第四十三話 母の想い、子の願い。
マザーに連れられたエリィはリグネと合流した。
リグネは既に話は聞かされているようで、険しい顔だ。
「あの、わたくし、まだ話が見えてこないのですが」
「ヌ?」
リグネは片眉を上げ、難しい顔で言った。
「まぁ簡単に言うと、族長の娘に子供が生まれたのだ」
「はぁ。それはおめでとうございます?」
「その子に問題があるのだ」
「問題……さっき言ってた忌み子ってやつですか」
「ついて来れば分かるわ」
マザーの言葉にゆっくり頷くエリィ。
一行が到着したのは、ある種の馬小屋のような場所だった。
揺籃の都の、岩壁を削られて掘られたくぼみ。
地面には藁が敷き詰められ、等間隔に置かれた卵が数十個も並んでいる。
(わ、ラミアって卵から生まれるんだ……蛇寄りなのかな……?)
数々の卵を時折ラミアの女性が尻尾で温めており、愛おしそうに撫でていた。
しかし、彼女らの顔は時折曇っている。
彼女らが一様に気にするのは、一番奥の人だかりである。
「──この子は私の子よ! どうするのかは私が決めるわ!」
「だが、その子は恐らく知性もない。ただの怪物だ」
「そんなの育てて見ないと分からないじゃない!」
何やら激しく言い争っているようだ。
エリィはリグネの袖をきゅっと握った。
人だかりがマザーとリグネに気付き、人波が割れる。
「マザー」
「魔王様だ。こんなところにいらっしゃったのか」
「魔女将候補……人族の王女まで」
「マザー! テレジアを止めてください!」
人波の奥にいたラミアの男が叫んだ。
彼の隣には何かを守るようにして抱えている女性が座り込んでいる。
女性はマザーの姿を見ると一瞬悲しそうな顔をして、
「マザーが何と言おうと、私はこの子を手放すつもりはありません」
「……テレジア」
「この子は私の子です。私が責任を持って育てます!」
「貴女の気持ちは分かるわ」
マザーの言葉にテレジアと呼ばれた女性は一瞬安心した顔を見せるが、
「でも、忌み子は処分する慣例よ」
「そんなっ」
悲壮感を見せた女性は抱えているものを守りながら後ずさった。
彼女の後ろは壁だけだ。もう逃げる所はどこにもない。
「あの……忌み子ってどういうことですか」
エリィがリグネに聞くと、
「……見せたほうが早かろう」
リグネがマザーを見て、マザーは頷いた。
「テレジア、その子をみんなに見せてあげて」
テレジアは不安そうにしながらも、布を取り払った。
エリィは息を呑む。
テレジアが抱えていたのは、一つの胴体に二つの頭を持つ赤子だったのだ。
よく見れば、尾のほうも二又に分かれているのが見える。
「……古くに伝わる魔族の伝説に『双頭の蛇』がある」
曰く、その蛇は強大な魔力で揺籃を破壊せし者。
曰く、その尾は大地を破壊し、その頭は炎と氷を操る。
曰く、邪悪なる双頭は世界に混乱を呼ぶ異端者である。
「何万年も前……まだ人と魔が分かれていなかった頃の話だ。神々が作りたもう大地を荒らし、狡猾なる知恵を以て、双頭の蛇は人と魔に決定的な亀裂を入れたと言われている。真偽もはっきりとしない神話の類だが、その後も双頭の蛇は輪廻転生を繰り返し、つい八百年前も魔王に反旗を翻した……それはマザーの実子だった」
「……」
エリィはマザーの顔を仰ぎ見る。
仄かな光に照らされる彼女の横顔は影になっていて見えなかった。
「人族にもあるだろう。落胤の子、黒髪、双子、魔力欠陥、古来から通常より逸脱した赤子を忌み子と呼ぶ習慣はある。事実、彼らが生きた後に争いの種をなった例は枚挙にいとまがない」
「だ、だから……処分、するんですか」
「そうだ。生かしておけば何千、何万人が死ぬ結果になるかもしれない」
「リグネ様も、同じ意見ですか?」
リグネは感情の伺えない声音で言った。
「魔王と言えど、古来から続くラミアの慣習に口を出すことは出来ん」
だから、あんなにも母親は怯えているのだろう。
本来は自分を守ってくれる『母なる蛇』や魔王までもが我が子に敵意を向けているがゆえに。
「そんなことって……」
生まれたばかりの子に、罪があるのだろうか?
確かに争いの種かもしれないが、ただそれだけで赤子を殺していいのだろうか。
不穏な気配を敏感に察知したのか、双頭の赤子が泣き出した。
一つの胴体に、二つの頭。
確かに異型ではある。けれどその鳴き声はただの赤ん坊そのものだ。
テレジアが赤子を宥め、いたたまれない空気が流れる。
「……」
エリィは、貧民街で母親に置いて行かれたことを思い出していた。
あの頃はその日食べるものにも苦労していて、母は外に出かけてくると言ったきり帰って来なかった。捨てられたのだと気付いたのは『ごめんね』という書き置きを見た時だ。あの時、自分はどうすればよかったんだろう。どうすれば母は残ってくれたのだろう。どうすれば一緒に暮らしていけたのだろう。あの時の自分は母に捨てられて泣きわめき、みっともなく誰かに助けを求めていた。
誰も助けてくれないと分かっていたはずなのに。
母が出て行った理由をエリィはまだ分かっていない。
けれど、どうして欲しかったのかは覚えている。
「テレジア。辛いのは分かる。私も同じ気持ちよ。でも……ごめんなさい」
「そんな……あなた! あなたも何か言って!」
「……その子を庇えばお前もタダじゃすまない。テレジア、分かってくれ……」
ラミアたちがテレジアににじり寄り、赤子を取り上げようと手を伸ばす。
テレジアは子供も抱いて身を丸めている。
きっと、古代から何度も何度も繰り返されてきた光景。
自分も母に愛されていたら、あんな風に守ってもらえたんだろうか。
魔王や四大魔侯としての価値観を、エリィは知らない。
知りたいとも、思わないけれど。
子供を愛そうとする母から、無理やり子供を奪うことなど許されるのか?
あぁ、そうだ。
わたしはただ、愛して欲しかった。
「──ダメですよ」
「なに?」
気付けば、エリィはテレジアの前で両手を広げていた。
リグネやマザーが目を見開く前で、エリィは子供の立場として叫ぶ。
「処分なんて、絶対ダメです。お母さんから子供を取り上げないでください!」
この二人を引き離すことだけは、絶対にさせてはならないのだと。




