第六十一話 ホンモノ姫の今
──魔王城。魔女将の間。
「ふぅん、うちのメイドはずいぶん頑張っていたようね」
ディアナはここ一ヶ月のあらましをララから聞いていた。
魔女将祭儀。かの恐ろしい四大魔侯と相対し、数々の試練を潜り抜けてようやく魔王の花嫁になることを許されたエリィの奮闘劇を。
「聞く限り、私に再現は無理ね」
「ん」
社交界で数々の修羅場を潜り抜けたディアナをして、エリィの所業は異常と言わざるを得ない。何をどうすればここまで斜め上の結果を得られるのか。自分ならもっと上手な結果を選ぼうとして、そして失敗してしまうだろう。我がメイドながら天晴れだと、ディアナは複雑な思いであった。
「ロクサーナに、セナに、レカーテ様、マザー、リグネ様……呼び方はこんなところかしら」
「ん。うちの知る限りは」
「……ま、最終的には接して見ないと何とも言えないわね」
ディアナはララに聞いた資料をまとめながら髪先をいじる。
ここ一ヶ月で刻み込まれたエリィの軌跡、資料の上からも見える頑張りを感じながら。
ふと、彼女は顔を上げた。
じぃっとこちらを見つめる宮廷魔術師の姿がある。
「……なによ、ララ。そんなにじっと見て。言いたいことがあるなら言えば?」
「姫はおバカ。エリィより重症」
「は?」
唐突な罵倒に面食らうディアナ。
ララはじと目で言った。
「二人とも、本当に大事なことを見失ってる。本当にバカ」
「だからなによ」
「我慢は身体によくない。美味しい物は欲しい時に食べるべき」
「食べ物の話? お腹空いたなら誰かに取ってこさせればいいじゃない。魔王の嫁なんだからそれくらい当然でしょ?」
「……」
ララはやれやれと首を振り、何も言わなかった。
エリィが魔王城を経った翌朝のことである。
ここ一ヶ月の資料を読みこんだディアナは魔王との初対面に臨んだ。
直径二十メルツにもなる食堂は赤と黒の配色がなされており、壁の端に設置された悪魔の像がディアナをじっと睨んでいる気がする。
席に着くと、ケンタウロスの宰相──アラガンといったか。
かっぽかっぽとやって来た彼が、申し訳なさそうな顔をした。
「魔女将様。本日魔王様は食事をとれません」
「……あら。どうしてかしら?」
「脱鱗期……つまり、鱗が生え変わる時期なのです。三日は姿を見せないかと」
「そ、そう。残念ね」
「えぇ、まったく。その姿をお写真に収めて飾れないことが悔やまれます」
やれやれとため息をつくアラガン。
エリィとララの情報によればこのケンタウロスは魔王信望者なのだとか。
であれば、この男を騙せるかどうかはディアナにとって重要な試金石となるだろう。
「それでしたら、アラガン。魔王陛下のお手伝いをして差し上げたら?」
ディアナは言った。
「鱗が生え変わるというのがどういう風かは過分に存じ上げないけれど、ほら、抜け落ちた鱗を掃除する者が必要でしょう? 陛下が最も信頼するあなたなら、彼の鱗を掃除する権利があると思うの。いいえ、きっと陛下もそう望んでいるわ」
「ほう」
アラガンの目が輝いた。
「なるほど、それは思いつきませんでした。流石ですね、魔女将様」
「えぇ、あなたの助けとなれば幸いだわ」
「早速実行に移しましょう。今すぐ食事を用意させますね」
踵を返したアラガンは一瞬だけ立ち止まり、ディアナを見た。
「ところで……」
「どうしたの?」
「いえ、なんでもありません。では」
かっぽかっぽと去った彼の代わりに料理が運ばれてくる。
ディアナはアラガンの後ろ姿を見送りながら内心で呟いた。
──上手く行ったかしら。
見たところ彼が怪しんでいた節はない。
人族にも敏腕として知られる宰相アラガンが入れ替わりに気付かなかったなら、今後も乗り切れる可能性はぐっと上がる。魔王との対面を予期していただけに肩透かし感はぬぐえなかったが、ひとまず安心していいかもしれない。
「それにしても……」
運ばれてきた料理を見てディアナは顔を顰めた。
「これ、食べるの?」
運ばれてきた料理は毒々しい紫色をした甲殻類や、虫の外郭に注がれたスープ、わきわきと動いているサラダなど、とてもではないが食べ物とは言えない品々ばかりだ。むしろ毒物と呼んだほうがしっくりくる。
「今日はディアナ様が大好きなオーガスコーピオンの肉をご用意しました」
侍女らしき魔族の女性が誇らしげに胸を張る。
「どうぞ、ご賞味ください」
「え、えぇ。ありがとう」
ディアナは引きつった笑みで答えながらフォークを取る。
淑女教育で培った表情筋を総動員しながら、食事を進めるのだった。
◆◇◆◇
(うぷ。しばらくあの料理は見たくないわ……結局残しちゃったし……)
味が悪いわけではない。むしろ見た目と比べれば美味しかったのが、王宮の華やかな料理に慣れていたディアナにとってあまりに鮮烈な見た目をしていたので、慣れるのには時間がかかりそうだった。
「エリィはあんなものが好きだったの……?」
「ん。毎日美味しそうにもりもり食べてた」
「嘘でしょ……」
ディアナがげんなりしていると、
「我が愛しの主様! 護衛将軍セナ、ただいま馳せ参じました!」
どだーん! 扉が開き、桃髪の少女が飛び込んできた。
着流しの民族衣装をまとう少女の手には薙刀が握られている。
「見てください! お父様から宝刀アマツカミを頂きました。これで我が主様の敵を叩き斬って見せます!」
(この子は確か……鬼族のセナ、だったわね。エリィを慕ってるという)
こんなに小柄で可愛らしいのにとてつもない怪力なのだとか。
しかしそれ以上にエリィに必要とされることに喜びを感じ、多少の被虐体質がある……。
「二日ぶりね、セナ。あなたが居ないだけで心細かったわ」
「我が主様……!」
感動したように両手で手を組む、セナ。
(うん、この子も御しやすそう。バレてなさそうだし)
勢いあまって怪力で抱きしめられたら大事である。
このまま話していたらボロが出そうということで、ディアナは笑みを浮かべた。
「じゃあ早速で悪いけど、外でわたくしを守ってくれる?」
「へ?」
「だめかしら? あなたが居るのと居ないのとでは全然違うくて」
こてりと首を傾げると、セナは慌てたように居住まいを正した。
「いいえ! とんでもありません! このセナ、身命を賭して我が主様のお部屋をお守りいたします!」
「えぇ、よろしくお願いね」
「はい!」
嬉しそうに微笑んだセナが部屋の外に出ると、ディアナはホッと息をついた。
「エリィはよくあんな子を懐柔できたわね……」
ディアナの目にはセナが内包する魔力が見えていた。
彼女の身体にみなぎっているエネルギーは、およそ尋常のものではない。
女性らしいしなやかな筋肉から繰り出される体術は人族を遥かに凌駕するだろう。
「……怖くなかったのかしら」
「エリィはそんなこと思わない」
「え?」
ララは言った。
「エリィにとっては人族も魔族も一緒」
「一緒? いやいや、そんなわけないでしょ」
人族と魔族はどうしようもなく違うものだ。
身体的な構造も、魔力も、性格も、文化も、環境も、何もかも。
ディアナは戸惑ったように呟いた。
「……エリィ。あなたは一体、ここで何をしたの?」




