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第六十六話 あなたに幸せを

 

「お父さん……わたしにお父さんがいるの?」

「エリィ。男と女がいないと子供は生まれないのよ?」

「そ、そっか。そうだよね……コウノトリさんが運んでくるわけじゃないよね」


 アルテマは車椅子からゆりかご椅子に座り直した。

 パチ、と暖炉の火花が弾け、歳の割に若く見える美貌を照らし出す。


「お父さんと私はね……戦争中に出会ったの」

「それって……人族と魔族の?」

「うん」


 人族と魔族の戦争が終結したのはついこの間の話だ。

 エリィが幼い頃にも食べ物に困った孤児が兵隊に志願していたし、上流階級の人間から資産を徴発したり、戦争帰りの兵士たちが貧民街で鬱憤を晴らすという事件も多発していた。


「私は元々、大陸をさすらう流民の家系でね。人族の連合軍に依頼されて、兵士たちの前で踊りを披露することがあったの。その時に出会ったのが、お父さん。一目惚れだって言ってたわ」

「お母さん、綺麗だもんね」

「うふふ。ありがと。だけど、あの人には婚約者がいた……あとから分かった話だけどね。それでもあの人は、私を迎えようとしてくれた。ちょっといい貴族の出だったから、もう一人の妻を迎えること自体は問題視されなかったわ」

「え。じゃあ、私って貴族の血が流れてるの?」

「そうよ」


 てっきり根っからの平民の子だったと思っていたのに。


「妾の子……っていうやつ?」

「平たく言えばそうね」

「嫌じゃなかったの?」

「平等に愛してくれるならそれでもいいやって思ったの、特にあの時代、流民の扱いにはひどいものがあったから……踊り子として生きるのにも苦労していたわ」


 ーー流民の子が貴族と結婚する。


 そのひと言だけで、それからの苦労がまざまざと想像できてしまう。

 現に彼女はエリィと一緒に貧民街で暮らしていたのだ。

 夫が貴族であるのにあんな暮らしをしていたということは、やはりーー


「他の奥さんに、いじめられたり……?」

「ううん、違う」

「……違うの?」

「うん、違う。妻になること自体は問題じゃなかった」


 アルテマは言葉を選ぶように間を置いた。

 苦しそうに顔を歪めて、胸の上をそっと押さえる。


「事件が……事件が起きたの。その内容は、まだ言えないけど……」

「……つらいなら、無理に話さなくても」

「私はその事件で、夫を信じきれなかった。疑心暗鬼にかられて自分のことしか見えなかった。もしも周りに頼っていたら、もしも夫に正直に打ち明けていれば……もっと違う結末になっていたかもしれないのに……その場から逃げ出した」


 エリィは息を呑んだ。

 何が起こったのか分からない。

 けれど母の目は、ここに来て毎朝鏡で見る自分の目に似ていた。


「エリィ。あなたに言いたいのはね」


 アルテマはそっとエリィの頬に触れた。


「後悔はしないでほしいってことなの」

「……お母さん」

「葛藤はあるでしょう。現実は簡単じゃないかもしれない。それでも、勇気を出して打ち明けたり、踏み出していれば変わるものもある。変わらなくても、踏み出したという事実はあなたの中に残るから」


 この母は一体どこまで知っているんだろう。

 魔王城のことは話したけれど、エリィのリグネに対する想いや、ニセモノについて悩んだことは言っていない。それなのに、まるでアルテマは全部聞いた上で話しているような気さえしてくる。


「あなたのお母さんだから」

「……お母さん、魔術師なの?」

「母は強し、よ」


 茶目っぽく片目を瞑ったアルテマにエリィは思わず笑ってしまう。

 つられてアルテマも笑い出して、小屋の空気が明るくなっていく。

 ひとしきり笑ったエリィは笑い涙を拭いた。


「お母さんには敵わないなぁ」


 アルテマはエリィの言葉を待っている。

 榛色の瞳が「なんでも言っていい」と告げている気がして、エリィは俯き、母の手をぎゅっと握った。


「お母さん」

「うん」

「わたしね、好きな人が出来たの」

「……うん」


 エリィは目を瞑り、黒い竜の姿を思い浮かべた。

 彼とのやり取りを思い出すだけで、口元に笑みが浮かんでくる。


「その人はやたらわたしに期待してくるし、強引で、時々おっかないし、勘違いするし、わたしの気持ちにも気付かないニブチンで……」


 だけど。


「とっても優しくて、頼もしくて、ちょっと可愛いところもあって」

「……うん」

「好きになっちゃったの」


 まだエリィからは何も伝えていない。

 ただ彼からの愛情に甘えて、逃げていただけだ。


 ──だから、会いたい。


「わたし、行かなきゃ。会って、伝えたいの」

「……そう」


 アルテマは分かっていたように頬を緩めた。


「そうよね。エリィも、もう十六歳だものね」

「……お母さん」

「私のことは気にしちゃダメよ」


 アルテマはエリィの額を指で小突いた。


「女たるもの、強かに生きなくちゃ」

「でも、せっかく会えたのに」

「またいつでも会えるわ」


 それに、とアルテマは窓の外を見た。

 ばさり、ばさり、と。覚えのある翼の閃きが太陽を陰らせる。


 突然、強風が吹いた。

 小屋ががんがん揺れて、ドスン、と地響きが起こる。


「これ……もしかして」


 エリィは弾かれるように飛び出した。

 勢いよく扉を開けると、丘の上に一匹の黒龍がいた。


「リグネ様……」


 龍の名を継ぐ王は爬虫類じみた瞳孔を細めて、口を開いた。


「エリィ。其方に問いたいことがある」




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