豹の戦士
前回更新後に1件、新しくレビューをいただきました。ありがとうございました。
◇【イヴ・スピード】◇
城の方角を目指し、イヴ・スピードは迷宮を駆けていた。
(……まだ、誰とも出会わぬか)
それなりの距離を移動している。
が、今のところ味方とは合流できていない。
(この戦いの鍵となるムニンと、もう誰かが出会えているとよいが)
ムニンと近い順番で入った者たち。
タカオ姉妹やアヤカ・ソゴウ。
トーカ、セラス……。
迷宮の傾向に従うなら彼らの方が遭遇率は高いはず。
イヴは迷宮入りの順番をあえてムニンと離した。
ムニンの転送位置が傾向通りでなかった時を考慮してである。
傾向は、傾向でしかない。
絶対はない。
先ほど挙げた者たちと遠い位置にムニンが転送されるかもしれない。
ただ……
転送位置が傾向通りなら、自分がムニンと早期に出会う可能性は低いだろう。
(いずれにせよ、我としても味方の誰かと合流できるのが最善だな)
聴覚に意識を集中させる。
(……離れた場所の音も聴き取りにくいとなると、我の強みも活かせぬな)
とはいえ強く集中すればそれなりに遠くの音を拾えるようだ。
しばらくしてこれに気づいた。
この迷宮の壁は音を吸収する。
が、まったく無音になるわけでもない。
かろうじて音を拾える特段耳がよい自分だからかもしれない。
他の者は、耳を澄ましても本当にごく小さな音しか拾えないのかも――
「 」
時が、停止したかと思った。
そう錯覚するほどの、空白的な驚愕。
そして――圧迫的重圧。
足音はなるべく消すよう意識していた。
逆に周囲の音や気配には意識を集中させていた――
つもり、だった。
なのに”それ”は気配など感じさせず、
そこに、いた。
イヴが通り抜けようとした空間。
その横合い――
「『ワクワクするぜ』」
イヴの豹眼が捉えたそれは。
白騎士のような出で立ちをした――――
「『オレと、勝負だ』」
防衛本能がいち早く反応したか。
イヴは、反射的に防御姿勢を取った。
歯噛みする。
ロキエラの情報通りなら、
(この姿、アルスという名の――)
「神徒か」
▽
イヴは――離脱を選択した。
離脱直前にイヴがいた位置には今、剣を振ったアルスの姿がある。
アルスは剣と盾を装備していた。
――攻撃は回避できた。
(回避に余裕があった……思ったより俊敏さはないのか?)
距離を取るため、アルスと逆方向へ駆ける。
背後からの遠距離攻撃に注意を払いつつ通路を走り抜けた。
神徒の強さはすでに耳に入れている。
(我が単独で勝てる相手でもあるまい。それにしても……)
――ある違和感。
アルスが握っていた剣と盾。
あの体格に比べると、微妙に小ぶりな気がした。
(あの剣と盾……どこかで……? ……そう……あれは、転送を待っている時に――)
「――――」
盾の方に特徴があったから印象が強かったのか。
イヴは元の持ち主を思い出した。
(確か――)
最果ての国の四戦煌の一人、だったはず。
(あの、ラミアの……)
名はアーミア・プラム・リンクス。
彼女も、先発の突入組だったと記憶している。
剣と盾には、少量だが赤い血が付着していた。
(すでに……遭遇してしまっていたのか、あの神徒と)
いや、と最悪の想定を振り払う。
死体はなかった。
なら生きているかもしれない。
生きている――そう思いたい。
背後へ一瞥をくれる。
アルスの姿はない。
足音も……聞こえない。
ただ、遭遇前はあれほどまでに気配を消していたのだ。
どこからか突然現れても、おかしくは――
「む」
別の気配を感じた。
通路を曲がると、前方に二体の聖体が視界に飛び込んでくる。
速度を保ち、二本のカタナで駆け抜けざまにそのまま二体を寸断する。
転送前にジオ・シャドウブレードから譲られた二本のカタナ。
彼らの国にあった封印部屋から出てきた代物だそうだ。
(このカタナ……よくなじむ。それに驚くべきは、切れ味……)
が、今の聖体を容易く倒せても強気にはなれない。
自分にはトーカのような突出した特殊能力はない。
トーカやヒジリのように頭が切れるわけでもない。
今のセラスやアヤカに並ぶ純粋な戦闘能力もない。
(この迷宮の戦い、我にやれるのは戦闘下での補助や支援――いわば、駒としての役割……ッ)
ゆえに。
今は、アルスと”戦える”味方との合流を目指――
「ぐっ」
通路の先に、アルスが現れた。
「『最初から逃げてちゃあ何も始まらねぇ――そういうことだろ? ああ、わかったよ……ここで、戦る』」
待ち構えていたのか。
(くっ……先回りされていた?)
アルスは迷宮の構造を把握している?
不気味なのは”出現”するまで本当に気配がなかったことである。
感覚としては――神出鬼没。
(逃げ切れるのか?)
こんな、怪物から。
何より今は、
(この距離ではっ――)
回避も離脱も間に合わない。
イヴは右手のカタナでアルスの剣を防いだ。
もう片方のカタナに力を込め、アルスの首へ視線を飛ばす。
アルスが盾を持ち上げ、首を守った。
イヴはその守られた首ではなく、がら空きになったアルスの心臓に刃を――
「――ッ!」
アルスの肩の辺りから、二本の鞭のようなものが生えてきた。
あの鞭は、硬軟その性質を変化させる刃でもある。
うち一本が心臓を目指していたイヴのカタナを弾く。
――キィンッ!
響き合う、硬質な高い刃音。
残る右肩の刃鞭がイヴに襲いかかる。
イヴは、身を捻ってそれを躱す。
身体から生えてくる刃鞭。
この攻撃方法もロキエラから情報は得ていた。
そのため、想定外の攻撃ではない。
(おかげで一足早い反応が間に合い、躱せたのかもしれぬ)
高速の攻防を終えたイヴはアルスの膝を蹴った。
その勢いで後ろへ跳ぶ。
――着地。
着地の隙を見逃さず、アルスは追撃をかけてきた。
(この神徒――)
戦士としての感覚は、かなり鋭い。
強者のみが宿す特有の雰囲気がある。
通路を一瞥。
機会があれば再び移動――ここからの離脱を、試みる。
イヴはまた回避行動を取った。
アルスの剣が空を切る。
経験則を動員した先読み。
そして、獣の勘。
かつてイツキ・タカオと戦った時と同じである。
この二つがイヴの回避を”冴えた”ものにしてくれている。
アルスが攻撃と同時に振り回した刃鞭は――イヴまで、届かず。
(ひとまずあの距離が刃鞭の射程とみてよいか……もちろん、今の攻撃はあえて”射程があそこまで”と思わせるための騙しの射程という線も考慮せねばならぬ。しかし今の時点で”決め”にこなかったということは騙しの線も薄い、か?)
アルスの動きが止まる。
攻撃後、アルスはイヴに対し身体が斜めになった状態で停止していた。
やや前傾姿勢のまま。
が、アルスの放つ戦意はむしろ増大していた。
(さて、どうするか……)
こちらが動き出すには間合いも隙も微妙なところである。
イヴはそこで一つ、ある試みをしてみた。
「……尋ねたい」
アルスがゆらりと態勢を戻し、こちらを見る。
「…………」
「そなたの持つその剣と盾……本来の持ち主は、どうした?」
数拍のあと、
「『なあ、ホロエバ。もし金眼の魔物が言語を操れたら……オレは、金眼の魔物をこんな風に殺せてたのかな?』」
アルスは”答えようなもの”を口にした。
しかし、会話が成立したとは思えない。
(誰かに呼びかけるような口調ではあったが……)
周囲を警戒する。
(ホロエバという名の仲間が近くにいる? いや――)
ロキエラの推察を思い出す。
”アルスとの意思疎通は、おそらく不可能”
ごく短い間だがロキエラは以前アルスを観察し、そのような推論を立てていた。
『あくまで印象だけど……意思疎通――話術に引き込むのは難しい気がする。あと……あのアルスって神徒は、もしかしたら神徒化する前の……つまり、過去の自分の言葉の引用でしか話せないんじゃないかな?』
”あの中で話の通じそうな神徒は、ヲールムガンドくらいかも”
ロキエラは、そう語ったという。
(あの者の推察通り、と見てよさそうか)
ならばアーミアの安否を知るのも難しいかもしれない。
ホロエバとやらは、かつての仲間辺りの名か。
(となると……ここから、どう動く?)
アルスを凝視する。
この格の相手だ。
一瞬の判断の正誤が、生死を左右しかねない。
「『……あんたイイな。オレは、強ぇやつと戦うのが好きだ。だから――』」
アルスが腰を深く落とし、構えを取った。
「『もっと、オレと戦ろう』」
重々しく地を蹴り、
ドッ
アルスが、突撃してくる。
単純な突撃。
あまりに単純ゆえに、逆に警戒をしてしまうほどの単純さ。
剣と盾。
二本の刃鞭。
離脱の機を図りつつ、二本のカタナでそれらに対処する。
「『……へぇ? あんた、戦いそのものは嫌いか? 強ぇのに?』」
その言葉は”イヴ”へ普通に語りかけている風にも聞こえる。
やや反響めいて歪んでいるものの、声は若い男のそれに思えた。
アルスの頭部は白い兜がすっぽり覆っている。
なので顔立ちや表情はわからない。
兜の前面にある十字の暗黒の向こうに、ただ金眼が光っているのみ。
もちろん口も見えない。
そのせいだろう。
言葉を発しても”しゃべっている”感じがない。
そう――それは、まるで。
深い闇の向こうから漏れ出る死者の声――その残響のようでもある。
「――――」
二本のカナタを自在に操り、アルスと刃を交わす。
剣戟の中、イヴは考える。
(この者は、戦いを好んでいる)
会話が成立したならば、という前提だが――アルスはこう言った。
イヴは戦いを好んではいない、と。
アルスのその言葉に対し、イヴの中に自問的な思考が生まれていた。
戦士としての誇りはあるつもりだ。
戦う力を持つ意味や価値も一応、知っているつもりだ。
戦いが自分を形作ってきたのも、また事実。
技量が上がる嬉しさや快感も、知っている。
が、
(戦わずに済むなら……やはり戦わぬ日々を過ごせるのが、我には何よりなのだ)
しばらく、エリカの家で戦いと無縁の日々を過ごしていた。
リズと共に。
幸福だった。
だから、
(我ではなく……このような者にこそ、本当の意味で血闘士は向いているのであろうな)
確かに――本質的な部分において、イヴは戦いを好んではいない。
(……それでも)
たとえ一時であれ、平穏を得るために武器を手にし戦う。
イヴ・スピードはそれを価値ある行為だと信じている。
そして、
(我とリズだけが平穏を得ても、仕方ないのだ)
タカオ姉妹。
ピギ丸、スレイ。
セラス……そして、トーカ。
あの者たちもおそらくは同じ。
決して、戦いを好んでいるわけではない。
ゆえに、
(あの者たちの手にも平穏を掴ませてやりたい……戦いから、解放してやりたい。だから――我は、再び剣を取った)
それから、エリカも。
あのダークエルフの戦いも、ずっと終わっていない。
出立前、イヴはエリカと話した。
『そなたはやはり笑わぬのだな。こうして生活しているとどこかで思わずふっと笑みがこぼれそうなものだが、そんな様子もない』
『心から笑うのは、ヴィシスが倒された時と決めているからね。笑いそうになると……自分の中の何かが、勝手に笑みを止めてしまうみたい』
『だから、笑みの代わりにそなたは”笑止”と言う』
『……もう心から笑うことはない――そんな風に思っていたけど。変ね……今は少し、また笑える日が来るのかもしれないと……妾は、そう思っている』
エリカ・アナオロバエル。
(そなたにも我は平穏を……笑える日々を、取り戻してやりたいのだ)
カタナで攻撃を防ぎ――イヴは、声を張り上げた。
「それほどまでに戦いに飢えているか――アライオンの女神の神徒よ! よかろう! ならば、存分に我が相手となってやる! さあ、来るがいい!」
続き、獣の咆哮。
獣性を解き放ったかのような大音声。
気迫で空気が震えていると錯覚するほどの鋭い、猛り。
イヴが吼えた直後――アルスが、しゃべった。
「『はは……ははは! はははは! そう、こなくっちゃな……ッ! ヴィシスの言った通りだ! オレという存在はおそらく――戦いの中にこそ、ある!』」
―― ズンッ ――
アルスの左胸――心臓部。
刃が。
そこを、貫いていた。
「『ぐあぁぁああああ――――ッ!?』」
神徒の背後から突き入れられた、その長き刃の持ち主――
「さっきの大声は……こいつの意識を自分に集中させて、オレの奇襲を成功させるためだな?」
黒き豹人の戦士、ジオ・シャドウブレード。
ジオは忌々しそうに、ふん、と鼻を鳴らした。
「で、その出で立ち……テメェはアルスとかいう神徒か。事前の情報を聞く限りじゃあ――これで、終わりってわけでもねぇだろ」




