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第二十話 廃都ムルシウス 下

「スヴレス、と呼んでいた。我々の文明が絶頂を迎えた時期に、求められて創った私の作品・・だよ」


 息を殺しつつ書庫や倉庫から必要な本や物品を抜き出した俺達は、それを抱えたまま外部の庭園跡に降り立っていた。


 元々は様々な植物が植えられていたのかもしれないけど、今やそれらは枯れ果てるか、あるいは極端に奇形化しているかのどちらかだった。地面の石畳は木の根によって内側から砕かれ、渇いたままの噴水は端々が崩れている。何もかもが荒涼としている。俺達のちょっとした動作で生じる音が、妙に物悲しく聞こえた。


 ルィンドは本にロマの糸をゆわえながら、もう片方の手で宙に蝶のような空書をなぞる。すると、指の通った軌跡に蒼い糸が残り、本物の生き物のように動き出した。


 糸の蝶達は、積み上げられた本を複数体で協力して持ち上げ、霧の向こうへと運んでいった。


 ルィンドは、そんな作業の合間合間に、あの奇妙な生き物達のことを語った。


「求められた、って……誰に?」


 俺はと言うと、剣の柄を握ったまま首を巡らせることしかしていない。グランギオルの感覚器は、今も学院中を徘徊するスヴレス達を感じ取っていた。正確な数は分からないけど、あの三体だけでないことは確かだ。


「いろんな人から……あるいは皆から、かな。なあ、イブキ。君のいた世界では、産業革命以降に急激な人口増加が起きたんだよね?」


「そう教わったよ」


「ん……ネビロスも同じだったのさ。つまり、便利な技術が発明されれば、それに伴って全体の人口そのものが増加していく。仕組みを詳しく論じ始めたらキリがないけど、やっぱり、根幹にあるのは医療や福祉ってやつさ。


 ネビロスは強者と弱者の間に大きな力の差がある。隔絶していると言っても良い。だから、本来なら力を持った個体だけが生き延びていくはずだった。


 だけど、その強者達が労働力としての弱者を求め、更に耐久力まで求め始めた時に、人口爆発が始まった。


 それがちょうど、私がこの星に生まれ落ちた時期だった」


「……それは、憶えてるんだな」


 千年以上の時を生きていたら、自分がいつ生まれたかなんて分からなくなりそうなものだ。でも、それを実感出来るのは、この世に一人しかいない。


 ルィンドは小さく笑いながら「私にだって子供の頃はあったさ」と言った。


「何もかもが新鮮だった頃も……世界を見る視点が、ただただ純粋で楽観的だった頃も、確かにあったんだよ。


 だから私は、私に与えられた才能が、ひたすらネビロスという種族全体を幸福にしていくのだと信じて疑わなかった」


「……それって、悪いことか? 何か、自分を責めてるように聞こえる……」


「ああ、責めてるのさ」


 その言葉と共に浮かんだ微笑は、さっきとは明らかに種類の異なるものだった。



「私は皆の幸福のために、ありとあらゆるものを生み出した。よこしまな考えなんて微塵もなかった。だって、私は不老なんだから、望めばいつか何だって手に入れられる。そんな私が欲しがったのが、他者からの承認だった。


 だから、創って、創って、創って……私の影響を受けた者達がそれを盛り上げて、拡散して、社会全体が留まることを知らない発展を続けた。


 その果てについに、ネビロスは種族全体の幸福を手に入れたんだ……ほんの一時だけ、ね」



 それこそ理想の社会じゃないか。どうして維持できなかったんだ? そう言いかけた。


 夢みたいな話だ。技術力で誰も彼も幸せにするなんて、地球人には出来なかった。もしかしたらこれから出来るのかもしれないけど、少なくともここまでの歴史では一度たりとも叶っていない。


 だけど……そう、点と点がつながった。



「皆が皆幸せになったから、今度はネビロスに仕える者が必要になった?」



 ルィンドは静かに頷いた。



「だから、私は彼らを創ったんだ」



「……命そのものを?」



「元よりネビロスは共生生物。ギーヴァという道具件隣人と生死を共にしている。命を道具として転用することに、私達の文明は積極的だった。


 だからこそ相互の信頼と、何より命に対する敬意を重視しなければならなかった。そんな古来から続く倫理の箍を破壊したのは、誰あろう私自身だ。私の生み出したものが、もたらした繁栄が、人々から最も大切なものを奪い去ってしまっていたんだ……」



 ルィンドの声はまるで、降り注ぐ灰色の雪と一緒に、この見棄てれらた庭園に積もっていくかのようだった。



「ネビロスがネビロスを使役する、という体制はいつか限界を迎える。種族全体の福祉を向上させようと思ったら、同種族の間で仕える者と仕えられる者がいてはならないからだ。


 全てのネビロスを幸せにするには、際限なく技術を高めていくしかない。技術の向上は種族全体の幸福に比例すると盲信していた……とんだ思い上がりだ。


 なあ、イブキ。君達の文明は、幸せの上限というものを定義出来たか……いや、きっと出来ないだろうね。だから君達は君達のままでいられる。歴史を駆け上る途中の者達にとっては、それで良いんだ。


 だけど……そう、だからよく覚えていてくれ。無批判に繁栄だけを追い求める種族がどのような過程を辿るのか。無邪気なばかりの希望は身を滅ぼす。時として、正しい絶望を認識しなきゃいけない時もあるのだということを……」



 追い求めた果てにあるのが、この瀕死の街と、蠢く奇形達と、そして塔に追い詰められたネビロス……。


 でも、それを知らされたところで、俺にはもう持って帰る術などありはしない。だからルィンドの言い分は破綻している。


 だけど、俺はそれを指摘しようとは思わなかった。そんなこと、ルィンド自身とっくに気付いているはずだ。


 こいつはただ、懺悔がしたかっただけだ。それを聞いてくれる他者が……そしてそれは、この世界の住人ではなく、別世界の人間であるグランギオル()でなければならない。



「……勝手だよ、ルィンド」



 ルィンドは「うっ」と小さく呻き、それから両肩をがくりとさげて「だよね」と情けなく自嘲した。


「今の話、聞いたのは俺が初めてなのか?」


「こうして実物を見せて語ったのは、君が最初だよ。実はこれまでの客人達にも、ちょろちょろ喋ってはいたんだ」


「皆、何て言ってた?」


「ほとんどの連中から、ピンとこないって言われたよ。まあ仕方無いよね。だって、君達の文明が初めて動力飛行を成功させたのが一九〇三年だろ? ましてやそれ以前の連中は工業社会そのものを知らないんだから、無理もないよね」


「……それもそうか」


 ライト兄弟と同じ時代を生きた人の顔を、俺は知らない。ルィンドは知っている。そしてそれよりも前の人達を、今までずっと見続けてきた。


 確かに身勝手な語りかもしれないけど、俺はそれを咎めようという気にはならなかった。


 むしろこいつは、たった一人で難題を背負い続けてきたんだ。


 だから。



「なあ、ルィンド。今、あんたは絶望って言葉を使ったよな? でも、それってちょっと違うんじゃないかな」



「……え?」



「俺は……ルィンドは、ちゃんと世界のことが見えていると思うよ。絶望なんて言葉を使うから、悪いことのように思えるだけで。


 要は、何ていうか……そう」



 言葉が喉に引っ掛かった。言いたい内容は固まっているのに、それをどう表現したら良いか分からない。元々弁が立つ方でもない。困った……。



 ――良い? 人っていうのはね、生きている間に必ず、認めたくないけど認めなければならない何かに出会うものなのよ。



 ――本当に強い人は、それを認められるの。



「……認めるべきものを認めて、認めちゃいけないものは認めない、そういう生き方をしろって話だろ?」



 不意に頭の中に響いた声に突き動かされるようにして、俺は言葉を紡いでいた。



「あんたは過ちを抱えたまま、でも、それを投げ出そうとせずにここまで生きてきた……何だって出来たはずなのに。それだけで、もう十分に誠実だって言えるんじゃないかな?」



「誠実、か……そう言ってくれるんだね、君は」



 俺は他に何も言わず、ただ頷いた。


 今の俺には、こいつの真面目さが良く分かる。こいつは何だって出来たし、どこにでも行けたはずだ。どんな生き方も自在に選べただろう。それこそ、エディルフ・クスェルのような絶対者として君臨することも出来たはずだ。


 だけど、こいつはそれをしなかった。それどころか、弱肉強食が是とされる世界と真っ向から張り合おうとしている。たとえ異界の人間の力を頼ることになったとしても。



「……たはは、参ったね。千年以上生きてみても、まだ教えられることが残っていたなんて。


 そうか……ああ、そうだね。確かに私は、ちょっとは現実ってやつを直視出来ているみたいだ。どうしたって、もう取り戻しようも無い。それが認められる程度には……大人になれたのだろうね」



 本当は、取り戻したくて仕方が無いのだろう。


 最初は気のせいかと思ったけど、ルィンドとの会話を重ねるうちに、もやが晴れるかのように記憶が明瞭になった。


 フォルモンドに召喚されたあの日、ルィンドが机の上で演じて見せた人形劇の舞台……あれは、この場所を再現したものだったんだ。


 今はもう、奇形と化した植物と残骸しか残っていない。でも、この場所を見るルィンドの記憶の中には、かつてここが美しかった頃の風景が残っている。草花や鳥に囲まれ、彼女自身が「認められたい」と思う人々から認めてもらえる場所……。


 今だってルィンドは必要とされている。こいつを認めようとしない者は、フォルモンドにはそうそういないだろう。少なくともクトーシュ家の人々にとっては生神様だ。


 だけどもちろん、そういうことじゃない。


 ここにいた頃のルィンドは、人から認められることで自分を認められていたはずだ。


 今はただ認められるばかりで、心のどこかには孤独がはりついているんじゃないか……。



「認めることから何かを積み上げていくことだって、出来るんじゃないか……?」



 グランギオルになったからって……この世界(フォルモンド)で最強の魔導傀儡だからって、中身は二十歳にも届かない子供だ。それは俺自身が一番良く分かっている。元々、人の心の機微を読んだり、暖かな声掛けをするのも苦手な人間だ。


 それでも、俺はこいつに言ってやりたかった。



「……無邪気な希望が世の中を破滅させるとしたら、そうじゃない希望なら……諦めとか、現実とかにぶつかって、それでも残り続けるような希望なら……本当に価値があるんじゃないかな」



 何で俺、「認める」なんて言葉が出てきたんだろう。


 ……いや、分かってる。これは俺が「言ってもらった」言葉なんだ。それがどんな状況で、誰から言われたか忘れているだけで。でも、情報としての記憶は無いにしても、震えるような感動は心に刻まれたまま残っている。



 そうだ。何もかも忘れ果ててしまったとしても、魂が覚えた激情は決して消えたりはしないんだ。



「私に、まだ希望を持つ資格があるかな」



「ルィンドが誠実さを失わない限り、大丈夫だと思う」



「……ありがとう、君は優しいね」


 

 ――いーちゃんは優しいね。



 ……また、声が重なって奔った。何度となく思いだそうとして、それでもまた何も見えない。


 だけど一つ確かなのは、この声の持ち主が俺にとって必要不可欠な存在だったということ。


 認められ、そして認めていた人だということ……。



 庭園を沈黙が包む。いつの間にか作業は全て終わっていた。


「帰ろっか」


 そう告げたルィンドの表情は、さっきまでと比べて少し晴れ晴れとしていた。でも依然として影を残してもいた。きっと、それが完全に無くなる日は来ないのだろう。そして不老者たるルィンドは、遥か遠くの未来にまでこの想いを抱え続けていかなければならないのだ。


「さて、それじゃあ離陸して……」


 銀翼を広げたルィンドに倣って、俺も大鴉を起動させようとした。


 だが、その瞬間、ムルシウス上空に不可解な音が響き渡った。まるで分厚い鋼板を力任せに両断したかのような、金属質で耳障りな音。それが断続的に鳴り続け、しかも明らかにこちらへと接近してきていた。


「っ、ルィンド! あれ!」


 俺は咄嗟に視界の一点を指さした。そこには急激な機動を繰り返す潜雲艇と、それを追いかける巨大な影があった。


「レニ、運の悪い……イブキ!」


「分かってる!!」


 先ほどまでのもやもやとした論議を吹き払うかのように、大鴉が大きく羽ばたいた。

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