第六十七話 ニセモノ姫が選ぶ道
「問いたいこと……?」
「ディアナから聞いた。其方たちの身代わりのことを」
「……っ」
エリィは思わず後退りそうになった。
すべてを知られた。リグネを騙していた事実に押しつぶされそうになる。
顔が蒼褪めたエリィにリグネは尻尾を地面にたたきつけた。
「責めるわけではない」
「え?」
リグネの目はエリィを見つめたままだ。
「事情は理解した。多少、我らを騙していたことに憤りを覚えぬでもないが、むしろ騙しおおせたことは天晴だと言っておく。その上で問いたい」
言葉通り、紅炎の瞳に怒りはない。
ごくりと唾を飲むと、リグネは口を開いた。
「其方は、どうしたい?」
「どう、って」
リグネの目がエリィを通り越して後ろの母へ向けられる。
「其方が母と暮らしたいなら、それも良かろう。我は今後一切、其方の前に現れぬ。この小屋を手勢に守らせ、人族の王都と行き来できるよう計らうことも可能だ」
「それは……」
それはエリィの未来を残す、魔王の恩情だ。
瘴気領域に閉じ込められたまま一生を過ごすのではなく、もしも母が老いて逝ってしまった後も──いや、それ以前にも、エリィが王都で暮らせるようにという寛大な処置。
(でも、こういうこと言うってことは)
エリィは諦めたように俯き、唇を噛みしめた。
(やっぱりわたし、望まれていないのかな)
リグネは優しい魔王だ。
エリィに対してケジメをつけに来ただけで、魔王の妻としての役割はディアナで満足しているのかもしれない。そうじゃなければ、こんな風に道を残したりしないはずだ。
(リグネ様は、わたしよりご主人様を)
「──だがもし、其方が望んでくれるなら」
「え」
エリィは弾かれるように顔を上げた。
ばさりと翼を広げた黒龍の射貫くような眼差しが心臓に突き刺さる。
「我は世界の誰を敵に回しても、其方を幸せにしてみせる」
「……ぁっ」
心臓が甘い音を立てる。
頭が痺れ、瞼が熱くなってきた。
口元を覆ったエリィの頬に、熱い雫がこぼれおちていく。
「なんで、そこまで、わたしを」
「其方を愛しているからだ」
リグネは人の姿にならなかった。
黒龍の姿のままで、エリィにそう告白してくれた。
──種族も違う。寿命も、力も、姿形も違う。
それでも。
「身代わりでもいい。平民でも、メイドでもいい」
エリィが欲しい言葉をリグネは一つ一つ口にしてくれる。
口の端から赤い炎を吐き出し、熱を孕んだ眼差しでエリィを見てくる。
「我は其方と居られる時間を大切にしたい。それでは、ダメか?」
「わ、たしは」
涙が邪魔だ。視界が濡れてリグネの顔が良く見えない。
ごしごしと袖で瞼を拭ったエリィは振り向き、アルテマを見た。
アルテマは優しく微笑み、頷いてくれた。
「……」
エリィはリグネに向き直り、一歩、踏み出す。
「わたしはニセモノで、人族で、平民で……魔王と結婚するのに相応しくないかもしれない」
「……うむ」
「リグネ様が期待しているような能力なんてないし、いつも必死なだけで、空回りして、何もかも裏目に出て……そこまで面白い女でも、ないです」
それでも。
リグネの傍にいたいという気持ちだけは、負けないから。
どれだけ魔王の嫁に相応しくないニセモノでも、その気持ちだけはホンモノだから。「だから」エリィはリグネの頬に手を当て、額を押し付けた。
「わたしが、あなたのホンモノになっていいですか?」
「無論」
リグネの温かい炎がエリィを包むこむ。
とても力強いのに、何も燃やさない、温かいだけの優しい炎。
「何がニセモノかは我が決める」
リグネは両翼でエリィを包み込むように頭を下げた。
額と額をぶつけ合い、竜の言葉がエリィに祝福をくれる。
「其方は、我にとってのホンモノだ」
「……っ」
「我と共に、来てくれるか?」
エリィはこくこくと頷き、瞼を拭き、顔を上げた。
大輪の花が、口元に咲きほこる。
「はい!」
「ありがとう。ならば……エリィ」
リグネが見たのは、エリィの後ろで見守ってくれているアルテマだ。
お別れを告げる時間をくれたリグネに頷き、エリィは母の下へ。
車椅子に座ったアルテマはただ微笑み、エリィを見上げた。
「お別れね」
「……うん」
せっかく拭った瞼がじわりと滲む。
「せっかく会えたのに、ごめんね」
「ううん」
エリィはアルテマの胸に顔を埋め、押し付けた。
すすり泣く娘の頭を撫でながら、アルテマは口を開いた。
「ねぇ、エリィ?」
「なに、お母さん」
エリィの背中をぽんぽんと叩き、
「身体に気を付けてね」
「……っ」
「お酒はほどほどにしなきゃだめよ。悪い人にはついて行っちゃだめ。夫を泣かせるのもだめ。好き嫌いはしないように。困ってる人が居たら助けなさい。お風呂はちゃんと入って、歯磨きもして、お掃除はまめにすること。あと、お菓子はほどほどにね。あなたいつも食べすぎちゃうんだから。虫を拾うのは、もうダメ。それから、それから……」
エリィの頭の上に水滴が落ちて来た。
晴れ渡る空の日差しが母娘に降り注ぎ、アルテマはエリィの額に口づけを落とした。
「エリィ。幸せになってね」
「……ぁ」
「おばあちゃんになるまで長生きして。幸せになりなさい」
「……お母さん」
「それが、それだけが私の……私たちの願いよ」
「……うん」
エリィも、アルテマも、互いに背中に手を回した。
一度ぎゅっと抱きしめる。返す言葉はそれで十分だった。
「時々、会いに来るから」
「えぇ。今度は孫の顔も見せてね?」
「……っ、そ、そういうのはまだ早いから! お母さんのばか!」
ぷしゅー! と頭から湯気を噴き出したエリィは踵を返した。
母の下から旅立つ娘の背中に、
「エリィ!」
「ん?」
アルテマは声をかけ、そして開きかけた口を閉じた。
言いたいことを封じ込める仕草にエリィは首を傾げる。
「なぁに、お母さん」
「……ううん、なんでもない」
アルテマはかぶりを振り、微笑んだ。
「いってらっしゃい」
エリィは笑った。
「行ってきます! お母さん!」
ばさりと、翼を広げた黒龍が人を乗せて空へ飛び立つ。
翼が巻き起こした風がアルテマの髪を揺らし、その姿が遠ざかっていく。
アルテマは、エリィが見えなくなるまで手を振り続けていた。
「この感覚も久しいな。エリィ」
「そう、ですね。リグネ様、なんだか感触が柔らかくなりました?」
「ヌ? あぁ、鱗が生え変わったのだ」
「えぇ!? ドラゴンの鱗って生え変わるんですか!?」
「……ふ」
「なんで笑うんですか」
「いや、それでこそエリィだ」
「?」
エリィが首をかしげると、
『──魔王様!』
「ヌ?」
魔王の眼前に板状の光が照射され、アラガンの顔が映った。
おそらく魔族の通信具かなにかだろう。
『あぁ。魔女将もいたのですね。お説教はあとにするとして』
(や、やっぱりお説教あるんだ……)
『緊急事態です。魔王様』
アラガンは焦ったように叫んだ。
『魔王城に化け物が現れました! 今すぐお戻りください!』




