銀の太陽 -1
「――ただ、顔を見せるだけでいい」。
ディアーネはそう述べた。シェリエンが兵たちの前に姿を現すだけで、士気は上がると。
「奇しくも状況は、七年前と似ています」
ウレノスとガイレアの二国が、今回のように会戦に至った七年前。その隙を狙った蛮族は、南東側のガイレア国境を侵した。
それ以前にも、国境警備を掻い潜っての小さな侵略行為は時折あった。だが、この時は規模が違った。
辺境を守る者たちが察知したのは向かい来る大軍。南東の要である城の一つが包囲される事態となった。
地理的に、蛮族がガイレアに到達するには砂漠を越えねばならない。悪条件の外敵共にさほどの持久力はないだろう、そう踏んだガイレア側は籠城策をとったが、相手はしぶとかった。
撤退する気配の見えない敵に抗すべく、ガイレアは解囲軍を編むことに。
主力の大半がウレノスとの戦に出払っていた状況下、先頭に立ってこれを率いたのは当時の第三王子――シェリエンの父にあたる人物だった。
「外敵を退けた英雄の姿を、民たちは自ずと思い起こすでしょう」
シデリス卿は頬杖をついたまま、ディアーネの話を聞いていた。
面白くなさそうに何度か反論し、けれども折れない娘と対することに飽きたのか、最終的には「勝手にしろ」と言い捨てた。
玉座の間を出たあと、シェリエンはディアーネに連れられて王宮の一室へ入った。“王”の視線から解放され、少女の肩から僅かばかり力が抜ける。
先日、村に使者が訪れたとき。それは同じガイレア王宮からでありながら、三年半前とは様子が異なっていた。
前回はあくまでシェリエンの承諾を請うもの――とはいえ拒否などできようもないが――であった一方、今回は明らかな命令だった。「王命により、あなたを王宮へお連れします」、そう断言した使者は少女の返事を待たなかった。
数日間馬車に揺られ、見覚えのある宮殿に着くと。馬車を降りるや否や、血相を変えた女性が駆け寄ってきた。
女性はシェリエンの右手を両手のひらで包み、「申し訳ありません」、開口一番そう言った。襟足に纏めた髪と同じ、深い栗色の両瞳は、ただ一心にこちらへと向けられていた。
シェリエンははじめ、彼女が誰だか思い出せなかった。それを察したらしい女性は、到着した少女を案内した先の部屋で丁寧に自己紹介をした。
彼女の名はディアーネ。約三年半前、シェリエンがガイレア王宮で花嫁修行を受けた際に、女官として働いていたうちの一人。それから数か月前。例の旅にて一行が雪に見舞われた日、宿を整えてくれたのもまた彼女だと。
彼女はまだ何か話をしようとしていたが、無遠慮なノックの音が続きを遮った。その後に待っていたのは先ほどの、新王との謁見だ。
謁見を終え、到着してすぐと同様ディアーネと二人きりになった部屋で、シェリエンは彼女をちらと見上げた。
理解の及ばぬことばかりだが、彼女が自分のことを気遣ってくれているのはなんとなく感じる。もし母が生きていたら同じくらいの年齢だろうかと、ふと思う。
「……説明すべきことがたくさんありますね」
ディアーネは眉尻を下げ、憂いとも哀しみともつかない微笑を少女に返した。
室内中央に置かれたソファーにシェリエンを座らせ、部屋の扉がしっかり閉まっていることを確認してから、ディアーネは説明を始めた。
「まず、現在ガイレア王の椅子に座るレムス・シデリスは……正直そうは思いたくありませんが……私の実の父親です。広間にいたもう一人の男性は、私の夫です」
シェリエンは、黙って話を聴いていた。
目の前の女性が花嫁修行時に関わった人物だとすぐに気づかなかったのは、当時と雰囲気が大分異なっていたから。
ガイレアの女官たちは皆淡々と仕事をこなし、必要以上の会話はしなかった。冷遇があったわけではない。シェリエン自身、緊張で余裕がなかったことも原因だろう。
細やかに身の世話をしてくれるも余所行きの態度を保つ彼女らは、十三歳の少女の目には全員同じに映った。
今のディアーネは判で押したような女官従事時とは違い、表情が見てとれる。それと、少しやつれても見えた。
「夫のカルデウスは、前王――あなたのお祖父様の二番目の息子、つまりあなたからすれば伯父に。私は伯母にあたります。それから、」
ディアーネは途中で不意に口をつぐみ、伏した瞳を象る睫毛がその頬に影をつくった。そのまま瞼を閉じて、一呼吸置いたのち。
彼女は再び少女へと目を戻して、意を決したように続きを紡いだ。
「前王は表向き病死とされていますが、おそらく……先の政権交代には、現王とカルデウスの二人が関わっています」
与えられた情報が多すぎて。シェリエンはどのような感情を抱けばいいのかわからなかった。
――この人たちは私の親戚で、さっき会った二人が政権交代に関係して、つまり……?
「私が、あの二人が謀ったであろうことを悟ったのは、新政が成ってからでした。あなたがここに呼ばれたのも先日聞いて初めて……不甲斐ない話です。本当に、申し訳ありません」
新王と、傍らにいた男性。彼らの謀によって前王は廃された。和平も消え去った。それについて、この女性は申し訳ないと口にする。
なんとか整理をつけながら、シェリエンは項垂れる彼女を見つめた。
自分の伯母だという人。と言っても、女官としてや冬の日に偶然に会ったことを除けば、これまで存在すら知らなかった。
それに、聞いた系図によれば直接の血縁関係にはない相手だ。なぜ、親身になってくれるのだろう。
シェリエンがそんなことを考え始めていると、ディアーネが顔を上げ、目と目が合った。
彼女は一度窺うように扉へ視線をやって、それから少女の瞳を捉え直し、低い声で囁いた。
「逃げるのならば、お手伝いします」
「えっ?」
「正ではない手段で上に立つ彼らに、あなたが手を貸す義理はないでしょう」
「…………」




