第二五話 エニル空域会戦 中
エニル空域会戦は、戦いとは到底言えないような形で始まった。少なくとも、クトーシュ家のたった二隻の戦闘艦に対して、メトネロフ側の猛攻が仕掛けられる様を見れば、誰しもが一方的な虐殺だと判断しただろう。
高度を取ったメトネロフ艦隊から、無数の光弾が発射される。まるで手の平から宝石を零れさせたかのような壮麗な景観だが、クトーシュ艦隊にとっては恐怖そのものだった。
事実、クトーシュ側の二隻はろくに応射も出来ないまま逃げ回ることしか出来なかった。
しかし逃げ方そのものは巧妙である。雲海は常に一定の形を保っているわけではない。気流の乱れが、時として強烈に下方から吹き上げることがある。それが黒雲を押し上げ、障壁となってメトネロフ艦隊の前に立ち塞がった。猛毒の瘴気を含んでいるとはいえ、流石に船内にいればフィルターが機能している。しかし船体は大きく揺さぶられ、視界も遮られてしまう。
クトーシュ艦は、その雲の障壁を盾にしつつ旋回機動をとり、メトネロフ側に対して思わせぶりな操艦を続ける。自分たちの領域なだけあって、彼らはどのタイミングで風が吹き上げてくるかを知悉していた。
反撃したとて、艦体相応の武装しか持たないため、なかなか致命傷を与えるには至らない。ややもすればメトネロフ艦の魔力障壁に弾かれることすらあった。しかし、ちまちまと船殻を削がれるのはメトネロフ艦隊にとってフラストレーションである。
「たった二隻だぞ、何をしている!」
その申し訳程度の反撃と、しぶとい回避とが、メトネロフの苛立ちと焦りを刺激するのは必然だった。
ただでさえ彼らの背後からは宗主率いる本隊が迫っているのである。普通の援軍ならば心強いが、絶対権力者の前で不始末を演じるわけにはいかない。たった二隻の軍船など蹴散らして進まねばならないのだ。
クトーシュ艦は雲の障壁を頼りに逃げ回っている。しかし、いくら気流の吹き上げがあるとは言え、彼らが低空で立ち回っていることに違いは無い。
「艦列を横隊に組み直せ! 上空で再集結、急げ!」
ちまちまと逃げ回るのならば、その動きに付き合う必要は無い。メトネロフ艦隊は数の優位という原点に立ち返り、上空からの絨毯爆撃によって地ならしをしようと決心した。
それはクトーシュにとって最も採って欲しくない手である。
だが、だからこそ、この展開になることは読めていた。
「ようやく図が当たりやがった!!」
◇◇◇
メトネロフ先遣艦隊の旗艦オルトルクは、自らを中心に艦隊を再編成すべく、真っ先に高度を上げようと動いていた。
普通ならば、会敵した状態での陣形再編は困難な作業のはずだ。敵の攻撃にさらされながら一定の隊列を組まねばならないため、どうしても犠牲が出るし、完了までの時間も長くなる。
しかし今回は、全ての艦が高速艦で統一されているため、その動きは滑らかだった。何より、突っかかってくるクトーシュ艦隊は、こちらからの応射でろくに近づけておらず、高度も上がっていない。このまま真上から撃ち下ろす態勢が出来上がれば、勝負などついたも同然だ。
だが、そうはならなかった。
メトネロフ艦隊が迎撃と再編に意識を割いた瞬間をつき、何かが雲の中から飛び出してきた。それらをメトネロフが捕捉した時には既に、彼らの懐深くへと潜り込んだ後だった。
何隻かの艦に震動が走った。旗艦オルトルクもそのうちの一つだった。船体が揺さぶられ、艦橋では転倒する者が続出した。砲撃によるものではない。それにしては破砕音が小さすぎる。
「一体、何が……!」
艦長が状況を報告するよう命じる。だが、返ってきたのは悲鳴と、それを打ち消すほどの怒号だった。
「斬り込めェ!!」
鼓膜をつんざくような咆哮と、微かに聞こえた鍔鳴りとが、艦長が最後に聞いた音となった。
艦長席の真後ろから突き通されたサーベルが胸板を穿つ。致命傷を与えた手応えを覚え、ラウーは剣を引き抜いた。
彼ほどの手際でなくとも、クトーシュ兵達は次々とオルトルクの艦橋要員を排除していった。元より艦内での戦闘など慣れていない者達である。奇襲が完全に成功したことも手伝って、展開は一方的なものとなった。
「隊長、制圧完了しました!」
「よぅし、舵は利きそうか?」
「は……機能的には問題ありませんが、艦が言うことを聞きません」
「船ったって生き物だからな。しょうがねぇ、鹵獲出来ないならぶっ壊すまでだ。爆薬仕掛けろ!」
部下の返答を背中で受けつつ、ラウーは階段を駆け下りた。そこにはぶち破られた隔壁と、槍のように鋭い艦首を持った舟艇が突き刺さっていた。踊り場付近では守りのために残した兵達が、登って来ようとするメトネロフ家の船員に対して火槍を突き出している。
船の通路や階段など、どこもかしこも狭く作られているものだ。守る分には都合が良い。突撃艇で乗り込んだのは自分も含めて十五人だけだが、そのうち五人だけでも足止めを成功せしめている。
(一か八かだったが、何とか仕留められたな)
無理やり飛び越えようとしてきた敵兵を斬り捨てつつ、ラウーは心の中で息を吐いた。
先代のインヘルから教わった空挺強襲をもじった、さしずめ空艇強襲といったところだろうか。
クトーシュ側にまとまった艦隊戦力は存在しない。しかし、機動力に特化した小型艇ならばある程度は用意出来る。少数の兵を乗り込ませたそれを、破壊された防御塔内部に伏せさせておき、敵の動きの乱れに乗じて一挙に突入させたのだ。
この空域の気流を完全に理解していた点も大きい。そうでなければ、上昇気流に突撃艇を乗せるなど出来なかっただろう。人工の防衛兵器は破壊されたが、未だこの空域の自然はクトーシュの味方である。
あわよくば敵艦の拿捕まで叶えたかったが、船さえ自意識を持っているこの世界でそれは難しい。しかし艦橋を壊滅させれば、時間稼ぎくらいは出来る。
無論、白兵戦である以上、凄惨な戦いは覚悟しなければならない。この艦についてはラウー直々に指揮したため上手くいったが、他の部隊では手間取ったところもあるだろう。
そもそも小型艇での突撃自体が無茶であり、しかも瘴気渦巻く雲海の中に伏せさせていたというのだから、ラウーの作戦は十分狂気じみている。メトネロフ側が読みきれず、まんまと奇襲を成功させてしまったのも無理からぬことだった。
潜伏の時点で、クトーシュ側にも瘴気にやられた兵が数多く出ている。それでもなお危険な作戦に従事したのは、ルィンドに対する忠誠故だ。
他の宗家より生活水準が高いとはいえ、クトーシュのネビロス達もこの世界の住人である。その点において、作戦を立てたラウーにせよ、従った諸兵にせよ、地球人の視点では等しく狂っていると言えるだろう。
「爆薬設置、完了しました!」
「よし、撤収だ! 次行くぞ!!」
ラウーの命令は危険極まりない。しかし誰も反対しなかった。




