かないのよ! 愛していたのはお母様で、私のことなんて愛してないんでしょ!?」
平民の娘だと陰口をたたく兄様たちを叱っていたのは知っている。
私のことも、娘であることは認識しているんだろう。
でも、一年に一回だ。
他の兄弟は王宮で一緒に食事をしているのに、私だけお父様と会えるのは一年に一回。それ以外は離宮に閉じ込められ、食事はいつも一人ぼっち。時間を縫って様子を見に来てくれたことなんて一度もない。それを家族と呼べるのか? 父と呼んでいいのか?
「もういいわ。下がって」
「しかし」
「一人にしてって言ってるの!」
癇癪を起した下賤の血に使用人たち哀れむような目を向けてくる。
彼らの言いたいことはすぐに分かった。
王女だから。王族だから。貴族だから。
たとえ十歳の誕生日であろうと、会えないくらい我慢しろ。
その我慢を強いることが出来るほどお前は恵まれているんだぞ、と。
「こんなことなら」
誰も居なくなった食堂の中で、私は一人、呟いた。
「王女になんて、生まれたくなかった」
王族の義務に固執する兄も、
貴族の血を誇りに思い、ノブレスオブリージュを謳う長姉も、
社交界に流行を流行らせることに使命感を抱く次姉も、
一切ことごとく、私には理解できない。
だって彼らには認めてくれる人がちゃんといるんだもの。
私には誰も居ない。
父も母も兄も姉も、使用人なんて家族とは思えない。
存在を認められていない自分が生きることに意味なんてあるのだろうか。
「……殿下……わ」
廊下のほうで使用人たちが私の愚痴を言っているのが分かる。
人の目のあるところで噂話をするような輩は王族付きになれないはずだけど、私は第三王女で、平民の子だ。離宮にいて誰も近寄ってこないし、彼らも言いたい放題なのだ。
それが悔しくて、悔しくて。
私はなにか言い返そうと使用人たちの声に耳をそばだてたのだけど。
「──やっぱり忌み子だから……陛下も……かしら」
「シッ、あんまり喋るな。十年前のこと──だ。下手に喋ったら──ぞ」
「殿下に似た子供を貧民街で──庭師のサムがいつの間にか──」
…………忌み子?
それは王女教育を受けていた私も初めて聞いた単語だった。
使用人たちの言葉から察するにあまりいい響きではなさそう。
十年前、忌み子。私に似た子供……。
どうにも気になった私は本宮の蔵書室に赴いて調べた。
ジグラッド王国の図書館だから、ここで見つからなかったらこの国では分からないだろうと思ったけど、やっぱりあった。
『忌み子。望まれずに生まれてきた子を指す。奇形児、魔力的欠陥、オッドアイが一般的だが、双子や白髪なども忌み子の対象となる。神話学の見地から言えば、創造神が生んだ双子の片割れが光の神となり、もう片割れが闇の神となって魔族を生んだとされるため、本来一つであるものが二つになると忌み嫌われることが多い。魔力的にもその根拠は見て取れ、双子は異常なほど魔力に耐性があったり、逆に魔力の影響を受けやすかったりする。このため数百年前は実験動物として……』
──すべてが繋がった瞬間だった。
『殿下に似た子供を貧民街で──庭師のサムがいつの間にか──』
私は本を閉じて、しばらく呆然としていた。
忌み子、十年前、母の死、双子、ここまで揃えば答えは一つだろう。
「私には、妹がいる……?」
──そしてその妹は、まだ生きている可能性がある。
当然、その一言で私の妹だと決めつけるのは早計だ。
──でも。
改めて調べてみると、今の王宮に私の出産に関わった人が殆ど居ないのはおかしい。唯一事情を知るメイド長に聞いてみても、やたらと口をつぐんだり誤魔化したりする。平民の母を持つというだけでここまで冷遇されているのも、ちょっと不自然だ。
──怪しい。きな臭い。何かある。
私の生まれには事件の匂いがぷんぷんしていた。
貧民街で見た、私に似た白髪の子供。
他人の空似かもしれない。むしろその可能性のほうが高い。
だけど、本当にいるなら。
私はそれを、確かめずにはいられなかった──。
◆◇◆◇
離宮を抜け出すことは簡単だった。
王宮でも冷遇されている私を真面目に警護している人間なんて居ないし、ちょっとお小遣いを渡せばすぐに黙ってくれる。メイド長だけが問題だったけど、彼女が私の傍を離れる時間は把握していたから、そこも問題ない。
「貧民街……意外と広いのね……」
離宮の土で汚した服装を纏い、泥だらけの私は貧民街に足を踏み入れる。
どこからどう見ても浮浪児にしか見えない様相に加えて、戦争で失業者や浮浪児が増えていたし、住民たちは私を見てもすぐに視線を逸らしだす。私は銅貨を餌に、問題なさそうな相手を使って聞き込みをした。そうしたら、貧民街の外れ、城壁の影になっていて僅かしか日が当たらない廃屋に母娘が住んでいることが分かった。
母娘。そう、母と娘だ。
(お母様は、死んだはず……)
私は胸が締め付けられるような痛みを覚えながらそこに行った。
薄暗い路地裏を歩いていると、心臓がばくんばくんと跳ねてうるさかった。
そして──
「おかーさん! 見て見て! でっかいみみず! あはは!」
「きゃあ! エリィ、そんなもの今すぐ捨てなさい! お願いだから!」
一組の母娘が、光の差す場所でじゃれ合っていた。
「ぁ」
本気で嫌がっている母親の色は雪のように白く、榛色の瞳は穏やかだ。
もう一人の娘も自分と同い年だろうか、同じ髪に、同じ瞳。
その顔は、毎日鏡で見ている自分の顔と同じだった。
「……本当に」
私はフードの中の自分の髪に触れて、唇を噛みしめた。
路地裏から見ている私に気付かず、彼女たちは楽しそうに笑う。
「ほら、そろそろボルドーさんのところに行く時間よ、五分後に出発するからね」
「はーい。みみずさん、ばいばーい」
「こういうところ誰に似たのかしら…………私かぁ……あ、準備しなきゃ」
母が廃屋の中に入っていき、娘のほうはまだ外で遊んでいる。
娘──エリィと呼ばれた子の顔をじっと見つめながら、私は確信を深めた。
「本当に妹が……お母様も、生きて……」
娘のほう顔は私にそっくりだし、血のつながりを感じる。
何より、母の顔は王宮にあるお母様の肖像画そのものだった。
どうして王宮で暮らしていた母が貧民街に住むことになったかは分からない。
私とエリィが双子として生まれたことから、きっと何かがあったのだろう。
でも私は、そんなこと知ったことではなかった。
母が、妹と一緒に住んでいる。
私は、離宮に閉じ込められて一人ぼっち。
「……私、お母様に捨てられたんだ」
母は王宮を抜け出す時、私を連れて行ってくれなかった。
私のことなんか忘れて一人で妹と幸せに暮らしている。
その事実だけが、私にとってのすべてだった。
「…………幸せそう」
きっと貧民街の暮らしは大変なのだろう。身なりは貧相で、痩せていて、満足な食事を摂れているとは思えない。それに比べれば私はその日食べる物にも苦労をしないし、服だって清潔だし、身の回りの世話はメイドが何でもやってくれる。貧民街からすれば、信じられないくらい豊かな暮らしぶりだ。
──でもそこに、家族はいない。
母と幸せそうに暮らす、貧相な身なりのエリィと、
一人ぼっちで誕生日を誰も祝ってくれない、贅沢な暮らしをしている私。
贅沢言うなと言われるかもしれないけど、私は選べるなら前者が良かった。
「ん?」
その時だ。エリィが、こっちに気付いた。
「お姉さん、だれですか?」
「……」
無邪気な笑顔。母との暮らしを信じて疑わない声。
自分と同じ顔なのに、鏡で見る自分とは比較にならないほど明るい表情。
カァ、と顔が熱くなった。
「私は」
──私はお前のお母さんが捨てたお姉さんなの。
──お前のお母さんは私を捨てたのよ。だから、お前も苦しめばいい。
そんな、すべてをめちゃくちゃにしてやりたい衝動が沸き起こった。
私の中の火山が怒りと共に噴火して、灰の雨をエリィの頭にまき散らしそうになる。
だって、ずるいじゃない!
あなたばっかり! あなただけがお母様を独り占めするなんて!
私が! どんな思いをして離宮で暮らしているか知ってるの!?
教育という名の下に知りたくもないことを知って、着たくもない服を着せられて、お義兄様やお義姉様たちに無視されて! 使用人からは馬鹿にされて! お父様からも大事にされない! なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの!? なんであなただけ幸せそうなの!? なんでそんなに貧相なのに満ち足りているの!? なんでお母様はあなたを連れて行ったの!? 私と替わって! 替わってよ!
「私は……っ」
私は、血が出るほど唇を噛みしめた。
噴火寸前まで震えていた肩が、誰かによって叩かれる。
ハッと振り向けば、メイド長が悲しそうな顔をして首を横に振っていた。
「…………っ」
冷や水を浴びせられたような気がして、私はきつく目を瞑った。
息を吸い、深く、長い息を吐きだす。
感情のぶつけ所を失った私は首を横に振って見せた。
「なんでもないわ。お嬢ちゃん、元気でね」
「……? うん、お姉さんも元気でね」
眩しい光に背を向けて、私は暗い路地裏を引き返す。
無気力な日々が始まった。




