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第三十四話 消えたニセモノ姫

 

 ーー魔族領域、リリス領。


 ーー天上の都、悪魔侯の間。


「うぅ……怒られた……いや、全部自業自得なんだけど……」


 ぐったり、とロクサーナは自室のベッドに倒れ伏していた。

 今回の祭儀で起こした騒動を含め、アラガンにこってり絞られた後だ。


 本来、四大魔侯といえど魔王が選んだ嫁に異議を唱えるのは反逆行為に等しい。

 それも勝負が終わったあとに駄々をこねて都市を大混乱に陥れた罪は、想像以上に重い。そのことをくどくどと怒られたあと、反省文百枚を書かされて、ついでに魔王城の執務諸々も押し付けられて、ようやくすべてが終わったところだった。


「こんな時は甘い物でも食べるに限る……ねぇ、そこのお前」

「ご用意はありますが、もう夜です。よろしいのですか?」

「構わない。今日は例外よ」

「でしたら、今すぐご用意いたしますね」

「ん」


 部屋に控えていた侍女にケーキを用意させるロクサーナ。

 いそいそとベッドから這い出した彼女は椅子に座る。

 侍女はロクサーナにナプキンを着させ、スプーンまで完璧に準備した。


「ご用意出来ました。ロクサーナ様」

「ん」


 すべてを整えさせたロクサーナは目を開く。

 今日のケーキは献上品に入っていた最高級のカカオを使ったチョコケーキだ。表面に粉砂糖がふりかけられ、生クリームが添えられたケーキは見るだけでよだれが出る。普段なら美容に気を遣って夜の間食を控えているが、何か仕事を片付けたあとは話が別。頑張った自分へのご褒美は心の健康へと繋がり、心が元気になれば肌も元気になる。それがロクサーナの考えた美容法であった。


「本日は王女との祭儀お疲れさまでした」

「ん」


 ロクサーナのスプーンがぴたりと止まる。


「ん……んー」


 そのままケーキに手をつけようとすること数秒。

 迷った彼女は侍女を見て、


「このケーキ、もう一個ある?」

「はぁ。ございますが」

「なら用意して。運びやすいように配膳カートも」

「かしこまりました。どこかへお出かけに?」

「まぁ……ちょっとね。自分で運ぶから、お前は付いてこなくていいわ」

「かしこまりました」


 ロクサーナは侍女が用意した配膳カートを押して歩き出す。


「お気をつけて行ってらっしゃいませ。ロクサーナ様」

「ん」


 ロクサーナは目的の場所に到着し、立ち止まった。

 豪華な客室をじっと睨み、視線を彷徨わせる。



(ど、どうしよう。勢いで来ちゃったけど、なんて声をかければいいの?)



 ロクサーナが来た目的は単純。

 大好きなケーキをこの部屋にいるお友達と分かち合いたいというものだった。


(で、でも、いきなりアポなしで訪問するのは無礼……!? い、いえ、なんでワタシがそんなことを気にするの。ワタシはサキュバスの女王。誰もがひれ伏す絶対者なのよ。そう、ワタシが(かしず)くのは魔王様だけ……だ、だからお友達と何を話せばいいか分からないし! 突然訪れて迷惑だったらどうしよう。嫌われちゃうかな……うぅ、やっぱりワタシなんか帰ったほうが……なんで来たんだろ……友達とか言われて舞い上がってるのワタシだけだったら……考えれば考えるほど死にたくなってきたわ……)


「ヌ。ロクサーナではないか。何をしている?」

「ほえぇあ!?」


 つらつらと考えていたロクサーナは魔王の声に飛び上がった。


「ま、魔王様。な、なぜここに」

「なに。我が花嫁を可愛がってやろうと思ってな」

「か、可愛がる(・・・・)!?」


 ロクサーナは戦慄した。


「お、お二人の仲はもうそこまで……わ、ワタシが負けるわけね……」

「うむ。最近のエリィは良い声を出すようになってきてな」

良い声(・・・)!?」


 ロクサーナは顔を真っ赤にして目を逸らした。


「あ、あ~それは、その。お楽しみのようで何よりですわ……」

「うむ。もっと素直になってもいいと思うのだ」

「す、素直……ひゃぅん……」


 ロクサーナの脳内ではピンク色の妄想が留まる事を知らない。

 サキュバスの女王といっても、いや、だからこそ彼女の本命は魔王に捧げるものと決まっていて、知識こそ知っているが実戦を経験したことはない。あまりにも初心すぎるロクサーナの誤解に気付きもせず、魔王リグネ・ヴォザークは首を傾げた。


「ところで、其方は何をしている?」

「え、えっと、ワタシは……」


 リグネはロクサーナの視線が泳いだ先を見逃さなかった。


「そのカートは……ほう、ケーキではないか。もしやエリィと?」 

「い、いえ! これは魔王様と王女に捧げようと思っていたもので、べ、べべべ別にワタシがあの子と食べたかったわけじゃなくて……だから、その……」


 あわあわと混乱するロクサーナは、


「し、失礼します!」

「まぁ待て」


 その場を去ろうとしたロクサーナの肩をリグネが掴んだ。


「あまり我を舐めるな。そう察しの悪い我ではないぞ」

(いや、十分察しが悪いですから!)

「エリィと茶を飲みに来たのだろう? 不器用な其方のことだ。どう声をかけていいのか迷って立ち往生していたな?」

「~~~~っ」


 すべてを見抜かれたロクサーナは真っ赤になって俯いた。


「こ、こういう時だけ察しが良いの……ズルいかと存じます」

「ちょうど、エリィには魔族の友が必要ではないかと思っていた」


 リグネは微笑んだ。


「其方があの子の友になってくれると、我も嬉しい」

「……はい、それは……ワタシでよければ」

「うむ。任せたぞ?」

(……あぁ、やっぱり敵わないな)


 魔王が誰のためにこうしているかを察してロクサーナは苦笑いを浮かべる。

 すべてはエリィのため。

 敵である異種族の地に放り出された彼女を気遣っている。

 自分の為ではないと分かっているけれど、それでもやっぱり嬉しくて。


「とはいえ、一言だけ話させてくれ。我も奴に聞きたいことがあるのだ」

「聞きたいこと、ですか?」

「うむ。それが約束ゆえな」

「はぁ。まぁ、構いませんが」


 リグネはひとつ頷いて、いとも簡単に扉を開いた。


「エリィ、入るぞ」

(ノックもなしに妻の部屋に……さすが魔王様だわ!)


 ロクサーナの戦慄をよそに、リグネはエリィの部屋へ。

 天上都市でも最高級の貴賓室は人族の王宮に近いものになっていて、過ごしやすい環境のはずだ。先ほどのこともあり、まずどう声をかければいいのか悩んでいたロクサーナだったが、


「……居ないな。エリィはどこに行った?」

「え?」


 リグネはすたすたとベッドに近付き、布団をめくる。

 しかし、そこには誰も居なかった。


「……まだ温かい」


 リグネは従者用の隣室に目をやる。

 隣に気配があることはロクサーナも気付いていた。

 リグネに頷いたロクサーナは念のために魔力を広げて敵に備えるが、


「む?」


 そこには、お菓子で頬を膨らませたララがいるだけだった。

 主人をほっぽり出してケーキを食べてるメイドにロクサーナはため息をつく。


「お前、何してるのよ」

「ケーキ食べてる」

「見れば分かるわよ!」

「エリィはどこだ?」


 険の入ったリグネの声に、ララはぱちぱちと目を瞬く。


「居ない?」

「居ない。どこにも」

「散歩?」

「それが分からぬから聞いている。貴様、エリィの護衛だろう。なぜ放置した」

「エリィが一人になりたいって言ったから……しばし待ちなされ」


 思わず身体が竦むようなリグネの物言いにも、ララは動じない。

 彼女は目を閉じて額に指を当てると、


「場所は分かった」

「無事なんだな?」

「無事だけど、やばみが深い」

「なに?」


 ララは目を閉じたまま頬に汗を流す。


「エリィが居るのは北のほう。エリィが行きそうにない場所。誘拐では」

「「な!?」」

「まぁ安心せよ。うちが防御魔術をかけてる」


 ララは得意げに胸を張った。


「術式知らない限りうちの魔術は破れない。えへん」




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