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[完結]銀色の兎姫 ――母を亡くした一人ぽっちの少女と、母の顔を知らぬ軍人王子との、愛を知るまでの物語。  作者: momo_Ö
第二章『天地別るる瀬にありて』

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決断 -1


「リオ、さっきの話――正気か?」


 ウレノス王宮、国王の部屋を出たすぐのところで。第一王子エドゥアルスは、一歩先に部屋を出ていた弟につかつかと歩み寄った。


 振り向いたリオレティウスは、兄王子からの問いに平然と答える。


「はい。父上からも、問題ないと許しを」

「確かに、話としては可能なものかもしれない。だが……、お前はそれでいいのか」


 今しがた彼らが集まる場でなされた承認事項は、王の冷静な判断に基づいたもの。

 にもかかわらず食い下がる兄へと、リオレティウスは曖昧な微笑みを見せた。


「…………ただ、元に戻るだけです」





 ある晩、夕食と入浴を済ませたシェリエンは、部屋で寛いでいた。ベッドに入るまでにはまだ時間がある。


 先日、リオレティウスの様子が明らかにおかしかった夜――切羽詰まったかのように回された腕と、彼の大きな身体とを、シェリエンはしっかり抱きしめ返した。理由など知らず、ただ無我夢中で。

 そのまま身を寄せ合って眠った。朝目を覚ましたときには、彼の顔には落ち着いた表情が戻っていた。


 それから、もうすぐひと月ほどになる。

 最近になってようやく彼は、寝室へ時間どおり来るようになった。だがこれは毎晩ではなく、遅くなる日も未だに多い。

 忙しさの原因は知らされていない。心の奥でずっと何かがそわそわするような感覚を得ながら、早く以前の日常が戻れば――と、シェリエンは思う。



 ここしばらくは、寝室以外で彼と会う機会もない。元より多忙な彼は、それでも、通常時には合間を縫ってシェリエンと過ごす時間をとっていた。


 初めはどうやら、ティモンに言われて。よく晴れた春の日、一緒に庭園を散歩した。

 その後、時折部屋に現れては。並んで外を歩いたり、部屋で紅茶を飲んだり。短い時間、世間話のような会話をして、彼は自らの業務へと戻っていく。


 話の内容は本当に他愛のないことだ。彼に今日は何をしたのかと聞かれて、答える。文字の勉強をしたとか、礼儀作法の授業を受けたとか、読んだ本について尋ねられ、あらすじを説明するときもある。



 シェリエンは元来おしゃべりな性格ではないし、自分の受け答えに面白みがあるとも思わない。けれども彼は、話の一つ一つに耳を傾けてくれる。

 最初のうちは、彼はティモンに言われて渋々時間を作っているのかとも思った。けれど次第に、そうではないらしいことがわかった。


 いつも問われてばかりなので、シェリエンのほうから尋ねてみたことがある。何をして過ごしているのですか、と。

 彼の回答は、軍の訓練に個人的な修練、王子としての事務仕事及び政治関係者との交流や会合、勉学のための読書等。以前、ティモンから聞いていたのと概ね同じ。


「まあ、毎日そんな感じだ。……面白い話ができなくて、すまない」

 そう言って彼は、なんだか気恥ずかしそうに視線をそらした。


 と、二人ともこんなふうなので、基本的に話が弾むということはなく。会話が途切れる瞬間もままある。

 しかしそうして訪れる沈黙は、シェリエンには不思議と快く感じられた。



 故郷にいた頃、彼女は恋というものは知らなかった。

 村に同年代の子どもはいたが、男の子はある程度の年齢になれば農作業等に駆り出される。女の子は母親の手仕事を手伝ったり、近所の子も含めた幼い子の面倒を見たりという生活の中、よく接していたのは女性や幼子が中心だ。

 結婚は好き合った男女がするもの、くらいの知識はあったけれど、日常に恋を意識する機会はなかった。


 それが一足飛びに、有無を言わさずにもたらされた結婚。一体どういうものなのか、十三歳のシェリエンには想像も付かなかったけれど。


 彼の隣は、居心地がよかった。彼の役に立ちたい、そしてこの先もそばにいたい、知らず知らずそんな想いが育つほどには。

 同じ部屋で寝起きしているだけの関係が夫婦といえるのかどうか、疑問は残りつつも――隣にいるのがこの人でよかった、そう思った。





 こうしてなんとなく、彼との日常についてふっと思いを馳せていたところ。

 部屋の扉をノックする音に、シェリエンの意識は現実へと引き戻された。


 返事をすると、ティモンが顔を見せる。

 夜も更けつつある時刻、たとえ全信頼を置かれた家臣であろうと、妃の部屋に夫以外の男性が訪れることはまずない。

 さらに、告げられた言葉は思いがけないものだった。


「夜分に申し訳ありません。事情がありまして、お出かけの準備を願えますか」

「えっ、今から……ですか」


 目を丸くしたシェリエンに、ティモンは (もっと)もな反応であると言うがごとく、申し訳なさそうに頷いた。

 日はとうに落ち、彼女は寝支度もほぼ整った状態だ。こんな時間に出かけるなど通常あり得ない。


「あの、リオ様は」

「殿下もご一緒ですので、……心配なさらないでください」


 彼も一緒だという言葉に僅かな安心感を覚えて。

 眼鏡の奥の柔和な瞳、ティモンがそれらを一瞬伏すようにしてできた影に、シェリエンは気がつかなかった。



 着替えを済ませて部屋を出たシェリエンは、廊下で待っていたティモンと共に外へ。

 庭園を抜け、王宮敷地内の奥まった場所まで行くと、暗闇にいくつかの人影が見えた。近づいてゆけば、それらはリオレティウスと数人の家臣であることがわかる。


 彼は、夜に溶けるような濃い色のマントを身に(まと)っていた。

 (そば)には一台の馬車が停められている。王宮で普段使用する華やかな装飾がなされたものでなく、黒一色で簡素な見た目のものだ。


 王宮内から出てきた二人の姿を認めると、リオレティウスが口を開いた。

「こちらの準備は済んでいる。出よう」


 その声に従い、家臣たちはてきぱきと配置についた。

 一人は馬車の御者席に座り、ほか二人が、別に用意してあった二頭の馬にそれぞれ直接(またが)る。


 シェリエンは、リオレティウスに連れられて馬車の中へ。続いてティモンが同乗する。



 これから一体どこへ向かうのか――尋ねる間もなく、一行は出発した。



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