邂逅 -1
「貴様……何が目的だ。玉座か、我が国を乗っ取ろうというのか!?」
ガイレア王への謁見という名目で、身分を伏せたまま突如姿を現したウレノスの王子。
これを前に、もはや王としての威厳は微塵も感じられない老いた男の声が広間に鳴り響いた。
「玉座? そんなものに興味はない。こちらが望むのは、和平のみだ」
隣国の王子は終始落ち着き払っている。
この飄々とした態度が相手のさらなる激昂を誘い、老王は体面も構うことなく立ち上がって喚き散らした。
「和平だと、戯言を。そもそもロムルスの奴がそんなことを言い出したのが間違いだった。戦いで力を示すことこそ至高だというのに。あやつは戦の手柄による利を享受しておきながら、その機会をなくそうと……! とにかく、こっちにはその気はない!」
「……そうか、残念だ」
「衛兵! 何をしておる、さっさとこやつらを捕らえんか!」
呼びかけに広間内の兵たちが動き出したのを認めると、シデリス卿は口の端を上げた。
しかし、兵たちの動きはその意図から外れ――見る間に玉座と老王自身を取り囲んでいた。
「はっ、ふざけるな……何を!」
「俺は他国の事情に口を挟む気はないが、どうやら周りは貴殿を王とは認めていないようだな」
「ディアーネ、これは一体何事だ!」
王――こうあっては既にそうと呼べない老年の男は、傍らに控えていた娘のほうを振り向く。
ディアーネは唇を一文字に結び、この父の姿をじっと見ていた。
続いてシデリス卿は、その横に立つ義息カルデウスに目をやる。
「まさか、お前が裏切ったのか。王位が欲しくなったか! 武人にもなれなかった出来損ないを引き受けてやったのはこの義父だというのに……!」
思いもかけぬ暴言にディアーネは息を呑み、咄嗟に手を伸ばして夫の手を握った。
だが幸か不幸か、彼の瞳は何も映してはいなかった。
あの日以来、彼はディアーネの計画に手を貸してくれた。
けれどもそれは賛同してというのではなく、意思を失い、一人では立っていられない人形のように。並行して、虚ろに遠くを見つめている時間も増えていた。
彼の意識はもう、ここにはなかった。
そうしたカルデウスの変化や兵の配置等にここまでまったく気づかなかったのは、シデリス卿という王がどれだけ慢心し、愚かだったかを物語っていた。
広間には、浅ましく、憐れなしわがれ声が響くのみ。他は微動だにしない沈黙の中、ひととき王であった男は兵に連れられ退場していった。
ディアーネは、余韻に浸ることもせず次の動きに移った。シデリス卿が出ていくのと同じ頃合いで広間に到着していた人物を、ここへ招き入れる。
堂々とした足取りで広間の中央へと歩んでくる男性。
筋骨逞しい体つきと日に焼けたような褐色の肌が、つい先ほど戦場から戻ったかの風格を漂わせる。落ち窪んだ目元には幾らかの疲労が見てとれるが、瞳の輝き自体は損なわれていない。前王ロムルスの長子、アオリウスだ。
シデリス卿の謀略に際し、彼はカルデウスの手先による急襲を受けていた。妻子もろとも王城内にある北の塔へと拘束されていたが、ディアーネの働きかけにより次王として立つことを決意。今回の計画における兵の配置等、裏で彼女に助力していた。
ディアーネはこの新たな王を、ウレノスの王子に引き合わせた。
「至らぬ新王ですまないが、和平の提案は私が受け入れたい。いかがだろうか」
ウレノスの青年は差し出された手を即座にとり、二人はかたく握手を交わす。
緊迫局面が続いた状況下、ようやく少しの安堵が場の空気を包んだ。
「では今後のことについて話を詰めていきたいが、」
再び和平を結ぶとなれば諸々話し合っておくこともある。新王アオリウスはこれを進めようとして、しかし途中で言葉を切った。
「……それは後にしたほうがよさそうだ」
新王が口を閉じたのは、横からディアーネの制止を受けたためだ。
このまま和平に関する話を続けてもらって構わないところに、急に遮られた流れにウレノス側の王子――リオレティウスは首を傾げた。
不思議に思いつつ、彼はディアーネの意味ありげな視線の先を辿る。
それは広間の入り口へと向いていて――そこには彼の待ち望んだ光景があった。
――しばらく前のこと。
ガイレア王宮に残ることを選んだシェリエンは、蛮族撃退の報を聞いていた。
ホッと胸を撫で下ろし、けれども彼女の中には別の不安が湧き上がる。では今度はまた、ウレノスとガイレア二国間の戦が起こるのだろうか。
彼のことを思う。先の戦における彼の安否は不確かなままだったが、何かあればシデリス卿という王が意地悪く言ってきそうなもの。何も言わないということは、きっと大丈夫……そう言い聞かせ、シェリエンはなんとか気を強く保ってきた。
けれど、再度の戦になるとすれば話は別だ。もうあんな心が凍るような思いはしたくない。
どうか無事であってほしい。彼が――それに、誰かにとって大切な人が、皆。
村にいるときは祈るしかできなかった。でも、ここにいれば何かできるかもしれない。
このような考えに至った少女は、ディアーネに相談を持ちかけた。二国の平和のため、できることをしたいと。
ディアーネは大きく目を見張り、それから慈愛に満ちた眼差しを浮かべて、答えた。
『私は今、そのために力を尽くしています。あなたに頼むべきことができた際には必ず言います、だからもう少し待っていてください。
……ひとまずお願いしたいのは、蛮族戦から帰った兵たちを労いたく。これをお手伝いいただけますか』
こうしたやり取りを経て。
蛮族戦で活躍した将が王宮にやって来るというこの日、準備ができたと呼びに来た者に連れられ、シェリエンは謁見者のいる広間へと足を踏み入れた。




