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 病院の玄関ポーチでは研修医がストレッチャーとナースを従えて待っていた。

 診察の結果、本人が訴えていた症状だけで他に何か重要なものはないそうだった。

肺炎など起こしてなくてほっとしたと研修医が言っていた。


 とにかく熱が高いので、点滴には何種類かの薬を使っているとのことだった。栄養の状態もかなり悪いらしく、栄養剤の点滴もあったりと点滴に時間がかかるので一晩入院になるそうだ。


「まったく厄介な患者だなぁ」


 と研修医は言い残して去っていった。

 病室に入ると、点滴に繋がれた貴一が眠っていた。近くに寄ると、若干紅潮した顔で、温度の高そうな息を吐いていた。

 腕に手を触れてみると、悲しいまでに枝のようだった。力を入れたら折れてしまいそう、なんていうのは女子に使う言葉だが。


(今更だけどさ)


 身体も、すぐに壊れてしまいそうな儚さがあり、更にあの母親のもとで、精神は大丈夫なんだろうか。

 何か力になってあげられることはないのだろうか。自分で、そんなことができるのだろうか。


 それでも何かしたい。何かは分からないけれど、一生懸命考えれば思いつくだろうか。


 けれど、こんなに想っていてもおそらく彼の心は伊吹にある。


 何かできることがあって、でも彼がそれをして欲しいと思うのは伊吹に対してだろうか。そうなのだろう。

 伊吹に、いなくなって欲しいなどと、物騒な事を考えてる自分にぞっとする。人に対してこんな事を考えられる自分を発見してしまった。


 背後から吉本が出てきて、少しの間貴一を見つめると、そろそろ帰らないか? と提案してきた。たしかに時間的にももういい頃合いだ。赤と黒の入り交じったような光が、窓を通って部屋の中をぼんやりと照らしている。


「いても仕方ないもんね」

「ああ」

 まことの荷物を吉本が持っていたので、お礼を言ってそれを受け取った。


 病院を出ると、夕闇の中、少しだけ涼しい風が身体にこもった熱を散らしてくれるようだった。沈みかけた太陽がちょうど目の前にあって、眩しい。長い影を後ろに引っ張りながら二人は歩いていた。


「今日は結局なんだったんだろうなぁ。センパイに関しては、ハッピーエンドだったのかな」

「何を急に」

「ううん、なんとなく。恋愛模様的な」

「そういえば、百合というのはレズのことだったんだな。お前はオレを騙していたのだな」

 まことは視線を少し泳がせる。バレてしまったか。バレたところでなんともないが。

「現実にハッピーエンドとかなんとかというのはないと思うぞ。一段落ついたところで、ついた瞬間から現実は続き続けるんだからな」

 続き続けるという日本語があるのかどうなのかは分からなかったが、この場合はたしかにその言葉がぴったりだと思った。これからどう展開していくのかが問題なのだ。


「じゃ、また明日ね」

「おう」


 ☆ ☆


 翌日、研修医に電話をしてみたら、退院は今日の夕方になるということだったので、その日は土曜日で、学校は半ドンなのでお弁当を作っていくので病院食は止めて欲しいと伝えた。その方が貴一も食べやすいだろうとも言っていた。


 いそいそと学校から帰り、気合いを入れてお弁当を作った。なるべく食べやすいものを厳選し、フルーツは多めに入れた。食べられなければ自分で食べればいいのだ。


 作ったらすぐに病院に直行した。

病院の玄関を通ると、外の喧騒が嘘のように消えた。つんと鼻をつく独特の刺激臭が空気を満たし、身体中にまとわりつく。誰もが抑えたトーンで話している。

ここは、外界から切り離されたまったくの別世界だといつも思う。

縁がない人は滅多に来ないが、ここが第二の家になっている人もいる。貴一もそのひとりだ。


 貴一の病室につくと扉が少し開いており、そこから声が漏れ出ていたので足を止めた。特に立ち聞きする気はなかったが聞こえてしまった。


「本当に昨日はごめんなさい。迷惑かけちゃって……」

「いや、いいよ別に。俺がやりたくてやってたんだから。叱られたけどね」

 小さくふたりが笑って、また、ごめんなさいと女の声がした。

「昨日はセンパイのことで頭がいっぱいで……。何も考えられなくて……」

「うん、分かってる」

「熱とか、下がったの? 具合は……」

「熱はなんとか下がってる。普通に喋れるくらいには調子もよくなってるから大丈夫だよ」

「そう……。良かった。昨日のあれでどうかなっちゃったらどうしようって昨夜すごく不安だった」

「どうかって何」

 苦笑交じりに言う。

「……センパイのこと……ほんとは知ってたの。男の人と付き合ってるって。でも実際にそう言われたわけじゃないから、信じたくなくて、ずるずるしちゃって」

「うん」

 ぐすぐすという鼻をすする音のあと、泣き声がする。しばらく続いた後に、宣言するように言う。

「でももうスッキリした。スッキリしたっていうか、スッキリはしないけど、ハッキリしたからもういいことにした」

「そうだね」

「でも、敦実くんはいいね」

「何が?」

「心配してくれる友達とかいて。……私、どうしても喋れなくて。昨日はセンパイのことで頭がいっぱいだったのもあるんだけど、若葉さんがすごく敦実くんのことを心配してたから、私は下手なこと言えないって思ってたのもあったんだ」

「下手なこと言えないってのはないと思うけど。まことにはいつもお世話になっております。センパイとなら喋れるんでしょ? 俺の前でもちゃんと喋るじゃん。今の所はそれでいいんじゃない? そのうちゆっくりと、ひとりずつでもこうやって喋れる人が増えればいいんだけどね。そういうのってきっかけとかないと難しいと思うけど」

「きっかけか。そうだね」

「うん。まぁとりあえずは、弁当ありがと」

「お昼ご飯とか食べちゃったなら夕飯でもいいんだけど」

「うんや。今日は食べてないからこれをいただきます」


 そうして、話はお弁当を食べながら、食べてるものの内容へと変わっていった。


 まことはそのまま屋上に行って、適当な段差に腰掛けた。


(先手を取られた)


 なんだろう。あのいい雰囲気は。

 伊吹は、声は小さいながらもきちんと貴一と会話をしていた。きちんと会話が繋がっていた。きちんと……人間だった。泣いている彼女に、貴一はどうしたのだろうか。細い腕を彼女にまわして、小さくて薄い胸を貸したのだろうか。


 空を見上げると、昨日とは打って変わったいい天気だった。悔しいほどに青空で、太陽の光が世界を照らしている。


(ここに来る前は、この天気がすごく心地よかったのに)


 今はこの天気がすごく嫌味で、雨でも降って欲しい気分だった。女心と秋の空とはよく言ったものだ。


 お弁当箱を開ける。残ったものを食べる気はあったが、全部食べるハメになるとは。箸をとって、むしゃむしゃと食べた。美味しく作ったつもりなのに、なぜかなんの味もしなかった。苺が少し甘酸っぱかった。


 不完全燃焼のままでぷすぷすと燻ってる気持ちは、解決されることなくこのまま燻り続けるのだろうか。それはいつまで続くのだろうか。


 外に出されずに胸に溜まった気持ちが苦しくて、少し泣いた。涙と一緒に、少しでもこれが外にでてくれればいいのにと願って。


 ☆ ☆


「さて、退院だな。ほんとはもっといて欲しいんだけど。せめて熱がちゃんと下がるまで」

「だから、ちゃんと通うって。熱が下がるまで毎日通えばいいんでしょ?」

「無駄に体力消耗することになるんだけどなぁ」

「母さんがまた怒鳴り込んできたらいろんな人に迷惑だから。いいよ。通院で」

 二人が盛大な溜息をついた。

 母親のその時のコンディションによっては、それも充分にあり得る。何度怒鳴り込んできたことか。

「本当はお前の母親も入院させたいとこなんだけどな。精神科に」

「色々とままならないよなぁ」

「ところで、まことちゃん来た? お弁当作るからって言ってたけど。それで昼食STOPしたんだけど。あの子も甲斐甲斐しいよなぁ」

 あ、と貴一が呟いてベッドに座り、頭を抱える。

「どうしたの?」

「それが、ちょっと困ったことに」

 実は、あの時彼女がドアのところにいた事に、貴一は気づいていたのだ。気づいていたが、あのままにしておく他はなかった。というより、流れのままにしておかないとまずいことになりそうだったのであえて何もしなかった。


 貴一は身体の調子の悪い時ほど誰かの心がよく聞こえる。

 調子はそこまでサイアクに悪くはなかったが、いかんせんまことの気持ちが大きすぎた。屋上でどうやら泣いてるっぽいことにも気づいていた。


 母親がみんなに話してしまった内容も、まことから流れてきた。


 そして、普段なら伊吹の心の声は分からないのだが、まことが伊吹の事をずっと考えていたせいで伊吹の気持ちまで少し流れてきたのだ。まことが鏡になっていたかのように。まるで反射するように。まことが考える伊吹像とはまた別だったことが不思議だった。こんな心の伝わり方は初めてだった。


 熱はもともとあったが、頭があそこまで痛くなったのは、いろんな人の気持ちが、いつもと違う風に流れてきたのでそれに当てられたようなものだった。そして調子が悪くなればなるほどたくさん伝わり……。負のスパイラルだった。


「胃に穴があきそうだ……」

「なるほど。そういう顛末が。……うーん、お前の色々な不幸っぷりもここに極まれりって感じだな。気合いの入った不幸少年。自伝でも出したらいいんじゃない?」

 研修医は、とりあえず、みたいな笑い方をした。

「まぁ、考えすぎないで、今まで通りに接したらいいんじゃない? 別にその能力(ちから)については説明する訳じゃないんだし。結局は信じてないんでしょ?」

「なんだけど……」

「おまけに、百合っこちゃんはとうとう百合じゃなくなったんでしょ? いいこともあったんじゃん」

「百合じゃなくなったのかは分からない。また好みの女子とか現れたらときめく可能性も」

 今回のことについては、気が重いネタしかない。

「好みの女子が現れる前に、モノにしちゃえ」

「うるさいなぁ。もう行くよ」

「あいよ。また明日」



 複雑な人間模様から今回の事は始まり、複雑な人間模様は複雑さを増して、事だけは終わった。




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