祈りと戦 -3
――多少、時間を稼げればいい。
例えばこの後、王子を護ることに専念したウレノス軍が、自分を引かせでもすれば。
力を持て余した相手の武将は、戦場で猛威を振るうに違いない。また王子の撤退に護衛の人員を割かねばならず、戦いの場は手薄になる。
ここは応じるのが最善だろう。たとえ分の悪い相手であろうと。
一見にして、力の差は明白だった。
向こうの武将はリオレティウスより体格が一回り大きい。年齢も経験も上だとすぐわかる。適度に年季の入った鎧はよく手入れがされ、雲間から射す陽光を受け黒光りしている。
体の重心はどっしり下方に据えている一方で、見せびらかすように振りかざす剣は軽やかに。戦など戯れだと言わんばかり、自信のほどが透けて見える。
リオレティウスが前に出ると、相手はにやりとほくそ笑んだ――気がした。実際見えるはずもないのに。
愚かな王子だとでも思っただろうか。その生まれによる名ばかりの名声で将の座に就いて、力の伴わない若造が、勝てる訳もないのにと。
剣が交わった。金属と金属が噛み合い、無慈悲に乾いた音が上がる。
ガイレアの武将は遠慮なく、ただ力に任せて上から剣を振り下ろしてくる。叩きつけるといってもいい。傍目には粗雑に振り回しているようで、実のところは的確に、抜け目なく相手の嫌がる点を狙ってくる。
リオレティウスはこれを受け止めるのが精一杯だ。向こうがかけてくる体重に押し切られまいと踏みとどまりつつ、馬を操り刃先をそらして受け流す。
周囲の家臣たちは気が気でない様子。下手に手を出すのはかえって危険と知るも、どうにかと介入の機会を窺っている。
時間にしてみればそれほど長くない間。突き刺すような緊張感の中、応酬が何度か繰り広げられた後。
力による殴打一辺倒だった相手の剣撃が、刹那、突としてすっと緩められた。
――まずい。リオレティウスが思ったのも束の間、武将は彼の剣の上に、自らの剣を滑らせるようにして間合いを詰める。僅か体勢を崩しかけた彼の懐にするりと手を伸ばし、脇腹をとって馬上から引きずり落とさんとした。
しかし彼とて簡単に落とされる訳にはいかない。身を捩り、手も足も使って相手を掴み返す。
もつれ合うようにしながら、二人の将は地に打ちつけられた。どちらもそこそこの衝撃を受けたであろう体で、重い鎧を物ともせずに立ち上がる。剣を取って間合いをはかり、再び応酬。
――埒があかないな。時間稼ぎという点ではこのままでも構わないとはいえ。消耗戦を続ければ、実力差を突きつけられるのは目に見えている。となれば。
次の一手、リオレティウスは武将の攻撃を受け流すことなく、胸元を目がけて飛んできた突きを甘んじて受け入れた。同時に左手でさっと予備の小型剣を抜き取り、一瞬の隙となった相手の脇下へ。
未だ余裕のある雰囲気を匂わせていた武将も、これには些か驚く。鎧の継ぎ目である脇は急所だ。手応えを感じて小型剣を引けば、相手の血がぬるりと流れ出るのが見える。
だが、こんな一撃で怯む敵ではないことはわかっている。なんなら火を点けてしまったかもしれない。まあそれでもいい、どうせ――。
そのとき、最悪をも覚悟したリオレティウスを戦いから引き剥がしたのは家臣たちだった。敵が一旦身を離して体勢を見直す、ごく僅かな機になだれ込んだのだ。
「引いてください、後は副官が」
「……わかった」
見る間にガイレアの武将と彼との間に臣たちが割り込み、王子を守護する防御壁を成す。これ以上手出しはさせまいと、殺気に満ちて。
また、後方からは予備隊の支援が来ていた。ほぼ勝利を決した中央からの援軍も幾らかあるようだ。ここで、まだやれるなどとごねても仕方ない。多少の時間稼ぎにはなった。
臣の手を借りて馬に乗り直すと、リオレティウスは戦の中心を後にした。
野営地に着くと、医師が慌てて飛んできた。彼は言われるままに鎧を脱ぎ、傷を晒す。
敵から最後に受けた刺突は、鎧の胸元を貫いていた。あのとき相手は驚いた気配を見せながらも、突き立てた剣をさらにしっかり押し込んできた。
流れ続けていた血を見た医師が、思わずヒッと声を漏らす。
意外と、ひどいのか。落馬の衝撃で骨も何本かいってるだろうな。医師の反応を目にした彼は、他人事のようにそう思う。
痛みは感じなかった。戦いの興奮で神経が昂っているからか、痛みを感じぬまでに深刻な状態か。軽く咳き込むと、口に生温さが広がった。
――これくらいで死にはしないだろうが、まあ、どうなったとて。
ガイレアは、王子を討てばこちらが崩れると踏んだのだろうか。だとしたらそれは間違いだ。元より、通常であれば指揮官に値する人材を副官に置き、何かあれば取って代われる体制を敷いていた。臣たちにも言い含めていた。俺を盾にでも囮にでもせよと。
俺の命などそんなものだ。失くしても問題ない。最期に多少なりとも役立つなら、それでいい。
彼の目の端には、手当てをする医師の動きが映っていた。その映像は次第にぼやけてくる。
漂うもしくは浮かぶような、朧な感覚に身を委ねながら。
――ああでも。
一度だけ、思ったことがあったな。
白い靄のような視界を前に、自ら遠ざけたはずの声が響く。
『あえてよかった』
……俺は、生まれてきてよかったのだと。あの少女は、元気だろうか。
混沌に浮かび上がる少女の後ろ姿。表情は、見えない。
全身の感覚が引いてゆく中、その淡い光へと手を伸ばしかけたところで――彼は、意識を手放した。




