神言
ここでヴィシスにとって一つ、想定外のことが起こった。
分身の能力が――本体の自分を上回っている。
黒紫玉の過剰摂取が原因か。
が、ヴィシスの意識はすぐに別のことへと向けられる。
(他のカスどもはどこだ……?)
気配が二つしかない。
しかし少し前、ヲールムガンドの視界で他の仲間の姿を確認している。
(あの時……)
雁首揃えたバカどもが確かに同一の空間にいた。
なのに今は姿どころか気配もない。
ここに限っては迷宮化が裏目に出ている。
当初は敵の合流を防ぎたかった。
この点で言えば迷宮化は正しい。
だが一方、遠い場所の気配は感じ取りにくくなる。
(元来の用途からして……この迷宮が遭遇の偶然性を重視する以上、当然ではあるが……)
ヴィシスは、あの銀髪の禁字族の姿を探そうとしていた。
この戦いの鍵は禁呪――禁字族。
自分にも分身にも【女神の解呪】は付与されている。
ゆえに、クソ蠅の状態異常スキルはひとまず放っておいていい。
(むしろ【女神の解呪】が効果を示さなかった、あのスキル……)
アサギ・イクサバの固有スキル。
あれこそ危険な力だった。
あれはまさかの【女神の解呪】では防げない力だった。
結果として、あれを処理したヲールムガンドは役立ったとも言える。
あの場へ出していたのが分身だったのも我ながら賢明だった。
慎重姿勢が、圧倒的に功を奏した。
(……どこからくる? 迷宮化しているとはいえ――)
今いるこの空間へ続く通路は一つではない。
二階部分から奇襲してくるかもしれない。
横合いの扉から飛び出してくることだってありうる。
ヴィシスは分身に自身の背後を警戒させながら、微笑んだ。
「それにしても――実にお久しぶりではないですか、ミモリさんっ」
ぐすっ、と涙を滲ませ鼻を啜る。
「うぅ、わたくし感動しました! あの過酷な試練を乗り越え、まさかわたくしのもとまで戻ってくるとは……あ、いえいえ大丈夫ですよ? 廃棄遺跡を見事脱出したので、約束通りあなたには自由を与えます。ですので……」
ヴィシスは笑顔を作るとてのひらを上にし、手を前へ出した。
「あとはどうぞ、ご自由に♪」
くす、と笑みを漏らす。
「しかし……本当にご苦労様でしたねぇ♪ 復讐心に駆られて、汚い羽音をまき散らしながらあちこち各地を飛び回って……ふふ、ここまで一体どんなご苦労があったのでしょう? まあ聞きたくないですけど♪」
ヴィシスはにっこり笑い、
「私……人間の無駄な努力って、大好きなんです♪ あなたの旅は本当に身勝手で、無意味で、無駄な旅だったと思うのです。それに……あのぅ、恥ずかしくはないのでしょうか? 今どき復讐って……子どもじゃないんですから。そもそもあなたが廃棄されたのは自業自得なのでは……? ね? 自己責任の結果でしかないのに、自分の中で勝手に被害者意識を膨らませて、挙句、理不尽な八つ当たりとか……ほんと勘弁してくださいよ……」
ため息をつき、ゆるゆると首を振る。
「そのあなたのわがままにこんなにもたくさんの人を巻き込んで……一周回ってバカなんじゃないでしょうか。恥っていう概念、知って生きてます? あ~幼稚……大人の視点から見ると、かわいそうなほど幼稚すぎます。そういう見当違いな復讐心を向けられた私こそ被害者なのですが? はぁぁ……なんだか被害者ぶってるみたいですけど、ご自身の加害性について一瞬でも考えたことあります……? あ、これは個人の感想なので黙って受け入れてくださいね? 反論してくるとかキショいので。何かご意見があるなら自分の中だけで消化してください。そもそも自分に発言権があると思ってること自体ウザいです。あと、みんなが一々あなたの言葉に耳を貸すと思わない方がいいですよ」
薄目になり、ヴィシスは首をかすかに傾けた。
「あらぁ? もしかして怒ってますぅ~? ねぇ? 神に対して怒っているのでしょうか? まさか私が憎いのですか? ふふふ……憎むならおまえを生んだドブ親どもを恨めばいいのに。うふふ~……あ~そちらは、セラス・アシュレインさんですよね? わたくしたちこうして直接お会いするのは、意外にも初めてなんですよねぇ~♪ わー素敵♪ はじめまして~女神ヴィシスです♪ 神様ですよ~崇めてくださ~い」
「…………」
セラスは反応を返さず、臨戦態勢でヴィシスを見据えている。
「あらあらぁ? ひょっとしてあなたも怒っているんです? えー困りますぅ……ネーア聖国に攻め込んだのはバクオスですよねぇ? わたくしもアライオンもなんの関係もありませんのに~ひ~ど~い~」
かすかにだが。
セラスが、薄唇の端を噛んだ。
(……ふふ)
こちらはとりあえず、反応を引き出せるようだ。
(まあまあまあ……反応せぬよう感情を必死に抑えている姿が、まったくイジらしいこと。ただ、どちらかというとミモリに対する言葉の方に反応しているようでしたねぇ――色ボケの、ブスエルフが。しかし……)
薄闇に浮かぶ蠅王に視線を飛ばす。
(蠅王の伝承……その終盤辺りに登場する、蠅王の後期装束……)
ヴィシスは考える。
分身を試しに一度ぶつけてみるか否か。
「…………」
アルス戦とヲールムガンド戦。
禁呪のおおよその射程距離は、あれで想定できた。
(慎重さ重視で見積もって……)
禁呪の射程距離はおよそ、20ラータル(メートル)強。
この間隔を意識し動けば問題ないはず。
(幸い今いるこの場所なら……)
射程距離分の間隔はとりやすい。
意識を逸らさなければ物陰から奇襲にも対応しやすいだろう。
この距離なら気配察知も機能するはずだ。
近づいてくれば、わかる。
(ちなみに状態異常スキルの方は20ラータル――あるいは20ラータル弱……いやしかし、すべて手の内を見せたわけではないかもしれない。たとえば、アルスを氷漬けにしたあのスキル……)
スキルによって射程が違うことは、ありうる。
(ちっ……アサギめ。どうもあの女ギツネ……私にすべてのミモリのスキル情報を教えていない気がする……いや、一旦あの女から得たミモリの状態異常スキルの情報自体、忘れるべきか……)
嘘をまぜている可能性だってある。
さらに言えば、ミモリはアサギをどこまで信用していたのか。
たとえばあの男がアサギの裏切りを想定していたなら、
(アサギに嘘の情報を教え、間接的に私がその情報を知り……)
その嘘情報を利用した策を考えているかもしれない。
そうだ。
相手の領域で勝負してはならない。
信ずるべきは己の目、思考、感覚で得た情報である。
他は――すべて疑え。
(それに、どのみち禁呪さえ通さなければ状態異常スキルは無効化できる……今の時点で状態異常スキルの方に思考容量を割く必要はない。ゆえに今最も警戒すべきは、やはり禁呪でいい……)
ヴィシスは、両手を広げた。
すでに右腕は刃状に変形させてある。
「ミ~モ~リ~さぁ~んっ!? お話ししましょうと、言っているのですが~? やはり礼儀知らずのクズ人格ですか~? おぉ~い~? 聞~こ~え~て~ま~す~か~?」
「…………」
(――、……くっ)
トーカ・ミモリ。
(いまだ、ひと言も返さずだと……? この、舐めくさったガキが……)
自分への強烈な憎悪はあるはず。
異常な執着心がなければこれほどの復讐旅はやれまい。
そんな念願の”私”と再会したのだから、
(見当違いの勝ち気な言葉や……ゴミのような恨み節なり、チリカスのような悪罵――遠吠えなりあって、当然……なのに、こうも冷静でいられるものか……?)
アルス戦やヲールムガンド戦ではイキってしゃべっていた。
いっぱしの強者面で。
(……何を考えている?)
あの位置から動く気配もない。
ミモリ……
なぜ、沈黙している?




