第三十二話 誤解と友情と勝利と
「は、ぁ……? お前、何を言ってるの? 頭大丈夫?」
「癇癪で都市をめちゃくちゃにした人よりはまともなつもりです!」
「……つまり、どういうことよ」
二人を包むリグネの風はゆっくりと流れ、二人は祭儀の館の入り口に着地する。
服を払って地面から起き上がりながら、エリィは「えへん」と胸を張った。
「だから、延長戦ですよ。わたしたちが婚儀をあげるのはまだまだ先のことですから、ロクサーナはその前にリグネ様をわたしから奪ってください。そしたら、すべてが丸く収まります」
「はぁ?」
アホの子を見る目のロクサーナにエリィは得意げだ。
これこそがエリィの考えた完全無欠の勝利をもたらす作戦である。
つまり、結果をうやむやにしてしまうのだ。
(祭儀で負けたからといってリグネ様にアプローチしたらダメっていう法律はないもんね!)
そうしたらエリィの勝利にも傷がつくし、
リグネはロクサーナを殺さず、ロクサーナもリグネにアプローチ出来る。
サキュバスたちは魅了から解放され、ロクサーナも処分されない……
(我ながら完璧すぎて怖い……わたし、ちょっぴり優秀では?)
じぃん。とおのれの閃きに浸るエリィである。
しかし、ロクサーナのほうはそれで納得できなかったようだ。
「意味わかんない。魔王様がワタシを選ばなかったら同じことじゃない」
「それは、今後のロクサーナ様次第と言いますか、明日のことは明日に任せましょうということで……」
「そもそもなんで勝ったお前がワタシを助けようとするの? おかしくない?」
「わたしが勝つことで誰かが死ぬとか後味悪すぎじゃないですか……魔族の死生観のほうがおかしいんですよ」
ロクサーナは鼻で笑った。
「馬鹿ね。ワタシがお前を魅了して操ろうとか考えないわけ?」
「あー、そんな方法もありましたね」
思いつかなかった、とあんぐり口を開けたエリィ。
絶世の美女は失望したような顔をした。
「ほら見なさい。どうせあんたもワタシを遠ざけようとデマを言って」
「──けど問題ありませんね。わたし、なぜか魅了が効かないようなので」
ハッと、ロクサーナは顔をあげた。
まじまじとエリィの目を見る夜色の目が光を放つ。
おそらく魅了の力だろう。
しかし、
「うん、やっぱりなんともありませんね」
「な、なんで……」
「わたしにも分かりませんが、どうやらわたしは特殊なようです」
「そんなことって……」
「ありますよ。というか美しさに虜になる感覚がわたしにはちょっと分かんないです」
エリィは不思議そうに首を傾げた。
「だって、美しさでお腹は膨れませんし」
「は?」
(たぶん、理由はそれだと思う。というかそれしかないよね)
貧民街で生まれ育ったエリィは美しさとは無縁だった。路地裏の影で残飯を奪い合っていたあの頃、綺麗なものよりお腹が膨れるものを求めていた。街を行く人たちがゴミのように捨てていくものが、あの頃のエリィにとってどれだけ貴重だったか。
荒んだ生活が魅了の効かない身体にしてしまったのだとエリィは結論づけた。
「というわけで、はい。まだ文句ありますか?」
「ありますかって……」
「ないなら延長戦をしましょう。ていうかして下さい。それ以外にこの事態を解決する手段なんて思いつかないですし……! ほら、これからも一緒にリグネ様を奪い合いましょ?」
(そしたらいつかリグネ様がロクサーナ様を気に入るかもしれないし!)
そのいつかが三か月以内であればベストだ。
エリィは大手を振るって本物のディアナと入れ替わることが出来るのだから。
しかしどうしたことか、ロクサーナの動きがぴたりと止まった。
「これからも一緒に……?」
「えぇ、そうです」
エリィはそのことに気付かず、
(うっふっふ。相手から見れば痛い出費をさせたと思わせておいて、その実、わたしには得しかない作戦……! わたしも結構悪女っぷりが身について来たね)
内心で黒い笑みをこぼしていると、ロクサーナは震える声で、
「な、なによ……また、鬼ごっこでもするの?」
「そうですね。ロクサーナ様が望むならしてもいいですよ。わたしたちは戦友ですからね」
「戦友……友達……?」
「ですです。一緒に鬼ごっこしたらもう友達ですよ」
「……そう。そうなのね」
よほど悔しかったのだろう。
ロクサーナは涙目でぎゅっと唇を結び、俯いた。
ぽたり、ぽたり、と地面に染みが出来て。
「……そっか。魔王様の言ったことは、こういうことだったのね」
「リグネ様がどうされました?」
首を傾げたエリィに、ロクサーナは顔を上げた。
「ワタシの負けよ。王女」
「は?」
「完敗という他ないわ。魔王様がお認めになっただけあるわね」
「え。いや、あの、延長戦は……」
「やらないわ」
「えぇぇええええええええええええええええええええ!?」
エリィは愕然と目を見開いた。
(な、な、なんで!? さっきまで殺る気まんまんだったじゃん! わたしのこと蹴落とす気で居てくれたじゃん! 延長戦にも乗り気な感じだったし、リグネ様が取られて悲しいから泣いてたんでしょ?)
一体彼女の中でどのような心境の変化があったのだろう。
先ほどまでのやさぐれていた態度はどこかに消えて、清々しい表情だった。
しかし、エリィは困る。
彼女には延長戦をやってもらってリグネにアプローチしてもらわないと。
「あ、諦めたらそこで試合終了ですよ! 一緒に頑張りましょうよ!」
「ううん、いいの」
ロクサーナはゆっくりと首を横に振った。
「生まれてから一番欲しかったものが、手に入ったから」
「え、えぇえ……なんですか、それ。どんな美味しいものなんですか」
「食べられるものじゃないわ」
「ますます分からない……」
どうやら本当に、ロクサーナの中で決着がついてしまったようだ。
夜色の眼差しが柔らかなものに変わっているのを見てエリィは悟った。
「……本当に諦めちゃうんですね」
「勘違いしないで。延長戦はしないけど、ワタシ、リグネ様を諦めたわけじゃないから。あんな魅力的な男は他にいないもの」
「へ?」
ロクサーナはにやりと笑った。
「至上の御方であるリグネ様に妻が一人なんておかしいでしょ?」
「あ……! つまり……!」
「うん。二人目」
ロクサーナは得意げに頷いた。
「歴代魔王の中にもたくさん妻を娶った方はいらっしゃったし……ワタシはそこを目指すことにする」
「で、でも、そしたら……!」
慌てるエリィにロクサーナは微笑む。
「そしたらお前もこれ以上困らないし、リグネ様も幸せ、ワタシも幸せ。ほら、みんなハッピーじゃない? この事態を解決する最善の手段ってこれでしょ?」
(そうだけど! そうなんだけどぉ!)
人族のほうも王様が何人も妻を娶ることは珍しくないが、二番目というものが許されるのなら一連の祭儀自体が意味ないではないか。そう思って聞いてみると、
「そりゃ、一番のほうが強いから目指すに決まってるでしょ。二番目は万が一の保険みたいなものよ」
「保険って……そんな他人事みたいに。いいんですか」
「いいのよ」
エリィには理解できないが、無理強いして事態が悪化するのも困るのだ。
ロクサーナの提案はすべてを丸く収める最高の一手であることに変わりはない。
エリィが結婚回避できないことを除けば、だが。
(いやでも、それが一番問題なんだってば!!)
「だから、その……これからも、一緒に居てくれる?」
頬を真っ赤に染めながら、ちら、ちら、とこちらを見るロクサーナ。
もはや彼女の決意は変えられないこと悟り、エリィは仕方なく息をついた。
(まぁ、見ようによっては素で居られる人が増えたってことで……悪くない、のかな?)
そう思うことにしよう。そう思わないとやってられない。
「仕方ありませんね。ロクサーナ様がそれでいいなら、いいですよ」
「ほんとっ?」
ロクサーナは目を輝かせて身を乗り出した。
絶世の美女の可愛らしい姿を至近距離で見せつけられ、エリィは顔を覆った。
美しさに虜にはならないが、誰もがロクサーナに見惚れる気持ちは分かるのだ。
「ちょ、ちか、近いですから」
「何よ、ワタシの顔に不満でもあるっての?」
「顔面偏差値が高すぎるんですぅ……」
「何言ってんの?」
それはわたしが聞きたい。
「と、友達なんだから、これくらい普通でしょ」
「……」
友達。改めてそう言われると、なんだか感じ入るものがある。
類友だと思っていたセナは忠臣になってしまったし、宮廷魔術師であるララは友達だけれど、大っぴらに素で接することが出来ない相手だ。ディアナに拾われる以前から友達というものに縁がなかったエリィはちょっぴり嬉しくなってしまう。
「分かった。友達なら敬語はやめよっか」
「そ、そうね。もちろん、そうしたほうがいいわ」
「これからもよろしくね、ロクちゃん!」
「ろ、ロクちゃん……!?」
エリィは首を傾げた。
「変かな? サナちゃんだとセナちゃんと被っちゃうし」
「べ、べべべべべ、別にいいんじゃない。勝手にすれば」
「うん! わたしのことはエリィでいいよ!」
「わ、分かったわ……その…………エ……ぃ……」
お気に召してくれたようで何よりである。
ロクサーナはもじもじと指と指を合わせて俯いた。
「初めてのあだ名呼び……なんか友達っぽい……」
「ところでロクちゃん。友達からお願いなんだけど」
エリィは周りを見渡す。
祭儀の館の周りはロクサーナに魅了された魔族であふれかえっていたが、空を飛ぶリグネがちぎっては投げ、ちぎっては投げてララが作った檻壁の中に放り込んでいる。
「とりあえず、みんなの魅了解いてくれない?」
「わ、分かってるわよ! 今やろうとしてたとこなの!」
「あ。それやろうとしなかったやつだ」
「うるさいお馬鹿! そこで見てなさい!」
「ふふ。はーい」
言いながら立ち上がり、魔族たちの魅了を解くために魔力を広げるロクサーナ。
彼女を中心に魔術陣が広がり、魔族たちが次々と我に返っていく。
エリィは疲労感を感じながらそれを見守った。
「……まぁ。たまには、こんなのもいいかな」
ロクサーナが笑っているのを見て、エリィはそう思った。




