第二十五話 美の苦悩
「うーん」
ロクサーナ・リリスは鏡の前で唸っていた。ワインレッドのドレスは膝に切れ目が入っていて足を長く見せている。燐緑石のネックレスが胸元のアクセントになっていて、艶のある髪を後ろに流していた。ロクサーナは身体をひらひらと左右に動かして首をひねる。
「……ちょっと派手かしら」
振り返り、側仕えの一人に問いかける。
「ねぇ、お前はどう思う?」
「とてもお綺麗です! ロクサーナ様!」
側仕えはロクサーナの姿を食い入るように見て両手を合わせた。
「ロクサーナ様より綺麗なものなんてこの世にありません!」
一人がそう言うと、他の者達も同調したように声をあげる。
「本当に。人族の王女なんて自分が惨めで逃げ出すんじゃないでしょうか」
「魔族一の名職人に作られたドレスも、ロクサーナ様の前では形無しですね」
「さすが歴代リリスの中でも最も美しいと言われるお方です!」
側近たちの瞳にはハートが浮かんでいる。
熱に浮かされたような彼らの賞賛に、しかし、ロクサーナは顔を曇らせた。
「……そ。分かったわ。もう下がって」
「「「仰せの通りに。ロクサーナ様」」」
誰も居なくなった室内でロクサーナはため息を吐いた。
冬の冷気が扉の隙間から這い出てきて、ロクサーナの全身を伝っていく。
「……面倒だし、早く祭儀を終わらせましょうか」
ロクサーナが宴の場所へ移動すると、既にディアナ姫が待っていた。
「遅かったですわね、お待ちしておりましたよ」
「ふん、うるさいわね。どうせわたしの勝ちなんだからいいでしょ。大体、あんたは……」
嫌味の一つでも言ってやろうとしたロクサーナは唖然と固まる。
「……あんた、なにそれ?」
「どうかされましたか?」
ディアナの顔は白粉が塗りたくられ、唇は腫れあがったように真っ赤だ。睫毛はくるりとカールになっていて、頬に入ったチークは濃すぎて目も当てられない。まるで化粧は濃ければ濃いほど良いという理念の下、素人が適当に塗りたくったような、そんなお粗末な有り様。
「ぶふっ……あっはははははははは!」
ロクサーナは腹を抱えて笑い出した。
「ぶ、不細工すぎるでしょ。ワタシのお腹を壊す作戦なの!?」
「ふふん。見てらっしゃい。わたくしはこれでリグネ様の心を射止めて見せますわ」
「絶対無理……はぁ、はぁ──あぁ、おかし。警戒したワタシが馬鹿みたい」
心の底から見下したように彼女は言う。
「だったら隣で見てなさい、ブサイク。本当の美しさの前では魔王様さえも形無しであることを教えてあげる」
「はい! ぜひよろしくお願いします!」
「は?」
「ロクサーナは様は本当に美しいですからね!」
「……」
ロクサーナは美しいという言葉が嫌いだ。
それは生まれた頃から自分の隣にあって、努力して手に入れたものではない。
(やっぱりこの子も、他の子と同じね)
ロクサーナが白を黒と言えば黒と答える愚物。
サキュバスの女王が持つ魅了の力の前ではあらゆる生物が虜になる。
唯一の例外は、魔王。
暗黒龍ヴォザークの前でだけ、ロクサーナはロクサーナで居られるのだ……。
「でも、ちょっと派手では?」
不意に告げられた言葉に、ロクサーナは弾かれるように顔を上げた。
不思議そうに首を傾げているディアナを凝視する。
「あなた……今、なんて」
「あ、いえ、別に似合ってないわけじゃないんですけどね?」
ディアナ姫は慌てたように両手を前に出して、
「もっと抑え目な色のほうがロクサーナ様にはお似合いになるんじゃないかなぁ、と。ほら、水色のドレスとか。アメジスト色とかも似合いそうですね。まぁ、ロクサーナ様は何を着ても似合いそうだから、リグネ様も喜ぶかもしれませんが」
「……」
何を着ても似合う──生まれた頃から言われ慣れた言葉。
けれど、この王女に言われた言葉はどこか違っているように聞こえた。
「ふ、ふん。当然でしょ!」
ロクサーナは慌てて妙な感慨を振り切って、
「ワタシが美しいのは世界の真理なんだから。あなたみたいなちんちくりんに負ける道理はないわ」
「はい! 本当にそうですね!」
にこにこ、と満面の笑みを浮かべるディアナ。
「……調子が狂うわね」
「なんですか?」
「ワタシから魔王様を奪う輩は全員敵だって言ったの」
(そうよ。ワタシにはあの人だけだもの。だから……お前は邪魔なの)
ロクサーナは自分に言い聞かせるように言った。
一方、ディアナに扮するエリィと言えば。
(ブサイク! ブサイクだって! やっほぅ! この厚化粧で甘い言葉を囁けば魔王様も見限ること間違いなしだよ!)
別の意味でテンションが高く、終始にこにこと笑うのだった。
そして、祭儀の間が音を立てて開いていく──。




