邂逅 -3
「お前は、本当に……」
不意打ちを受けたかのように、リオレティウスは暫し言葉を忘れる。
それからごく柔らかに、ふっと瞳を細めた。
こちらの迷いも恐れも、この少女はいつも簡単に飛び越えてきてしまう。もうあと、伝えることは――。
「愛している」
空から降る陽の光のような、とても自然にこぼれた響きがあたたかに二人を包んだ。
――愛。
彼の腕の中、もう何も心配いらないと。そんな安らかさに満たされながら、不意にシェリエンの脳裏に浮かんだこと。
あの物語の最後は、愛という言葉で締め括られていた。ウレノスに嫁いでから気に入って何度も繰り返し読んでいた、『銀の兎』の絵本。
あとからガイレア語で書かれた同じ話の本も買ってもらって、併せて読んだ。
二国の言語体系はかなり似通っている。語の順番とか、文法的なことはほぼ同じ。
単語にも似たものは多いが、しかし完全に一致するというのはほとんど見当たらず――その中で、「愛」という言葉はどちらの国の言葉でもまったく同じ響きを持っていた。
そんな記憶が一瞬よぎるも、今はそれすら些細なこと。
ただ目の前の温もりを抱きしめて、応える。
「私も、愛しています」
少女は目一杯背伸びをして、青年はそれを両腕で受け止めながら身を屈めて。
どちらからともなく引き合い、唇が触れる。互いの存在を確かめるような、やわらかな口づけ。
名残惜しく離れてからも、額がぶつかるくらい顔を近づけたまま、瞳に相手の姿だけを映して。
いつまでも飽きずに見つめ合い、時折照れくさそうに微笑み。
誰かと共に生きてゆくと決めるのは、こんなにも幸福に身を包むことなのだと識る。
――繋いだ手はもう離さない。この先、何があろうと。
ウレノスへ出立する準備を整えるため、シェリエンはその後もしばらくガイレア王宮に滞在した。
引き続きディアーネが世話を焼いてくれたのだが、そうした日々において、あるとき彼女は言った。
「あなたは素晴らしいわ。二度も両国の和平を結んで、たくさんの人を救いました」
「いえ、私は自分のことしか……、自分の大切な人のことを思っていただけです」
ディアーネから送られた讃えるような眼差しに、シェリエンは少し気後れする。
ずっと彼のことを想っていた。どうか無事であってほしいと、心が苦しくて。
戦では自分と同じ苦しみを抱える人がいると知った衝動から、兵の前に立つことを決め、和平を望んだ。けれど多くの人を救いたいとか、初めからそんな立派な考えを持っていたわけではない。
自信なさげな少女の答えを聞いても、しかしディアーネが浮かべる表情は変わらなかった。
「これは綺麗事かもしれません。でも、もし皆があなたのように、隣にいる人を大切にできたら。戦いというものは起こらないのかもしれないわ。
……私にはそれが、できなかったから」
穏やかな微笑のその上を。一筋の涙が、音もなく伝った。
その後ガイレアでは無事に、アオリウスによる新政権が成立した。
前王ロムルスを陥れた罪により、シデリス卿及びカルデウスの二人は北の塔内に終身幽閉。
シデリス卿は張り合いを失ったのか急速に老いが進み、数年のうち老衰で死去した。
ディアーネはガイレア王宮に残った。
彼女は新政権を支える任に就きながら、毎日甲斐甲斐しく北の塔に通い、ほとんど正気の戻らぬ夫に生涯寄り添ったという。
二国の間では先の約束どおり、和平が結ばれた。
ウレノスの王宮にて行われる催し等の場には、第二王子が隣国から迎えた妃と並び立つ姿があった。
仲睦まじい二人の様子は微笑ましく、人々はこれを温かく見守り、平和の象徴として祝福した。
中には二国の建国神話になぞらえて、“天と地は一つになった”、などと言う者もいたが――。
そんな壮大なお伽噺は、ここにはない。
一人の少女と一人の青年が、出逢って、恋をして、愛を知った。
――ただ、それだけの話。
「銀色の兎姫」 (了)
本編これにて完結です。
応援してくださった皆様のおかげで書き切ることができました。心より感謝申し上げます。
少しでも楽しんでいただけていましたら幸いです。もし評価やご感想での応援をいただけますと大変励みになります。
改めまして、最後までこの物語にお付き合いくださった皆様、誠にありがとうございました。
(1/16:次頁に、ささやかなものですが後日譚を、
2/20:その次にさらにおまけを追加しました。)




