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[完結]銀色の兎姫 ――母を亡くした一人ぽっちの少女と、母の顔を知らぬ軍人王子との、愛を知るまでの物語。  作者: momo_Ö
第二章『天地別るる瀬にありて』

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父と子 -2


 ディアーネは呆然と、二十年来連れ添った夫を見上げた。


 若い頃、縁談の場で初めて会った彼は。落ち着きがあって、洗練されて、頭の良さそうな人だと思った。年齢を重ねた今もその印象は変わらない。

 そうした佇まいに近寄りがたさを感じることもあったが、彼は夫として申し分なかった。


 軍事など派手な政策にしか興味のない父レムス・シデリスに代わり、領地経営等に関する雑務を彼は黙々とこなした。申し訳なく思ったディアーネが謝罪を口にすると、机仕事は嫌いではないから問題ない、彼はそう言った。


 子にはすぐ恵まれた。結婚した翌年には長女が生まれ、続けて第二子である長男を授かった。

 長男は彼に似たのか病弱で、ディアーネはこの子に付きっきりになった。上流階級では育児の大部分を乳母らに任せることも多いが、心配でたまらなかったのだ。彼は、好きなようにやらせてくれた。

 家庭や結婚生活において、彼が不満を見せることは一切なかった。


 大人な人だなと思っていた。静けさを好み、空き時間にはひとり読書する姿をよく見かけた。妻には必要以上の干渉はしてこず恋愛的な甘さは皆無だったが、決められた縁談とあればこんなものだろうと、ディアーネも遠慮なく育児や家事に専念した。

 もしかするとそれさえも彼を独りにするものだったのかもしれないと、不意に悟ったのは今。



 それに、彼は。知らなかったのだ。



「ロムルス王陛下は、あなたを愛していました」

「今さら、すぐ嘘とわかるような嘘を」


「いいえ、あの方はずっと、あなたを本当の息子として……血は繋がっていないのに」


「――何?」


「私があなたと結婚する前、陛下が私にだけ聞かせてくださったお話があります」



 縁談が纏まった後、ディアーネは、義父となるロムルスに秘密裏に呼ばれた。

 そこで聞かされたのは、カルデウス本人すら知らない――彼はロムルスの実子ではないという話。


 正妃を愛していたロムルスは、政治的理由により(めと)った側妃を妻として見ることができなかった。代わりに彼は、側妃に別宮を与え贅沢を許したが、それはかえってお飾りの妻の寂しさを助長したのかもしれない。

 側妃の不義により出来た子を、ロムルスは自分の子だと言い張った。


「はっ、本当に血すら繋がっていなかったとはな。さっさと遠ざけたかったのも頷ける」

「違うのです、そうではなく……」



『あれの母親には悪いことをした。許しのつもりでしたこと全てが、逆に彼女を追い詰めてしまったようだ。それがあの子から母親を奪う結果にもなった。

 だからあの子には、王族という立場に縛るのではなく、家族を作ってあげたい』


 実子ではないという事実をカルデウス本人には知らせないのですか、と問うたディアーネに、ロムルスは言った。『あの子は私の息子だ』と。



 話を聞き終えたカルデウスは、何も言わなかった。

 そこにはただ変わらず無機質な墨色があり、先ほど映った一度きりのさざめきも、今は()いだように引いていた。


 黙ったまま、彼は静かに部屋を出ていった。

 ディアーネはその場で身動きがとれずに、去りゆく夫の背を見つめた。


 窓から差し込む晩夏の高い()が、整頓された室内の何もない場所を煌々(こうこう)と照らしていた。





 蛮族の侵略に対するガイレアの苦戦は、その後もしばらく続いた。

 前線にいる者から「このまま持ち堪えるのは限界がある、適当な条件を提示して停戦交渉を」との訴えがあったが、シデリス卿はこれを拒否。


 現場を(かえり)みない王への不信感が水面下で見えはじめるともに、続く戦いの疲労が積み重なる。

 もう駄目か、そんな気運が徐々に兵たちの間に漂い出した。


 ――が、しかし。ある時を境に状況は一変した。とある部隊の活躍によりガイレアの劣勢が(ひるがえ)ったのだ。

 これによって勢いを取り戻したガイレア軍は、遂には蛮族を国内から追い出すことに成功した。初めの侵略を確認してから四月(よつき)ほどの出来事だった。




「本当に、其奴(そやつ)は何かを企んでいるわけではないのだな?」

「ええ、ただ王への謁見を望むのみです。戦の功労者を(たた)えるのは、王の仕事でしょう」

「ふん、それならいい」


 ディアーネの返事を聞くと、シデリス卿はいつものように鼻を鳴らして椅子の背にもたれた。


 蛮族撃退から暫し経ち、兵たちは順に戦地を引き上げてきている。早く出た部隊はそろそろ王都へ着く頃だ。

 そうした中、今ディアーネが王へと取り次いだ内容は「謁見を願い出ている者がいる」ということ。


 謁見希望に対してシデリス卿が渋ったのは、希望者がまさに今回の窮地を救った部隊の将だからだろう。“強き者”を王にというガイレアの伝統的思想は、その者の性質によっては、現王の立場を揺るがしかねない。



 ――玉座でふんぞり返っているだけで、未だに“強き者”の座を心配できるとは、おめでたいと言うべきか……。


 呆れを通り越し、ディアーネは心中で溜め息を()く。


 父レムス・シデリスという人は、これでも若い頃は優れた武人であったのだ、前王ロムルスと並ぶ。

 互いに切磋琢磨する好敵手――とロムルスは思っていたようで、ディアーネたちの縁談もこれがきっかけだった。


 だが、この父のほうは違ったらしい。ロムルスが先代王の娘に見染められ、婿として次期王になることが決まってからは。

 酒に酔うと吐いていた悪態は、あくまで冗談の範囲内だとディアーネは思っていた。まさかそれが、カルデウスの孤独と通じてしまうとは――。



 夫のことを思い、ディアーネは瞳を伏した。傍目(はため)には、彼は普段どおりの振る舞いをしている。

 けれど時折、視線はふっとどこか虚空を彷徨(さまよ)って。かけた声への応答が即座に返ってこないことがある。原因は、きっと……。


 あの日以来、ディアーネは時間が許す限り彼のそばにいるようにしていた。日々ほんの僅かずつ彼の正気が(むしば)まれていくのを感じ、けれども為す(すべ)がないことに心を痛めながら。



 ――あと少し、私がしっかりしなければ。


 一瞬俯いたのち、唇を引き結んで、ディアーネは次にやるべきことへと思考を向けた。


 戦いの功労者を迎える準備をしなければ――天から遣わされた、青き獅子を。



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