第三十九話 『母』の貫禄
『母なる蛇』の都は魔族領域の最北端にある。
人族の土地同様、北の大地は寒さが厳しい環境のようで、リグネの背に乗って空を飛ぶのは寒すぎた。早々に音をあげたエリィは竜車に乗り込み、ぬくぬくと暖を取っている。
「母なる蛇さんの都市もこんなに寒いんですの……?」
「いや、あそこは温かいぞ」
「でも、あんな雪山と雪原しかなさそうな所なのに」
「行けば分かる」
ちなみに竜車にはリグネとエリィだけで他の者はいない。
従者組は従者組で後ろの竜車に乗っている。
耳を澄ませばやいやいと言い合う声が聞こえるので仲良くやってるのだろう。
「今度は何事もなく終わればいいのですけど」
「そうだな。今回も其方が何をやってくれるのか期待しているぞ」
「……まるでわたくし自分でトラブルを起こしてるような物言いですわね」
「違うのか」
「違いますけど!?」
エリィはただ謎に好感度の高いリグネの期待値を下げたいだけである。
あわよくば幽閉生活も望んでいたが、今回はそれはナシにしようと思っている。
少なくとも、自分の気持ちに決着が着くまでは。
「む。見えたようだぞ」
「どれですか?」
「あれだ」
リグネに肩を抱き寄せられ、顔面が近くなる。
息遣いすら感じられる距離になってエリィは赤面した。
(だ、だからこういうのが反則なんだってば!)
「どうだ。なかなかのものだろう?」
「た、確かに整っていますけど、わたくしは別にリグネ様の顔だけじゃなくて……」
「何を言っている。あれだ」
リグネが指し示した方向を、エリィもつられてみる。
それは、冥府への入り口のようだった。
横幅二十メルトを超えるだろうか、山の斜面にぽっかりと穴が開いている。
天井には蛇の彫刻が施され、左右には門のように二つの石柱があった。
「わぁ……」
「あれが『母なる蛇』マザー・ザリアネスの治める『揺籃都市』への入り口だ」
驚くべきことに、これほどの精緻に整えられた洞窟には警備の魔族が誰一人いなかった。石畳が敷かれた道が洞窟の奥へと続いているだけだ。竜車は洞窟の中へ入っていき、火の玉を吐いて天井に浮かべたリグネにエリィは水を向ける。
「あの……こんな大っぴらに入り口を開けておいて、大丈夫なんでしょうか? 魔獣とか……」
「問題ない。ここらに魔獣は近付かないからな」
「なぜです?」
「マザーが放つ強大な気配のせいだろうな。彼女は四大魔侯最強だ」
「へ? でもアルゴダカール様は……」
「奴は凶暴なだけだ。マザーに言わせれば、『やんちゃ小僧』だな」
「ほえ……」
アレより強いということは、少なくともセナより絶対に強いということだ。
素手の力では魔族の幼子にも負けるエリィである。
マザーとやらには絶対に逆らわないと心に誓った。
(ど、どんな人なんだろう……怖い人が出たらやだな……)
戦々恐々としていたエリィだが、洞窟の奥の景色はしばし恐怖を忘れさせてくれた。どこまでも広がる、巨大な地底都市。天井には太陽とみまがう光る石──燐鉱石の輝きがある。
「うわぁあ……」
平屋の住居が地平線まで続く街並みにはラミアたちの姿があった。
ラミア──上半身は人、下半身は蛇の者達だ。
洞窟の小高い場所から見下ろしたエリィは竜車を降りて街のほうへ。
(すごい……段差がない……すごい……)
感動しすぎて語彙を失うエリィである。
「ふん、相変わらず湿気臭い街ね」
とは、後ろの竜車からやってきたロクサーナの言い分で。
「敵を迎え撃つにはあの広場が良さそうです。メモしておきましょう」
物騒なことを言い放つセナだった。
「ん。美味いもの求む」
ララは決め顔でそう言った。
リグネは苦笑して、
「ここでも宴もあろう。しばし我慢せよ」
「ん。エリィ。うちから離れないように」
「さすがに今回は危険ない……よね?」
疑問形になったのは、エリィやララに向けられる視線が厳しかったからだ。
揺籃都市の住民たちはほとんどがラミアで、ひそひそと囁き合っている。
「気にするな、エリィ。最初はこんなものだ」
「ですか……」
「──あら! あらあらまぁまぁ!」
その時だった。
都市の奥からしゅるしゅると尾を動かして女がやって来た。
周囲のラミアたちは尾を折ってお辞儀し、リグネは一歩前に出て彼女を迎える。
「久しぶりだな。マザー」
「まぁまぁ! 大きくなって、坊や!」
「ぼ、ぼうや……?」
あの魔王を坊や呼ばわりした女を、エリィはまじまじと見た。
顔立ちは端正な美人だ。紫紺の瞳は柔らかく細められている。
ただ、
(おっきな人……)
そう。大きい。
胸も身長も、何もかも全体的に大きい。
尾の長さは三メルトを越え、上半身だけでも三メルトはある。
当然、胸のふくらみも相応の大きさ。
長き巻き毛はカーテンのように隠れることが出来そうだった。
「紹介しよう、エリィ」
リグネはマザーと呼んだ女を差して、
「こいつが四大魔侯の一人、マザー・ザリアネス。まぁ、我が母にあたる人だ」
「はぁ……お母様ですか。それはそれはいつもリグネ様にお世話に……」
エリィは頭を下げながらぴたりと止まり。
「お義母様!?」
「あらあらまぁまぁ」
マザーはくすくすと笑った。
「お姉さんと間違えたなんて、小さい人はお世辞がお上手ね」
(……言ってない!)




