バケモノ
”十河綾香と高雄姉妹に限り合流を絶対とせず、自己判断で目標達成のため動くのを可とする”
灯河の指示を思い出し、綾香は思考をフル回転させる。
現状、まだ誰とも合流できていない。
合流を優先してここは一旦退くべきだろうか?
いや、離脱を試みたとして……。
ヴィシスは自分をそうあっさり見逃してくれるのだろうか?
(それとも、私一人で――)
ここでヴィシスを倒す?
私が?
倒せるの?
ヴィシスを?
そもそも――
なぜ、ヴィシスがここに?
おかしい。
そんな、はずは――
「……え?」
ヴィシスが、そばにあった通路に飛び込んだ。
(逃亡した?)
先ほど遭遇した時の反応。
”十河綾香との遭遇は想定外だった”
そんな反応だった。
いや……。
もしかしたら、あの驚いた反応も罠?
誘い込もうとしている?
ここから――どうすればいい?
綾香は、
「【武装――
追う方を、選んだ。
――戦陣】」
固有銀馬を生成し、それに飛び乗って駆ける。
同時に――極弦を使用。
槍を構え、頭を低くしてヴィシスが逃げた通路へ飛び込む。
(速い!? でも……ッ!)
目を閉じる。
神経を聴覚に集中させ、耳を澄ます。
風の音を選り分け――、……
(音が吸い込まれる壁があっても……足音……気配……かすかだけど、これなら追える……ッ!)
音は、完全に消えるわけではない。
カーブをドリフトさながらに曲がり、ヴィシスを追う。
周囲の原型は断片的にしかわからないが、ここは大通りから外れた路地の辺りだろうか。
(私を誘い込むための罠である可能性も、考慮して臨まないと……ッ!)
「!」
見えた。
ヴィシスの背中が。
綾香は広い空間に出た。
元々は憩いの広場だろうか?
白に侵蝕された噴水が見える。
水が出るところは塞がっていて、水は止まっていた。
槍を――投擲。
振り向きつつヴィシスは右腕を鞭状に変形させ、槍を弾く。
ヴィシスは半回転して正面を向き、指先を地面に擦らせつつ止まった。
そのまま綾香に対し、構えを取る。
「ふふ、これはこれは……裏切り者のソゴウさん。思ったより元気そ――――、……、――――ッ!?」
ヴィシスが構えを取った時点で、綾香はその背後まで移動している。
同時に、固有剣もすでに攻撃状態へと移行している。
慌てた様子でヴィシスが振り返ろうとした。
「ちょっ――」
綾香が元いた位置――
ヴィシスの正面には、生成した浮遊武器を配置しておいた。
つまり――後方には十河綾香、前方には浮遊武器。
(逃がさな――)
――ドガァアンッ!――
落雷めいた巨大な破壊音が、綾香の鼓膜を激しく打つ。
「――――ッ!?」
綾香とヴィシスの間の地面に、巨大な質量の何かが衝突した。
岩をも砕く轟雷がごとき衝撃。
驚嘆すべき速度で”それ”は降ってきた。
落着の衝撃によって爆砕した石畳。
飛散した石畳の破片が、宙を舞う。
そして”それ”は――
腕をフックのように振り抜いた姿勢で、そこに現れていた。
黒いヒビめいた溝の奔る白く太い腕。
揺蕩う残心めいた微細な”圧”――
凶悪な腕の周囲で、それが不気味に揺らいでいる。
その揺らぎは、猛暑日に遠くの風景が揺らいで見えるのに似ていた。
着地とほぼ同時――否。
着地の寸前にはもう放たれていた強烈なフック。
しかし、綾香は咄嗟の足さばきでかろうじてそれを回避していた。
(……この巨体と、風貌――)
ロキエラやニャンタンは以前”彼ら”を目にしている。
聞いていた特徴から今の”落下物”が何かを、綾香は推察できた。
蝋細工を塗り固めたような巨躯を持つそれが、悠然と立ちはだかる。
「あー、おめぇさんかい……例の、ぶっ壊れたはずのS級勇者ってのは」
ヲールムガンド。
ヴィシスが両手を合わせ、涙目で礼を口にする。
「あぁ~助かりました~ヲルムさん! うるうる……来てくれると、心から信じていました! ありがとうございます~!」
そのままヴィシスは別の通路の方へ身体を向けると、
「というわけで、あとはお任せましたー! 私はこの裏切りカスの相手はヤなので♪ おほほほほほ! あとで覚えてなさいよ――このアバズレ!」
捨て台詞めいた言葉を残し、駆け出した。
浮遊武器を飛ばすも、すべてヴィシスに弾かれる。
速度を含め、浮遊武器では攻撃力が足りない。
綾香自身も反射的にヴィシスを追おうとする。
が、視線と意識の大半を――
「…………ッ」
立ち塞がる神徒から、外すことができない。
(この相手は……今までの相手と違う……違い、すぎる……ッ! 動けない……隙を見せれば――やられる……ッ)
ヴィシスはすでに、この空間から姿を消してしまった。
(やっぱり、この神徒と私を引き合わせるための罠だったの……?)
しかしここで綾香は疑問に思う。
(ヴィシスは、この神徒と共闘しない……?)
二人で協力して戦えば勝率は上がるのではないか?
なのにヴィシスは――逃亡を選んだ。
なぜ?
「ゲラゲラ……まだ節約状態のヴィシスには、おめぇさんの相手は荷が重いとよ」
疑問を察したかのように、神徒は嗤って言った。
(……いいえ。今はまず、この神徒をどうにかしないと。確かヲールムガンドは……ロキエラさんが言っていた、元神族の厄介な相手……ならここで――)
私が。
元々ヴィシスは、神族としては戦闘向きではなかったそうだ。
片や、ヲールムガンドは圧倒的な戦闘タイプで名高かったという。
『だからヴィシスは、消滅しかけだったヲールムガンドを回収できて大喜びだったはずだよ』
自分の弱点を補えるんだからね、とロキエラはそう言っていた。
つまり戦闘において生半な相手ではない。
大魔帝はまだ成長段階といった印象があった。
あちらは素質に溢れすぎた原石、とでも言えばよいだろうか。
が、このヲールムガンドは違う。
磨き抜かれた完全なる存在。
すでに”完成”されている
「…………」
これまで戦った敵の中でも、まず最強と考えるべきだろう。
すぅぅ……と。
綾香は独自の呼吸法で、自らを深い”臨戦”へと持っていく。
神徒はあさっての方向を向き――しかし隙はなく――人差し指で、己の額を掻いた。
「にしてもよぉ? ゲラゲラ……本気かよ――こいつ? こいつが人間の、異界の勇者ぁ? この――」
ギョロリ、と。
暗黒の眼窩に浮かぶ金眼で綾香を見下ろすヲールムガンド。
薄ら笑いに口を開いたまま、白き神徒は言った。
――――「バケモンが」――ヒュッ――――
固有剣の静かなる神速の横薙ぎが、ヲールムガンドへ向けて放たれた。




