第四十四話 どうか、変わらぬ今を
「自分が何を言っているのか分かっているの?」
マザーは鎌首をもたげるように身体を伸ばした。
「忌み子は処分する。それがラミアの掟なの。小さい人が口を出さないで」
母なる蛇の言葉に、周りが同調したように殺気立った。
【そうだ! 人族ごときが何様だ!】
【魔王の妻になるからって図に乗らないで!】
【俺たちの問題に口を出してんじゃねぇよ!】
魔族語で罵倒が飛び交う。
エリィの言葉に反感を持つのはラミア側からすれば当然の話だ。
連綿と受け継がれてきた伝統。積み重ねてきた歴史が忌み子を悪だと断じているからこそ、彼らは強硬に処分を主張するのだ。
「この忌み子が成長して世界に牙を剥いた時、何万人も死ぬかもしれない」
マザーは試すように言った。
「それでもあなたは、この子を生かすべきだというの?」
「……」
「あなたは、やがて死ぬ子たちに対して命の責任を取れるの?」
エリィはゆっくり後ろを振り向いた。テレジアは泣きわめく子供を強く抱きながら、縋るように自分を見ている。エリィは頷いた。任せておけと、眼差しに力を込めて。
「分かったら退いて頂戴。これは子供の入る問題じゃ──」
エリィはお腹が膨れるほど息を吸い込み、
「うる、さああぁああああああああああああああい!!」
喉が潰れそうな大声で、叫んだ。
ざわめきが、ぴたりと止まる。
静まり返った室内で視線を集めたエリィは両手を広げて胸を張った。
「未来だとか! 可能性だとか! 忌み子とか歴史とか! そんなの知ったこっちゃないんですよ! 今、泣いている子供を守れなくてどうして未来が守れるんですか!?」
頭が熱い。身体が勝手に動く。
自分でも驚くほど大きな声が出てしまう。
「二つ頭があるからってなんですか! 一つの身体に双子が生まれたようなもんでしょう!」
「……あのね、あなたは知らないだろうけど……」
「えぇ知りませんとも。それが何か?」
「な……」
千年以上を生きるマザーを相手にエリィは開き直った。
「わたしはラミアの歴史も忌み子のことも何も知りません。マザーに比べたら生まれたばかりの赤子みたいなものです。王女なんて柄じゃないし、力があるわけでも、頭がいいわけでもない。ただの女です。でも、一つだけ分かることがある」
エリィは、こちらをじっと見つめるリグネを見た。
竜族。エリィよりも遥かに長生きする王の中の王を。
「それは我が夫、リグネ・ヴァザークが最強だということです」
「……!」
ラミアたちの表情が変わった。
「忌み子だろうが何だろうが、何か悪さしたらリグネ様が懲らしめます。それだけの力が我らの王にはある。そうでしょう?」
「……それは、そうかもしれないけれど」
「わたしが好きになった人は、歴史なんかに負けるほど軟弱ではありません!」
エリィはリグネを真っ向から見つめた。
「ふ」と、リグネはエリィの隣まで歩き、肩に手を回した。
「そうだな。其方の言う通りだ」
「リグネ様」
「うむ」
リグネはエリィを守るように立ち、ラミアたちに向き直った。
義理とは言え息子に反抗されたマザーは厳しい目つきだ。
「坊や。どういうこと?」
「マザー。我らも変わらねばならぬ時が来ているのかもしれん」
彼はラミアたちに聞かせるように声をあげる。
「人族と魔族が戦いを始め数百年あまり、我はようやく愚かな争いを止め、ここに人族の王女と婚姻を結ぶこととなった。歴史的にも大きく変わろうとしている今、くだらぬ伝統と悪習で未来の芽を摘むことが果たして正義なのか。未来の芽を守るために、我らは戦争の終結を望んだのではなかったか?」
「……」
誰もが忌み子を殺すことを望んだわけではない。
むしろ、罪のない赤子を殺すことに罪悪感を覚える者のほうが圧倒的に多い。
それでも彼らの心配は尽きない。これまで忌み子が起こしてきた事件があるから。
「長く、魔王は四大魔侯の統治に口を挟まなかった。魔王とは力の象徴であり、魔を束ねる王であるからだ。しかし、時代が平和へと向かおうとしている今、魔王の在り方も変わるべきなのだろう……我はこの娘にそう教わった」
故に。
「魔王リグネ・ヴォザークがここに宣言する。これより魔族領域にて忌み子が生まれた場合は両親共々、魔王城で預かりとする」
「!?」
「きちんとした環境を整え、災いなど起こさぬよう教育を徹底しようぞ」
「……」
ラミアたちは顔を見合わせ「それなら……」という声も少なくはなかった。
最終的に彼らの視線は四大魔侯であるマザー・ザリアネスへと向かう。
「……一つだけ聞かせて」
マザーは忌み子でもなく、リグネでもなく。
ただエリィだけを真っ向から見つめていた。
「小さい人。答えは出た?」
「……」
エリィはごくりと唾を飲んだ。先ほどの寿命の話だろう。
あの時、エリィは何も答えられなかった。
人族と竜族の寿命の差に惑い、迷ってしまった。
──でも、今は迷わない。
「わたしたちがどうなるかは分かりません」
人の心は変わるものだ。今はリグネがエリィを気に入ってくれているが、リグネの気持ちがいつまでも変わらないとは限らない。同様に、エリィの気持ちも些細なことで変わるかもしれない。仕方ない。人間だから、そういうものだ。あと何十年も同じ気持ちで居られるか、老いた自分が何を思うのかも分からない。エリィに分かるのは『今』だけだから。
「それでもわたしは、今、この気持ちを大切にしたいです」
逆に言えば、『今』を見ることは出来る。
互いの想いを通じ合わせ、互いに理解を深めていくことは出来るから。
「もう過ぎ去った過去より、先の分からない未来より、今、少しでも楽しい時間を刻みたいです。私が死んだあと、何百年も心の支えになれるような……いつか思い出して、ふと笑えるような……そんな鮮烈な時間を、過ごしてみせます!」
二人で、一緒に。
「…………そう。それがあなたの答えなの」
寿命の問題が解決したわけではない。
そもそも解決できない問題なのだ。
やがてリグネが傷つく結果になるのなら、きっとマザーはエリィを止めるだろう。
しかして。
「──合格」
「え?」
マザーはゆっくりと尾を曲げ、リグネとエリィに頭を下げた。
「魔王陛下と魔女将の仰せのままに」
一人、また一人と。
その場にいた百人以上のラミアたちが、次々と頭を垂れる。
それは新たな魔女将の誕生を認めた証でもあった。
リグネがエリィの頭を撫でて笑う。
「よくやった……そして礼を言う。ありがとう」
「……はいっ!」
エリィが振り向くと、テレジアは涙を浮かべて何度も頭を下げた。
テレジアの夫が謝りながら母子共々抱きしめている。
「あの……魔女将。良かったらこの子を、抱いてもらえませんか」
「あ、はい。大丈夫です……ことよ」
今更王女口調を思い出して取り繕うエリィ。
双頭の子供は驚くほどに軽く、つぶらな四つの目がエリィを見ていた。
「よかったら、名をつけてくれませんか?」
「名前を?」
「はい。魔女将に頂いた名前が、この子を守ってくれる気がするんです」
「そうですね……」
エリィは指に尾を巻き付けてくる赤子を見ながら微笑んだ。
「希望……アマルというのはどうでしょうか」
「希望……いい名前だな」
「ありがとうございます。アマル……あなたはアマルよ」
愛おしそうに二つの額に口づけを落とすテレジア。
母親に愛を注がれた子供はくすぐったそうに身を捩る。
(わたしのお母さんも……こんな風に、愛してくれたのかな)
浮かび上がった感傷を、エリィは振り払った。
もう会えない人のことだ。気にしても仕方がない。
「行くか、エリィ」
「はい」
リグネに手を引かれて、エリィは歩き出す。
そうだ。自分に出来ることは、今を生きることだ。
今はただ、リグネと生きる時間を思いっきり楽しもう。
「今回もよくやってくれた。我は其方に学ぶことばかりだ」
「……えへへ。ありがとうございます」
握られた手は強く、温かく、エリィはほんのりと頬を染めるのだった。




