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[完結]銀色の兎姫 ――母を亡くした一人ぽっちの少女と、母の顔を知らぬ軍人王子との、愛を知るまでの物語。  作者: momo_Ö
第二章『天地別るる瀬にありて』

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青の援軍 -3


「私は弟のように優しくはない。君個人のことより、まずは国のことを気にかける男だ」



 隣国の姫が嫁いできてから二年ほどが過ぎた頃だったろうか。

 ある日、エドゥアルスは気づいてしまった。妻ステーシャが向けた視線の先に、弟夫婦がいて。そこには一瞬、切なさか、羨望とも見える色が浮かんだことを。


 弟たちは、夫婦らしいかどうかはさておき、互いに想い合っているのは誰にも明らかだった。政略結婚という表面上の関係ではなく。

 ああ、彼女はもしかして――。


「どこか羨ましそうに、君が弟夫婦を見つめる様子を目にした。弟のように心ある相手のほうが、君にはよかったのではないか」

「……つまり、私が第二王子殿下のことを慕っていると仰りたいのですか」



 エドゥアルス自身なぜ唐突にこんなことを言い出したのか、我が事ながら理解しがたかった。


 未来の王にも王妃にも、個人的な感情は不要である。別に恋い慕う相手がいたとして、王や王妃の責務には関係ない。国に必要な役割がきちんと果たされるならば、内面は問題ではないのだ。

 “完璧”な彼女はこれをよく理解しているはずだし、であればわざわざ指摘するほうが無粋だ。


 しかし――見過ごせなかった。人の感情というものを。

 彼女のというより、弟と似た状況に置かれても同じようには(いきどお)れないであろう自分自身の心を。そんな個人的な事物はむしろ、要らないはずなのに。



「確かに、私があのお二人の姿を見て、羨ましいと思う気持ちがあったのは事実です」


 ……ああ、やはり。

 灰がかった薄水色の瞳。大きく主張せずとも(おの)ずと高貴さが漂う上品な輝き。その宝石がこちらに向けられているのに耐えられず、エドゥアルスは僅かに視線を落とした。


 けれども、続く彼女の話はこれを許してはくれなかった。


「でもそれは第二王子殿下への想いではなく、第二王子殿下は遅い時間であっても毎日夫婦のお部屋に戻られ、妃殿下と顔を合わせるのだと聞いて。

 殿下……あなたも、もっとお気を楽に私の元へ帰ってきてくださったらと、そう思ってしまっただけなのです」


 予想から外れた話の流れに、エドゥアルスは彼女の顔を見入る。


「それは、君に気を遣わせたくなくて」


「ええ、わかっております。……この際ですので申し上げますけれど、妃候補の筆頭であった私が、その座を確かなものとするため必死で努力したこと、殿下はご存じないのでしょうね。あなたの隣に立ちたくて」


「……初耳だ」


「ご自分を抑えて一心に国を背負う殿下の邪魔になってはならないと、隠しておりました。結局白状することになってしまいましたけれど。

 今晩限りでお忘れください。今後も何かあれば私個人のことは捨て置いて、王としてのお立場を優先なさってください」



 胸の内で何かが揺さぶられる感覚。

 エドゥアルスは躊躇(ためら)っていた。彼女の、妃として非の打ち所がない佇まいの奥に浮かんだ切なさ。それが(ほか)でもない自分に向けられていたのだと、受け止めてよいものかどうか。


 少し間を置いて、彼女は言った。


「でも、最後に一つだけ伺ってもよいでしょうか。殿下が毎月手ずからお贈りくださるお花も、未来の王の義務ですか?」



 ――詰め手を打たれたような気分だった。


 ある時から、エドゥアルスは毎月王宮の庭園に赴き、自ら選んだ花を妻に贈るのが習慣となっていた。

 さほど意識して始めた行動ではなく、きっかけは些細なこと。たまたま通りがかった春の庭園が美しくて――彼女に似合うと思った。

 当然、王は()くあるべきといった考えでしていたことではない。彼女に贈りたいと、単純にそれだけだ。


 返答の代わりに囁いた言葉に、彼女は大粒の涙をこぼした。

 その頬を指の腹でそっと拭いながら、エドゥアルスはふと感じた。心は失くさずともよいのかもしれないと。


 これから先、個人より国を優先する決断を強いられることもあるだろう。元々心など無ければ苦しむことはない。人の感情を持ちながら王であるというのはむしろ酷なことだ。

 だがそれでも、失くさずに生きていきたいと、そう思ってしまったのだ――。



 “礼を言うのは私のほうかもしれない”。

 これに未だきょとんとしている弟に向かって、エドゥアルスは微笑んだ。


「お前が無事目的を果たして戻ってきたら、話そう」




 その後リオレティウスは、兄王子や軍部の助けを借りながら、ガイレアに出す部隊の編成を急いで(おこな)った。


 編成に際し、彼は初めに宣言した。

 この出征は王命ではない。ただ自分の個人的な感情で動かす軍である。だからこれが意に沿わないものは、遠慮なく離脱してほしいと。


 多くが離れても仕方ないと気構えていたリオレティウスの想定に反し、離脱者は一人もいなかった。


 面食らう彼のところへ、例の旅の同行者であり彼の幼馴染でもある女性騎士、ソニアが寄ってきて言った。


「常に誰よりも身を砕いて責務にあたっている殿下のお言葉です。無下(むげ)にする者などいませんよ」

「だがそれは……皆のためとか、大層な理由でしていたことではない。単なる俺の独りよがりだ」


 ――(おのれ)の出自に意義を見出せなくて。ただこれを求めるため耽っていたに過ぎない。

 身体を張っていたのは命などどうでもいいと思っていたからだ。仰ぎ見られるようなことではない――そうやって自らを恥じた王子の言葉を、ソニアは笑い飛ばした。


「皆が殿下の背中に励まされているのは事実なんですから。動機なんか知ったこっちゃないですよ」



 即ち、青の援軍――正体不明の軍とはその実、ウレノス側の総意だった。

 一人の青年の想いに端を発し、さらにそれを後押しするための。



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