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[完結]銀色の兎姫 ――母を亡くした一人ぽっちの少女と、母の顔を知らぬ軍人王子との、愛を知るまでの物語。  作者: momo_Ö
第二章『天地別るる瀬にありて』

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決断 -3


 ――その日は、清々(すがすが)しいほどの晴れだった。



 旅が始まって、数日が過ぎたある日。

 一行は、これまでと同じく朝早い時間に宿を出た。小規模な町を後にし、進む先は徐々に人気(ひとけ)が減ってゆく。


 長閑(のどか)だ。小型の馬車がぎりぎりすれ違えるかといった幅の、簡易に舗装された道。両脇には背の低い草地が広がり、奥のほうには森が見える。くすんだ緑の中に黄色や枯れ色が混じり、素朴でありのまま、人の手を介さぬ天然のまだら模様を成している。



 その日一度目の休憩を経て、再び出発し、しばらく走ったところだった。

 何もない場所で、馬車は急に止まった。


 どうしたんだろう、次の休憩を取るにはまだ早いのでは――そんなふうにシェリエンが思っていると。

 リオレティウスは、おもむろに口を開いた。


「俺は、ここまでだ」

「…………え?」


 話が見えず、シェリエンは隣に座る夫へと目を向ける。だが、視線は合わない。

 彼は真っ直ぐ座して、馬車の進行方向を向いたままだ。先の一言を発したきり、口を閉ざしている。


 説明を求めてティモンのほうを窺ってみても、同様に沈黙が返されただけ。

 シェリエンはもう一度、彼の横顔に目を戻す。

 得体の知れない焦りから、その瞬きの数を、一回、二回、と無意識に数えてしまう。


 そうして、実際よりも長く感じられたであろう静寂が流れて――ようやく、彼は話し始めた。



「ガイレアの王が崩御した。少し前のことだ」


 そこでやっと、リオレティウスはシェリエンを見た。一旦腰を浮かせて座る向きを変え、身体ごと彼女のほうを向く。


「あちらは、和平条約は存在しないものだと言ってきた。おそらく戦になる。だから……、お前は故郷へ帰るんだ」

「何を、言って……?」


 いきなり告げられた端的な内容は現実感を伴わず、シェリエンにはまったく受け止められなかった。

 しかしこれに構わずに、彼は続ける。


「もうしばらく進めば、ガイレアとの国境に出る。俺は目立つから、一緒に行けるのはここまでだ」


 瞬きさえ忘れたのかと思われるほど、呆然と動けずにいる少女に向かって。

 彼は毅然(きぜん)と説くように言った。


「――この婚姻は、初めから無かった。いいな」




 彼は返事を待たず、立ち上がった。シェリエンの前を横切ってそのすぐ左側の扉を開け、外へと降りる。

 入れ替わる形で、馬車の反対側の扉から家臣の女性騎士が乗車し、つい今まで彼の席だった場所に座った。


 彼の口から聞いた言葉はまだ、頭の中で繋がっていなかった。けれど、追いかけなくては――弾かれたように、シェリエンは勢いよく立ち上がると彼の背を追って飛び出した。



 ほとんど転げ落ちるかのように馬車を出てきた少女に気づき、リオレティウスは急いでその身体を抱き止めた。

 彼女は必死に何かを訴えようと口を開くのだが、それは声にならなくて。


 痛々しくも見えるその姿を前に、リオレティウスは思う。

 頼むからそんな、悲痛に歪んだ表情(かお)をしないでくれ。望まぬ結婚だったはずだろう。



 ――言えなかった。故郷を忘れ、残りの人生はウレノスの王子妃として生きろなどとは、とても。


 戦乱の世になれば、何の配慮もなく元ガイレアの姫を人前に出すというのは(はばか)られる。彼女はまた、日陰でひっそりと生きてゆかねばならない。

 それがいつまで続くかわからない。もしかすると、この先一生涯。


 ずっと(そば)についていられるならまだしも、自分は戦場に出るのだ。それも彼女の祖国を相手として。

 この身がどうなるかもわからない。生きて(かえ)れぬ可能性だってある。


 そんな状況で、隣にいてほしいなどとはとても――。



 そうするうち、ついに彼女の叫びは声の形をとって現れはじめた。


「……嫌、嫌です。私は……っ」


 ――言うな。俺だって、本当は手離したくなんかない。言わないでくれ。


「私は、リオ様とずっと一緒に――」




 ――続く言葉ごと、口が(ふさ)がれた。

 不意に遮られた視界に、シェリエンは何が起きたのか直ぐには理解ができず。


 離れてからやっと気がつく。初めて知る熱と、唇に落ちた柔らかな感触に。


「……わかってくれ」


 切に請うような響きが、彼の口から漏れる。




 目を見張り、瞬間動きを止めた少女を、リオレティウスはひょいと抱き上げた。

 躊躇(ためら)いなしに彼女を馬車へと戻し入れ、手際よく扉を閉める。それから御者席に向かって、短く命じた。


「――出せ」


 ハッと我に返り、今にも扉を開けて飛び出さんとするシェリエンを、ティモンと女性騎士が慌てて抑える。


 シェリエンは彼ら二人に支えられながら、どうにか窓を開け、その身を乗り出す。

 彼は真っ直ぐこちらを見ている。そして、言った。


「元気で」



 馬車は遠慮がちに、ゆっくりと動き始めた。


「いや……」


 絞り出した声は無情にも、開いた窓から風にさらわれる。

 彼は微笑んでいた。いつもと変わらぬ温かな眼差しで。



 ――どうして。



 馬車は少しずつ速度を増して、彼の姿は段々と、確実に小さくなってゆく。

 そして(つい)には見えなくなって。


 それでもなお、シェリエンは一心に窓の外を見つめていた。


 何もない景色の中、ただ空の青だけが、その瞳に映る。



 碧落。

 冬を間近に控えた空は高く、どこまでも果てなく広く、遠い。



 ――いつも隣にあった青が、今はこんなに遠いのに。


 涙の膜で覆われた視界には、一面、清々しいほど透き通った青色が滲む。



 なのに、どうして――。






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― 新着の感想 ―
なんて悲痛な別れ方…。 こうまでされて無かった事になんてムリ〜! と、感情移入しすぎてついつい叫んでしまいました。 リオさんはどうにも我慢ができなかったのですね、シェリエンさん可愛すぎるから(^^) …
[一言] リオ様リオ様、シェリエンちゃんの意見も聞いてあげてぇぇ(涙) 自作でもさんざん、エセルの意見を聞けと言われてます……真面目なヒーローってこういう選択しますよね。そして自分の首を自分でしめる…
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