夜が、明ける
テーゼの要望では、
”あとでヴィシスを城内の広場に連れてきてほしい”
とのことである。
テーゼへの対応は今、ロキエラがやっているらしい。
「来てくれたようですね」
安堵まじりにそう言ったのは、すでに樹と交代してここにいるセラス。
「ここからは一旦、ロキエラに任せるしかないな」
ヴィシスをここに放置しておくわけにもいくまい。
俺はここで、セラスと待つ。
「…………」
すっかり弱り切っている様子だったヴィシスだが。
テーゼ到着の報がもたらされた途端。
様子が変わった――ように見えた。
反応を見るために、あえてヴィシスの前で報告を受けたが。
これは――難しい。
好機と捉えている、とも言えるし。
恐怖を抱いているようにも見える。
――夜は過ぎ去った。
時刻からして、外はそろそろ空が白み始めているはずだ。
「トーカ殿……これで、終わるのでしょうか」
俺は、ヴィシスから目を離さず言った。
「終わらせるさ」
▽
「お待たせ」
ロキエラがやって来た。
彼女はミラの騎士の肩に乗っていた。
「広場で待ってるのかと思ったが」
「そのつもりだったんだけどね。広場に行く前に、テーゼ様がキミに会ってみたいって」
他にも数名、ロキエラはミラの騎士を引き連れている。
さっき【スリープ】をかけたヴィシスを彼らが運ぶそうだ。
俺たちは牢獄を出て、城内の廊下へ移動した。
廊下にはさらに何人かの騎士たちが追加で待機していた。
必要になった時のための人手だという。
騎士の肩から俺の肩へ跳び移ったロキエラが、
「あっちの【スリープ】は、解除してもらってもいい?」
担架に寝かされた樹。
セラスとの交代時に樹は俺が【スリープ】で眠らせていた。
俺は、樹の【スリープ】を解除する。
ぱちり、と目を覚ます樹。
そしてハッとなって身体を起こすと、周囲を確認した。
「――あ、姉貴はっ!? まだ、ちゃんと生きてるんだよな!?」
ロキエラの姿を認め、詰め寄る樹。
詰め寄られたロキエラは――微笑んだ。
「安心して。もう、大丈夫」
込み上げる感情と連動するように、樹の目が潤む。
今のでテーゼの到着も初めて知ったのだろう。
樹は涙を拭う仕草をしてから、
「ま――まあ!? 姉貴が死ぬはずねーとは思ってたけどな! 姉貴は不死鳥みたいに何度だって蘇るし! まあな! わかってたけど!」
後頭部に手をやり快活に笑ったあと、樹は蹲った。
それから重ねた腕に伏せた面を埋め、詰まり気味な声で言った。
「……よかったよぅ、姉貴ぃぃ」
セラスも、助かって本当に良かった、という優しい顔で樹を見ている。
俺は尋ねた。
「十河は?」
「やらせたよ」
得意げに俺へウインクするロキエラ。
「テーゼ様に、きっちり治させた」
「――そう、か」
二人とも、助かったか。
「意識が戻るのには、もうちょっとかかりそうだけどね」
「あれ?」
違和感を覚えた反応をする樹。
今気づいた、という感じで。
樹がゆっくりと、自分の左目にてのひらを添える。
「視え、てる……? ていうか――戻って、る?」
そう。
痛々しく深い傷が走っていた樹の左目。
今は綺麗さっぱり傷が消え、潰れていた目も復元されている。
ヴィシスの【女神の息吹】。
勇者の切断された手首や指を復元したことがある、と聞いていたが。
「時間があんまり経ってないとか、切断された部位が残ってるとか――そういう状態だと、治せる確率が上がるんだ」
ロキエラが説明する。
「でも、ここまでやれるのはテーゼ様くらいの神族だけだし――何より……」
眠るヴィシスを見るロキエラ。
「ヴィシスが異様なほど溜め込んだ根源素がなければ、不可能だった」
眠らせた樹を連れて行ったのは、このためだったのか。
復元されたのは樹だけではない。
ジオの腕も。
ツィーネの脚も。
もちろん聖の指――腕も。
ただ、
「死者だけは、どうにもならないけどね……」
だから、戦場浅葱が生き返ることはない。
聖と十河が生きているうちにテーゼが到着するかどうか。
ロキエラはしきりにそれを気にしていた。
死ねば【女神の息吹】でも復元は不可能。
失われた命までは、神であってもどうにもならない。
それは、予想できていた。
「――俺からも、そのテーゼ様に礼を言いたい」
「その者が、例のヒトですか」
騎士たちが、道を譲っている。
その道を通って現れたのは――
白に近い銀髪。
額のてっぺんから左右に分かれた長い髪。
異様に細い目は――糸目か、あるいは閉じているのか。
そのため瞳から感情はうかがえない。
背も高い。
右手には長柄の杖を持っている。
錫杖を思わせる造りだった。
頭にはティアラのようなものをつけている。
ぱっと見の印象はどこか彫像のような。
ヴィシスやロキエラと比べると正しく神らしい、というか。
神々しいというか――厳かというか。
……あと。
他の女神二人もだが、この女神も微妙に露出が多い感じがする。
そういう種族なんだろうか。
「テーゼです」
名乗ったテーゼのその声は。
澄んでいて、静かで、威厳に満ちていた。
「名は、トーカ・ミモリでしたね。ヴィシス反逆の件への対処。こたびは、大義でした。そなたのおかげで――」
「大義でした、じゃないでしょ!?」
ロキエラが――怒った。
「なに偉そうにしてんのさ、テーゼ様!?」
さすがの俺もこれには一瞬、
”……え?”
となる。
「ロ、ロキエラ……一応、わたくしは序列第二位の……それなりに威厳は大事で、ですね……」
「ボクの懸念に耳を貸さないでこの世界の異変を放置しといたくせに、威厳もクソもあるわけないでしょ!? 偉そうすぎるよ!」
「す……すみません……」
表情はそのままに、青ざめている風に見えるテーゼ。
……なんか微妙に。
想像してたのと、違うな。
「まあ来てくれたからいいけどさ!?」
傾け気味に斜めに顔を伏せ、テーゼがぼそぼそ呟く。
「”閉ざす者””終わらせる者”の因子……”裏切り”の神の因子を持つそなたが言うと、あの反逆宣言は、ちょっと洒落にならない感じがあるのですよ……」
”閉ざす者”
”終わらせる者”
どこかで……聞き覚えがある言葉である。
そう、確か――北欧神話に登場するロキ。
ロキの名に、そんな意味があったんだったか。
名前的に何か関係があるのかもしれない。
「な、ん、で、す、か!? 何か文句があるならはっきり言ってください、テーゼ様!」
「な、なんでもありません……そんなに怒らないでください……怖いんですよ、そなたが怒ると……」
テーゼ様。
……やっぱり、なんか違うな。
思ってたのと。
「ほら、やり直してください!」
「ええっと……天界のごたごたで余裕がなかったとはいえ、わたくしたちがこの世界の小さな異変を”さしたる緊急性なし”と判断したのは、完全な失敗でした。申し訳ありませんでした……」
頭を下げるテーゼ。
俺は部下(?)にやり込められている上司を見て、
「いえ……聞けばそちらも、何やら大変だったみたいですし……」
なんだか気の毒に感じてしまい、逆にフォローしてしまう始末。
「それより、テーゼ様」
俺は姿勢と言葉を正し、
「天界事情がお忙しい時にこうして駆けつけてくださったこと、深く感謝いたします。高雄聖、十河綾香の両名を救ってくださっただけでなく、戦いで腕や脚を失った者たちにも【女神の息吹】を使用してくださったと……ありがとうございます」
言って、頭を下げる。
プンスカと俺の肩の上で仁王立ちするロキエラが、
「いいよいいよ、そんな丁寧に接しなくて!」
俺は頭を軽く上げ、肩のロキエラに視線をやった。
「今は冷静じゃないのかもしれないが、テーゼ様はおまえより上の立場の神族なんだろ? 俺たちのために怒ってくれてるのは嬉しいが……他のヤツらが見てる前でそういう態度を取るのも、あんまりよくないと思うぜ。テーゼ様がさっき言ってたように、テーゼ様にだって立場ってもんがあるだろうし」
「うっ……ぐ、ぐぅの音も出ない正論……うん、でもそうだね……ボクも、ちょっと大人げなかった……」
ロキエラは――冷静になったのか――俺の肩の上で正座した。
そして、しおらしく謝る。
「すみませんテーゼ様……ちゃんと駆けつけてくださった上に、復元治療まで施してくださったのに……ボクの数々の無礼な発言、お許し下さい……」
「まあ……こんな事態になるとは思わず、そなたの進言を軽んじていたわたくしたち側にも非はありましたから……」
駆けつけて一連の治療を終えたあと。
テーゼはロキエラから今回の件について説明を受けたという。
ある程度、詳細に。
通信時以上の情報を知ったテーゼは、考えを改めたそうだ。
あるいは――
天界で起きた神々の夕闇に匹敵する驚異事項だったかもしれない、と。
「……しかし」
厳粛さを取り戻し、眠るヴィシスを静かに見下ろすテーゼ。
「まさか、ヴィシスがそのようなことを企んでいたとは……」
「さっき事前に懸念を示したと言いましたけど……実際は、ボクもちょっと甘く見てました。だからボクも、反省しなくちゃです……」
「それと――」
テーゼの細い糸目の奥にある光が、俺を捉えた気がした。
「神殺しの力、ですか」
何かを見極めるみたいに、俺の方を見ている。
「原初系無効化呪文――禁呪で【女神の解呪】を破壊せねばならぬとはいえ……今回ような、対神族強化を施した神族に対しては……切り札となりうる力なのかもしれませんね」
テーゼは再び顔をヴィシスの方へ向け、
「さて、それでは――」
厳粛に、言った。
「ヴィシスを、先ほどの広場へ」
▽
俺は広場へ向かう途中、前を見たまま隣のセラスに顔を寄せた。
ロキエラは今テーゼの肩に移っていて、話し込んでいる。
耳元で囁くようにして、俺は尋ねた。
「真偽判定で、気になるようなことはあったか?」
「いえ、特には」
「……そうか」
城内の渡り廊下。
半屋外のその廊下からは、朝露に濡れる庭が見えた。
見上げると……空は明るくなりかけている。
俺はセラスから顔を離し、白み始めた空を眺めたまま言った。
「夜が、明けたな」
ぽたり、と。
頭を垂れた庭の植物の葉先から、朝露のしずくが落ちる。
「……セラス」
「はい、なんでしょうか?」
俺は隣り合ったまま、再び顔を寄せた。
そして、とある言葉をセラスの耳もとで囁く。
認識に時間がかかったのか。
セラスの反応は、数拍ほど遅れた。
「…………、――! トトッ……ト――トーカ殿ッ!?」
そして――
急速に耳の先っぽまでほんのり桜色になり、戸惑うセラス。
顔を俺の方に向け、あたふたと忙しい表情をしている。
「あ――ぃぇ、私もそうですが……ど、どうしたのですか急に? 突然、そのような……う、嬉しいですが――」
「……いや、ずっと気を張った様子だからな。決戦後のおまえは、そういう崩れ方をしてなかったし……少し、緊張を解いてやろうかと」
しゅぅぅう、と。
まるで湯気でも出てそうな様子で、俯くセラス。
そして両肩をきゅっと窄め、小声で言った。
「お、お戯れを……」
「別に……戯れでもないさ」
「――え?」
「わかるだろ」
「あ……」
「嘘を言ったわけでもない」
「……は、はい……ありがとう、ございます……」
いつの間にか、ロキエラがこっちを振り返っていた。
ジト目になっていた。
冷やかしみたいな笑みを浮かべている。
……わかるがな、おまえの言いたいことは。
俺は気にせず、セラスに尋ねる。
「体調の方は、大丈夫か?」
「あ、はい。私は眠らせてもいただけましたし、問題ありません。むしろ、あなたこそ大丈夫なのですか? おそらくまだ昨日から一睡も……」
「……納得のいく”終わり”を見届けられたら、眠るさ。ぐっすりと。そうなれば……」
眠ったまま運ばれていく、前方のヴィシスを見る。
そして、言う。
「俺のこの旅も、そこで終わりだ」
▽
広場には、それなりの人数と顔ぶれが集まっていた。
ネーアの女王――カトレア・シュトラミウス。
ミラの狂美帝――ファルケンドットツィーネ・ミラディアスオルドシート。
バクオスの黒竜騎士――ガス・ドルンフェッド。
アライオンのポラリー公爵。
ウルザの竜殺しベインウルフ。
最果ての国の豹煌戦団長――ジオ・シャドウブレード。
蛇煌戦団長――アーミア・プラム・リンクス。
馬煌戦団長――キィル・メイル。
近衛隊長――グラトラ。
魔物たちをまとめあげているケルベロスのロア。
ここに各国の者たちが加わり、ちょっとした人垣を成している。
他にも、ニャンタン・キキーパット。
ムニン、クロサガの者たち。
勇者たち。
ただ、その中に高雄聖と十河綾香の姿はない。
二人はまだ意識が戻っていないためだ。
高雄樹と鹿島小鳩は、並んで立っている。
二人で何か雑談しているようだ。
……鹿島は、高雄姉妹とかなり仲が良くなってるんだよな。
ちなみにニャキは城内の別室で待機中。
そこにはリズの操る使い魔と、ムニンの娘フギも一緒にいる。
スレイも、その部屋で過ごしている。
この広場では――惨い光景が広がるかもしれない。
少なくともその辺りの顔ぶれは、ここにいてよいことはないだろう。
俺がそう判断し、ムニンやニャンタンと相談して決めた。
あと、何人かのクラスメイトたちも別室での待機を選んだ。
想像以上に血生臭い光景を目にするかもしれない。
勇者として、一連の戦いでそういう光景を目にしてきたとしても。
苦手なものは苦手、というヤツもいる。
なので鹿島にも別室待機を進めたのだが、
『わたしは、自分であの迷宮に入る決断もしてるし……その、なんとなくなんだけど――見届けるのが、わたしの義務かとも思って。もしかすると……見届けることで、この世界で起こったことの一つの区切りを自分の中でつけるきっかけにしたい……そういう思いも、あるのかもしれない』
そう言って、広場に顔を出した。
一部の者を除けば特に集合をかけたわけではない。
が、口から口へと伝わっていったのか。
自然と、この広場にはそれなりの人数が集まっていた。
「ピギッ」
ちょっと元気になったピギ丸は、今はもう俺の懐に戻っている。
もちろんセラスも俺のそばについてくれている。
そして――
「これでようやく、エリカの念願も叶ったのだな」
俺の隣でそう言ったのは、イヴ。
イヴは残念そうに、
「リズによると、まだ使い魔と接続できるほど回復していないみたいだが……」
今回の決戦。
大きな功労者の一人はまずエリカで、間違いない。
特に神級魔法とやらを封じることができたのはでかかった。
あとでロキエラの話を聞き、余計にそう思う。
『ヴィシスは戦闘系の神族じゃないから、戦闘系呪文系が元々そんなに得意ってわけでもなかったんだけどね。ところが――今回は黒紫玉による超強化があった。その状態でもし神級魔法の性能まで上がってたらと思うと……考えたくないよねぇ』
エリカ特製の魔導具で、ヴィシスはその神級魔法を使えなかった。
神級魔法については俺も情報がないに等しかったしな……。
ロキエラも、
”黒紫玉で性能が上がって、魔法自体が変異してる可能性もあった”
こう言っていた。
つまり、どんな効果の呪文かを推察するのも難しかった。
強力な未知の呪文が戦いの中で排除されていたのは、でかい。
「ミモリ殿」
声をかけてきたのは――ヴィシスの正面に立つテーゼ。
ヴィシスは今、うつ伏せ気味に広場の中央で眠っている。
「【スリープ】を解除してもらって、よろしいですか?」




