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[完結]銀色の兎姫 ――母を亡くした一人ぽっちの少女と、母の顔を知らぬ軍人王子との、愛を知るまでの物語。  作者: momo_Ö
第二章『天地別るる瀬にありて』

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祈りと戦 -1


 故郷の村の一角、小さな家屋にて。

 シェリエンは、ぱちぱちと()ぜる暖炉の火を見つめていた。手元には、繕い物を任された衣服がある。


 再び彼女の養親となってくれた夫婦は、それぞれ自分の仕事をしている。

 おじさんは、家の出入り口付近で農具の手入れを。おばさんは、秋に作った保存食や穀物類を吟味しつつ食事の準備を。


 農村の冬は、必須の作業を除き、外での活動はなるべく控える。そして来たる春をただじっと待つ。



 ――ひと月ほど前。


 何の前触れもなく舞い戻ったシェリエンを、隣家の夫婦は快く迎えてくれた。


 とはいえ、一行の到着を目にした際の戸惑いはかなりのものだった。

 急に姫として取り立てられ隣国へ嫁いだはずの少女が、これまた急に帰ってきたのだ。もしや貴族階級の人間たちにいいように扱われ、そして捨てられたのではと――彼らの胸には、口に出せない疑念が渦巻いていた。


 これに対し、ティモンは終始低い姿勢で説明を行った。

 事情を(つまび)らかにはできないが、この帰郷は決して彼女を軽んじた結果ではないこと。むしろ彼女の心身の安寧のために、どうか受け入れてほしいと。



 夫婦は顔を見合わせて。

 それから、シェリエンと三人だけで話がしたいと申し出た。


 ティモンが一旦外に出るとすぐ、おじさんが口を開いた。椅子に座って(うつむ)く少女の前にしゃがみ、彼女の顔を覗き込む。


 ――この三年間、一体何があった? 本当に、ひどいことはされていない? なぜここに送り返された?

 彼女を心配しての思いが、矢継ぎ早の質問となって流れ出る。


 しかし、少女はぼんやりした視線を返すばかりで。

 その様子を心苦しく感じるあまり、ついにおじさんは声を荒らげた。


 どんな事情があるにせよ、勝手に嫁にとっておいて過失もないのに離縁など。王子だかなんだか知らないが――。


 そのとき、俯き続けていた少女はようやく顔を上げ、初めて言葉を発した。

 彼のことを悪く言わないでと、掠れた声で、それだけ。



 夫婦は閉口し、そして受け止めざるを得なかった。

 心ここに在らずの状態だった少女の瞳に、“彼”について声を上げたほんの一瞬、光が戻ったのだ。


 また、彼女の健康的な肌や髪の艶からは、嫁ぎ先で丁重に扱われていたことが窺えた。軽んじることはなかったというティモンの説明は、おそらく嘘ではないのだろうと。


 訊きたいことが山ほどある気持ちをおして、夫婦はシェリエンの帰郷を受け入れた。




 暖炉に燃える火へ暫し目をやったあと、シェリエンは手仕事に戻った。


 家の中には、耳に馴染んだ音が満ちている。ちらちら揺れる炎の奥で、(まき)が小気味よく奏でるリズムを土台として。

 おじさんが農具の刃に硬いブラシをかける、しゃっしゃっと、少し重さも含んだような軽快さと。おばさんが食材を切ったり叩いたり、とん、とか、ことっ、とかが不規則に重なる。


 こうしていると、やはり全ては夢だったのでは――慣れた手つきで布に針をすべらせながら、彼女の心にはそんな思いがもたげる。



 三年前、シェリエンが姫として取り立てられた事実を知るのは、村では養親の二人だけだった。

 周りにはうまく言ってくれていたようだ。彼女は、父方の親族の事情で村を出ていくことになった。そして今また事情があって戻ってきたと、必要に応じて説明している。


 なお、ガイレアの王が代わったこと、それくらいの話は故郷の村にも届いていた。しかし君主が交代したというそれだけでは、末端の農村へ直接的な影響はほぼない。

 したがって、そこに村人たちの興味は大してなく、彼らの生活も変わりなかった。民の間では、戦争がどうとかいう話も今のところ聞かない。


 戦など、本当に起こるのだろうか――。

 つい疑ってしまうほど、農村の冬は以前と同じ静謐(せいひつ)さの中にある。



 “シェリエンが嫁ぐことによって、二国間の争いは止まった”。嫁いですぐの頃、ティモンがかけてくれた言葉だ。


 だが結局、そうはならなかった。ガイレアの王が崩御し、和平は白紙になり、戦が起こる。

 村に戻って日々を過ごすうち、聞いたとき頭の中ですぐには繋がらなかった内容が少しずつ整理されて。

 結果、“自分の存在は何の役にも立たなかった”。この状況を、シェリエンはそう解すに至った。


 ――自分には何の力もないことくらい、わかっていたはずだったのに。



 一度、ふと考えたことがあった。自らの立場の脆弱(ぜいじゃく)さについて。

 王子の庶子であった娘が一人輿入れしたくらいで、長年に(わた)る敵同士のいがみ合いが簡単に止むものだろうかと。


 そうした思考へと向いたのは、彼の視察帰りの姿を初めて目にした日だった。馬に(また)がり、暗青色(あんせいしょく)の騎士服を纏って軍の先頭に立つ彼を。



 恐ろしかった。


 もしかすると、この婚姻は想像以上に脆いのでは。

 何かが起きたら、また戦争になるかもしれない。さすればここにいる自分の身はどうなるのかと。


 けれど、それ以上に。


 見知った温もりになりつつある彼が、戦地に赴くこと。それがたまらなく怖かった。

 どう見ても好んで他者を傷つけるとは思えないこの人が、剣を振るう。その相手は、シェリエンにとっては生まれ故郷の人間で。


 それに、もし彼の身に何かがあったら。自分は何を憎めばいいのかと――。


 当時はうまく言葉にならなかった感覚だ。

 隣にいた彼から心配そうな視線を向けられたが、説明は難しく。なんとか怖いとだけ絞り出したところを、彼はそっと抱き寄せてくれた。



 戦場に出る彼を、どのような気持ちで見送ればいいのか。答えはまだ出なかった。

 しかし同時に、それはもう考えても意味のないことなのだと思い知る。二度と、あの人の隣に立つことはかなわないのだから。


 こうして様々巡らせたうえで改めて感じる。――わたしには、何もできない。

 そして、シェリエンの思考は行き止まりになってしまう。



 抱えきれない思いから逃避するかのように、作業に集中せんと手元に目を落として。それを何度も繰り返すなか、行き着くのは。


 ――どうか、無事であってほしい。


 形のみの夫婦という脆い繋がりが絶え、今は敵国にあり、何の力にもなれなかったこの身で。

 せめて、無事を祈ることくらいは許されるだろうか――。




 空には雪が降っていた。

 初雪の頃とは違って、舞うというより落ちるという言葉が似合う、しっかり質量を伴った雪。


 鈍色(にびいろ)の空から落ちるそれは際限なくこぼれる涙のように。

 家々を、田畑を、道を銀灰色(ぎんかいしょく)に染め上げてゆく。


 冬の間中、少女の銀色の祈りは静かに降り積もっていった。



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