第四十一話 バブみと仲良しは紙一重
「さぁ、始めてちょうだい」
マザー・ザリアネスは蒼白い顔で震える小人を眺めていた。
小さき人々の王国ーージグラッド王国の第三王女だったか。
名前は聞いていないが、覚える意味もないだろう。
(坊やはこの子のどこがいいのかしら)
マザーにとってリグネとは息子であり主であり使命であり、友人から託された大事な子でもある。千年前の滅竜大戦で両親を失った子供は今や龍の名を継ぎ、魔王と崇められるようになった。魔王としてのリグネをマザーは尊敬しているし、彼が人族との和平を考えた時、マザーは賛成した。王として無為な争いを避けようとするのを見てさすが我が息子だと誇りに思ったものだ。
しかし、人族の王女を娶るのは話が別。
妻。女。番。
これまでリグネに近づく女は数いれど、すべてマザーが排除してきた。
誰も彼もがリグネの力と権力にうつつを抜かし、彼本人を見ていなかったからだ。魔王の責任を負う彼の隣に立てるのは、彼を本人と向き合って、その心を癒せる者でしかあり得ない。つまりバブみである。
(魔侯たちを手懐ける統率力はあるようだけど)
それではだめだ。それでは、愛は続かない。
いずれリグネより強い者が現れ、魔王の座を継ぐだろう。
そうなってなお、彼がそばにいたいと思える人物でなければ。
(あぁ、坊や……! 待っててね、今、ママが悪い虫を排除するから!)
リグネはリグネで、どうも悪い虫に夢中になっているように見える。
今も蒼褪める王女を面白そうに見つめているのが良い証拠だ。
リグネとて男。悪い女に夢中になる気持ちは分かるが、母として放置できない。
「バブみ……バブみ……つ、つまり、アレをするってこと……? いや、でも、わたしにはハードル高すぎて……というかもっと順序を踏んでいきたいって言うか……うう、でも不合格になったら……こ、こうなったら自棄ですわ!」
エリィは勢いよく顔を上げた。
「リグネ様!」
「ヌ」
食事のスープにスプーンを入れ、彼女はそぉっとリグネの口元へ。
「はい、お食事でちゅよ~、あぁ~ん」
(な、あれは!?)
マザーが戦慄する傍ら、エリィはリグネにスープを飲ませた。
顔を真っ赤にした彼女は上目遣いでちらちらとリグネを見て、
「あ、あの……美味しい、ですか?」
「うむ、美味い。其方も飲んでみよ」
「うえ!? わ、わたくしも、ですか……?」
「ほれ、あ~ん、だ」
「あ、あ~ん」
(な、なんてことなの……!)
マザーは凝然と目を見開いた。
(ぼ、坊やが女の子と食べさせ合いっこしてるなんて……! ママにもしてもらったことないのに!!)
エリィがリグネに食事を食べさせようとした時点で及第点だ。
しかし、彼女はさらに発展形。
『食べさせ合う』といういちゃいちゃプレイをやり遂げた!!
あの暗黒龍リグネ・ヴォザークにそれが出来る者は、世界広しといえど──
「す、少しはやるようね」
マザーは咳払いした。
「でもまだまだ! まだこんなものじゃママの境地には足りないわ!」
「も、もっと上、ですか……!?」
確かに、確かにだ。
リグネがエリィに心を許しているのは理解した。
しかし、これからが本番。
魔王の妻たるもの、魔王を甘やかせることが出来なければ死んだも同然!
「じゃ、じゃあ……」
エリィは視線を彷徨わせ、
「ここにソファを用意してくださるかしら」
「お任せください、我が主様!」
「リグネ様、こちらへ」
「うむ」
リグネと共にソファに座ってそわそわとするエリィ。
ここからどうするのかと見守っていると、
「えい」
「「「な!?」」」
リグネの頭が傾き、エリィの膝下へ吸い込まれていく。
その神々しいまでの初々しさにマザーの目は焼かれるようだった。
(その行為は、ま、まさか、膝枕……!?)
膝枕。
それは、相手に相当な好意を持つと証明する女性の必殺スキル。
それは、暖かくて柔らかな太ももに相手の頭を乗せて安心させる効果を持つ。
それは、男性に幼い頃に帰ったような心地にさせるバブみの証である。
「ほう。これはなかなか」
「い、いかがでしょうか」
「悪くない……いや、良いな。これは」
リグネが安心したように目を閉じた。
祭儀とはいえ、公衆の面前で膝枕を断行するエリィの度胸にマザーは戦慄する。
(……いえ、あれは!)
よくよく見れば、エリィの顔は耳まで真っ赤になっている。
ぷるぷると小動物のように震える彼女の初々しさと言ったら!
「なにあれ可愛いわね」
マザーが思わず素で呟いてしまうほどだ。
しかし、エリィの攻撃はこれで終わりではない。
彼女はポーチから先端が湾曲した小さな棒を取り出した。
「では、行きますわ」
「「「は?」」」
エリィが細い棒をリグネに近づけていく。
それは竜族特有の少し尖った耳もとへ向かっていた。
他人の耳に棒を突っ込んで癒しを与える行為は、まぎれもなく。
(耳掃除、ですって……!?)
メイド七つ道具の一つ、耳かき。
主人によく耳掃除を要求されたエリィの腕は埒外の癒し効果を持つ。
「リグネ様、じっとしててくださいねー」
「ウヌ……」
「気持ちいいですかー?」
「うむ。だが……」
リグネは気持ちよさそうに目を閉じながらも、
「其方の顔が見れないのは、少し寂しいな」
「…………っ!」
ーードキュンっ!
女性陣のハートが撃ち抜かれた音を、マザーは確かに聞いた。
凛々しく、雄々しく、誰よりも強い魔王。
彼の寂しげな呟きが女に眠る母性を狙い撃ちしたのだ。
「そ、そんなこと言っても、何も出ないんですからね」
「ふ。其方が我が名を呼んでくれるなら、他に何も要らぬ」
「……っ」
「むしろ、この心地よい行為への対価は何も要らぬのか?」
「え。そ、そうですね……」
エリィは耳掃除の手を止め、手の甲で口元を抑えた。
そっと明後日のほうに視線をやり、真っ赤な顔で囁く。
「あ、あとでギュッてしてくれますか……?」
「よかろう」
二人の周りに小さなハートが咲き乱れるいちゃいちゃ空間。
高濃度の砂糖を突っ込まれた者たちは顔を見合わせる。
「信じられるか、後輩。こいつらまだ結婚式もあげてないんだぜ」
「は、はわわわ、尊い……尊みがすぎる……混ざりたい……!」
「あ、あんたたち、人前で何やってんのよ!?」
「ロクサーナ、お黙りなさい。これは神聖な祭儀です」
「どこが神聖よこの拗らせヘビ女!」
ロクサーナの罵倒はあとで抱きしめの刑に処するとして。
マザーはエリィに耳掃除されるリグネの顔を食い入るように見ていた。
(坊や……こんなに安らかな顔をするようになったのね……)
八百年前にリグネが独り立ちして幾星霜。
気が向いた時に帰ってくる息子は会うたびに殺伐としていて、どれだけ甘えさせようとしても甘えては来なかった。強者ゆえの孤独。その闇の中に閉じ込められていたリグネを、どうやって救えばいいのだろうと苦心したものだ。
(そう……この子が、そうなのね)
リグネにとって、ようやく得られた安住の場所。
彼女の隣でよく笑うリグネこそ、マザーが見たくてたまらなかった息子の顔だ。
ぎゅう、とエリィを抱きしめ、頭を撫でていくリグネ。
ふにゃふにゃと顔面の筋肉が崩壊するエリィを見てマザーはため息をついた。
「もういいわ」
「マザー?」
「もういい。分かったわ。あなたの素質を認めてあげます」
「ザリアネス様……!」
マザーは頷いた。
「私情のない四大魔侯祭儀はこれで終わりよ」
「いや私情しかなかったよね!?」
「次は母親として、お話をしましょうか」
ごくり。とエリィは唾を呑んだ。
食堂から場所を移動しながら、マザーは後ろ目でエリィを見る。
(小さい人。あなたの覚悟……確かめさせてもらうわよ)




