ターミナス
「へぇ、あの桐原君がねぇ。大魔帝倒しちったんだ。ほーん」
手短に経緯を聞いた戦場浅葱が、こめかみに添えた両手で、動物の耳みたいな形を作る。
「びっくりラビット」
薄く、呆れまじりの息をつく狂美帝。
「キリハラが大魔帝を倒した話を聞いても……そちは感情の振れ幅が一定だな。狼狽されるよりはいくらもマシだが」
呼ばれたのは浅葱一人。
鹿島や他の勇者はいない。
また、桐原の伝書そのものは見せていない。
大筋を伝えただけだ。
狂美帝に頼んで、そうしてもらった。
実は、伝書の中に少し気がかりな点があった。
それによって浅葱に余計な情報を与えかねない。
そう判断したためである。
「んー……まー倒すならS級の誰かだと思ってたからね。順当でしょ。んで、自分が倒したってなったら……まーオレ様トップスピードで暴走してっても、彼なら納得デショ。女神ちんも案外、扱いに困ってんじゃね?」
ルハイトが言う。
「彼は正気を失っている、と我々は仮定しています」
「ハハッ、正気と狂気の境目なんて誰が決めるん?って気もしますがにゃ。正気を失っている、とか言っとけば納得してメンタル自己防衛完了するのが自称”まとも”さんたちのテンプレっすからのぅ。まーいいや」
けどさ、と続ける浅葱。
「大魔帝倒したなら桐ちゃん超レベルアップしてんじゃない? どういう要素でレベル上がってんのか今もって不明だけど、スキルもパワーアップマシマシ状態なのでわ?」
「タクト・キリハラの方は、蠅王ノ戦団に任せることになりました」
「ほほー、ま、イんじゃないっすか? 魔帝第一誓をやっつけた無敵の呪術でなんとかしてくださいよォ――――ッ!て感じで。どのみち桐原君はアタシと相性悪いんスよ。アタシの奥の手もさ、桐原君相手だとちょいと決められるか心配なのよ。先日のゼーラじいさんとの違いは……確率の問題かなー。桐ちゃんはねー、ひどく気まぐれなんだよ。猫のごとくね。あるいは、それ以上に」
気まぐれで致命傷受けるとかそんなのたまらん、と身震いする浅葱。
「一貫性があるようでない……常に結果が振れてて量子的、みたいな? ありり? てかそもそも、今どき量子論とか持ち出すのさすがに古いっすか?」
頭痛に悩むように額へ手をやるカイゼ。
さっきから態度を見る感じ、浅葱が苦手なのかもしれない。
「リョウシロンがなんなのかはわからんが……陛下は君たちにアヤカ・ソゴウの説得を頼みたいと考えている。状況は、さっき聞いた通りだ」
「いっすよ?」
「……あっさりだな」
「だって蠅王ちんたちを除いたら、他にあの大正義ガールを止められるのはミラにはアタシらしかいないっしょ。で、蠅王ちんは桐ちゃん担なんでしょお? じゃー消去法でアタシらじゃん」
狂美帝が尋ねる。
「説得の勝算は?」
「ある意味、ここにいる誰よりも高いかもねーん」
そう。
浅葱の言葉は正しい。
十河綾香は……
「ていうか今の状況だと、あの子の最大の弱点と言ってもいい。あの子は、クラスメイトを殺すことは絶対にできない。絶対に」
重傷を負わせることもね、と浅葱は付け加えた。
「あの態度悪い上級男子勇者トリオすら守りたいとか抜かしてたんですヨ? しかもアタシらの中には綾香と絆してるポッポちゃんまでいる。そして今聞いた話だと……女神ちん抜きで元の世界に戻る方法、手に入ったんすよね?」
「アライオンの王城にあるという召喚に使用される魔法陣と、大魔帝の心臓、あるいはその中の邪王素を吸収した首飾りが必要だがな。後者は、キリハラが所持しているのを期待するしかないが」
「桐ちゃんのことだから、自分が倒したって証明をしたいからそこはしっかり所持してるんじゃないっすかね? まーともかく、女神ちんハブって帰還できんなら説得材料としては上等でしょ。委員長だってあのおばさん頼みはヤだろうし」
狂美帝が言った。
「そちたちが説得に失敗し、捕縛される可能性も考えられるか?」
「あー……強引に捕縛ってのはありうるかもねぇ。むぅ。あえて捕縛されて、女神ちんのところまで連れてってもらって……アタシの固有スキルで不意打ち――とかも、いいかもだけど。でも、女神ちんあれで読めねぇとこあっからにゃあ。あのおばさん、鋭いんだか鈍感なんだかわかんにゃいとこあるから、わざと捕まんのはちょっちリスク高いかもねぇ。アタシらのグループだけだと、ほら、ちょっと強い敵が出てきた時点で詰み感高いじゃん?」
「説得に失敗すれば……かなり厳しい状況に陥るかもしれぬな。ヴィシスとの決戦の前に、そちたちを失うのは余も避けたい」
「まーそん時は……」
浅葱が、自分のてのひらを眺める。
「すべてに恵まれている親ガチャ大成功な勝ち組お嬢サマには……一度、アタシたちの世界までご降車願おーかにゃ?」
カイゼが問う。
「まさか……あの力で殺すつもりか?」
「ふふーん? どう思う? ま、できれば穏便にいきたいよねぇ?」
「…………」
卓の下。
俺の膝上に添えられたセラスの手。
浅葱の口にしている言葉は今のところ――すべて真実。
「しっかし……委員長が参戦ねぇ。アタシね、綾香はこの世界ですぐ死ぬと思ってたんすよ。あの子は勉強もできて運動神経も抜群な人格者だけど、むっちゃアホな危うさ持ってるからさー。あれだ……今までどうにかやれてたのは、聖ちゃんがサポートに回ってたからだネ多分。高雄姉ちんのことはアタシも予想外だったヨ。思った以上に人情家だったのね、あのバケモン姉貴」
バケモン。
戦場浅葱は、高雄聖をそう見てるのか。
「とまあ、そんなわけでアタシらは暴走機関車みたい突っ込んでくるイインチョ担になりましょ」
「では、アサギたちは余と東へ向かう――それで決まりだな」
「おり? ツィーネちんも来るん? 鬼十河がいるんぜよ?」
「敵側の戦力はアヤカ・ソゴウだけではないからな。下がっているというこちらの兵たちの士気も上げねばならん」
こうして浅葱は、準備のため一度退室した。
いや、正確に言えば退室してもらった。
浅葱抜きで話したいことがあるからだ。
ちなみに浅葱は去り際、
『んじゃ桐ちゃんの方は蠅王ちんよろぴくー。あ、もし殺しちゃったら綾香には秘密にしといた方がいいよ? マジやばいから。つーかさ、セラスちん……マジで改めて美人すぎねぇ!? 清楚なだけじゃなく負けずにエロさもきっちり同居しとる! 胸とか腰つきとかやっば! アタシ……もしこの戦いで生き残れたら、セラスちん連れて元の世界に戻って……レイヤー界の頂点、取らせてあげるんだ……、――そんじゃばいびー、蠅王ちん』
と言い残していった。
俺も、
『説得の成功をお祈りいたします、アサギ殿。また必ず、お互い無事で再会しましょう』
と返しておいた。
俺の正体に気づいているかどうかは……正直、わからない。
それはそうと、
「…………」
おまえとも。
無事に再会できるのを祈ってるぞ――鹿島。
やれやれ、とカイゼが首を振る。
「どーも調子が狂うな、あの娘と話していると……」
さて。
スレイは回復した。
ピギ丸の最後の強化も終わった。
ムニンは禁呪を使える。
セラスの起源涙による精霊進化も――完了した。
「陛下」
俺がそう呼びかけると、場の空気が元に戻る。
「アヤカ・ソゴウの方はひとまずアサギ殿たちに任せ、タクト・キリハラはワタシたち蠅王ノ戦団が対処する。これでよろしいですね?」
「うむ」
「マグナルの軍魔鳩……そのまま空に放てば、タクト・キリハラの元へ届くと聞きましたが」
「よほどのことがなければ届くであろう。放った者が移動しても決められた”巣”さえ持っていればそこへ戻るようにできている。それが軍魔鳩だ」
俺は次に、
「セラス」
隣のセラスに、呼びかける。
「新たなる北の王はおまえをお望みらしい」
「――はい」
「こちらは”セラス・アシュレインを差し出す”と返答する。そして実際、おまえをキリハラのところへ連れて行くつもりだ」
セラスは疑い一つない顔で、身体をこちらへ向けた。
「我が主がそう命じるのであれば、私は迷わずその方針に従います」
「礼を言う。そして――」
俺はゆっくりと自分の喉に手をやり、
「この、蠅王の首も差し出す」
三兄弟は口を閉じて黙っている。
もちろん、と俺は続ける。
「新たなる北の王を叩き潰すための、エサとして」
「すでに……”絵”は描いているようだな、蠅王」
「陛下には、人員などお借りしたく」
「ミラの存亡がかかっている。望むものを用意しよう」
「感謝いたします。では――」
そうして俺は、狂美帝に必要なものを伝えていく。
今回の戦い。
ヴィシスも桐原にセットでついてくるかもしれない。
ならば、ムニンも連れていかねばなるまい。
「…………」
この時。
俺は頭の片隅で、ある一つの”可能性”について考えていた。
桐原拓斗が蠅王の正体に気づいているという可能性についてである。
それを考えたのは、伝書の文章が少し気になったためだ。
たとえば、
『オレはおまえを認めない』
もし……。
もし、である。
あの文の“おまえ”が蠅王ではなく――三森灯河をさしていたとしたら、という可能性。
他にも、
『この意味……わかるやつにはわかる』
この一文。
これは、
”すでに正体を知っているが、あえてその名を書かず遠回しにメッセージを送っている”
と読むことも、できなくはない――気がする。
さらには、
『分不相応は、許されてはならない』
という一文……。
単に、
”蠅王を自称するいち呪術師ごときが、セラス・アシュレインを隣に置いているのは分相応である”
こう言っているだけかもしれない。
しかし。
この“分不相応”がもし――E級勇者を、さしていたとしたら。
ただその場合――
なぜ三森灯河の名を伝書に記さなかったのかは不明である。
存外、合理的な理由というより。
桐原の何か、個人的な心理的理由によって記さなかったのかもしれない。
ここは……考え出すと逆に無限に解答が生まれてしまうため、一旦置いておく。
今、考えるべきは”最悪”という名の火の粉のことだ。
それはいつだって、降りかかってくる可能性のあるもの。
俺は常に”最悪”を想定してしまう。
もっと楽観的に生きればいいじゃないか、という意見も正しいだろう。
が……どうにも”最悪”を、考えてしまう。
仮に、だ。
蠅王の正体を桐原が知っているとして。
では……桐原はどうやって蠅王の正体に辿り着いた?
俺の生存の可能性を、誰から伝えられた?
ありうるとすれば――やはりヴィシスか。
と、すれば。
廃棄遺跡から俺が脱出したのはやはりもうヴィシスにバレている?
戦力不足に悩むヴィシスが、魂喰いを持ち出そうとでもしてバレたか。
露見する要素があるとすれば、廃棄遺跡絡みが最も高く思える……。
……いや。
ここの経緯も、今は一旦置いておいていい。
とにかく、
”俺の正体が桐原にバレている”
”俺の正体を教えたのはヴィシスである”
この可能性を、捨て置くわけにいかないのだ。
俺がなぜこの可能性のことに、これほどこだわるのか。
それは。
もし、気づいていたとすれば――
まさに”最悪の事態”が、起きかねないからである。
杞憂なら、それでいい。
考えすぎならば、それでいい。
しかし。
常に想定し、備えねばならない。
最悪の事態に。
■
異世界に召喚された俺が、廃棄される直前。
『消えるならさっさと消えろよ、E級』
最後に俺がこの耳で聞いた桐原拓斗の言葉だ
そして今回――伝書に綴られていた言葉……。
どうにも。
あの時の桐原と微妙に、繋がってこない。
この異世界の戦いの中であいつに何があったのか。
…………。
皆、おかしくなっていく。
十河綾香も。
おかしくなっていたといえば、安智弘も。
クソ女神の影響?
わからない。
俺だって、端から見ればきっとおかしくなったのだろう。
この世界に召喚され――元の自分を引きずり出された。
よくも悪くも、変わるしかなかった。
追い込まれたんだきっと。
俺たちは。
…………。
蠅の王。
北の地の王。
王、か。
まず、少なくとも俺は……王の器なんかじゃない。
変装の元ネタがたまたま伝承の人物で”王”を冠していただけだ。
……王?
王だって?
違ぇだろ――桐原。
そんな大層なもんじゃないだろ、俺たちは。
王ってのは、誰かのために働くもんだ。
が、俺たちは違う。
俺たちは。
自己中心的で身勝手な――――ただの、異界人だ。
…………ここが、――――――俺が。
おまえの終着駅だ、桐原拓斗。




