父と子 -1
――あとは、彼らに合流地点を伝えないと……そのためには……。
ガイレア王宮。ディアーネは足早に廊下を歩いていた。
とある部屋の前で立ち止まると、さも許可は得ているという雰囲気を装い入室する。
部屋の主は不在だ。整理が行き届いた室内。本棚及び引き出しの付いた棚が一台ずつと、窓からの光を避けた場所に執務机が置かれている。机上には、手元の明かりをとるランプを除き、ペンの一本すら載っていない。
ディアーネはその机に寄ると、座った際に一番手をかけやすい引き出しを開けた。慎重に中身を吟味し、目当ての資料を探す。
だが、彼女の目的が果たされる前に――。
「最近君は、こそこそと何をしている?」
ディアーネが振り向いた先には部屋の主が立っていた。
その人物は悠然と、狼狽を顔に出さぬよう努める妻の元へと歩いてくる。
すらりと姿勢のよい歩き方で、体型には、多くの中年男性に見られるゆるみはない。
墨色の髪と瞳、そこに添えられた片眼鏡は常に曇りなく磨き上げられている。冷ややかにも感じられるほどに。
「お目当ての情報は見つかったか? ……ようやく伯父上のところを出て私の元に戻ってきたかと思えば、君はあの娘のことばかりだ」
シェリエンは、蛮族との戦いに出る兵たちを見送った後、ガイレア王宮に残る選択をした。役目は終わったのだから村に帰れるよう計らう、そうディアーネが伝えたにもかかわらず。無事を祈って送り出したのに、自分だけ何事もなかったように戻れはしないと。
少女の表情には勇敢さばかりでなく、不安も恐怖もあった。けれどもその全ての奥にある意志だけは、彼女は決して曲げようとしなかった。
初めは、同情に近かったのかもしれない。ディアーネにも娘がいる。シェリエンより年齢はいくつか上で、二国の和平条約案が挙がる前にごく一般的な縁談が決まっていた。
前王ロムルスの孫という点だけ見れば、自分の娘もシェリエンも同じだ。それも、隣国へ輿入れ予定の少女はまだ十三歳だった。
とても他人事とは思えず、不足していた女官の職に手を挙げた。
当時のシェリエンは、意思の見えない人形のようだった。おそらく急に投げ込まれた状況に、心が追いついていなかったのだろう。周りに言われるがまま花嫁修行をこなしていた。
それが、今は。
同年代の娘に比べると身長は低く、また線が細くてか弱い少女である見た目は変わりないものの、その立ち姿に以前の頼りなさはもうない。
――私も、できることをしなければ。
健気に立つ少女に心動かされ、ディアーネはそう決意した。
部屋の主から投げかけられた、お目当ての情報うんぬんの話は横に置き。
ディアーネは、隣まで来て足を止めた彼――夫カルデウスを見据えた。
「あなたは胸が痛まないのですか。前王の孫という点では、私たちの子と同じ立場の少女です」
彼は、動じることなく妻の視線を受け止める。
「しかしあの娘は私の子ではない。私は、我が子のことはそれなりにしてきたつもりだ。……どこかの親と違って」
――親。彼が普段滅多に口にしない、彼自信の両親を指すその言葉に、ディアーネは少したじろいだ。
カルデウスの生い立ちは特殊だ。彼は前王ロムルスの二番目の息子だが、母親は正妃ではなかった。
側室であった母親は、ある日突然王城を飛び出し行方をくらませた。まだ幼い、といっても、置いていかれたことが解るほどには物心ついた彼を残して。
父であるロムルスは、彼のことも正妃の子らと同じく我が子として扱った。
一方で、幼少期に病弱だった彼は、ガイレアの男に必須である武の訓練を受けられなかった。それが理由か、成人した彼に用意されていたのは王都から離れた地に婿入りする話。
どうやらこれが彼の中で蟠りとなっていたことに、ディアーネは気づかなかった。彼が表に出すことはなかったから。
だが、それでも。
「なぜ、ロムルス王陛下を……ご自分の父親を廃したのですか」
「父親? あの人は私を息子となんか思っていなかっただろう。第一王子は順当に後継とし、第三王子には放浪を許してまで手元に置き。私は婿へ、不用品だと。
まあ、身勝手に蒸発した側室の子、それも病弱で武人にもなれなかった出来損ないなど、気にかけるはずもないか」
「だからといって」
「あの人は最期まで、私のことなど眼中になかった」
喜びも悲しみも、光も闇さえ映さないようであった無機質な瞳の上を、一転さざめくような何かが覆った。
――ずっと憎かった。自分を捨てた母も。愛される異母兄弟たちも。愛してくれない父も。
父を出し抜けば――私にだって力がある、そう認めざるを得ないだろうと。目に物見せてやりたかった。弱いと思っていた出来損ないの子に追い詰められる気分はどうか、何が王だ、強き者だと。
しかし、あの人は死を前に、笑った。最期まで、私を嘲笑ったのだ。『これがお前の思う力か』と。
「なぜ誰も僕を愛さない」
とても弱々しく、消え入るほどの。ぽつりと地に落ちたその言葉は、幼い子どものような叫びだった。




