夜会 -1
「シェリエン、準備できたか。入るぞ」
王宮の一室にて、シェリエンは身支度を整えるため侍女たちに囲まれていた。彼女らの手で髪型の最終調整をされながら、横目で部屋の入り口へと目を向ける。
部屋の外からの声かけ後、少ししてから扉が開き、リオレティウス、その後ろからティモンが入室してくる。
シェリエンにとって、王子妃として初の公の仕事。その夜会が、今夜開催される。
彼女は数時間前から侍女たちに取り囲まれ、ドレスの着付けや髪結など、なされるがままに準備を整えていた。
身につけたドレスは白と淡い青を基調とし、銀糸でなされた刺繍が煌びやかさを加える。首元から肩、腕にかけては薄いレース生地で覆われており、肌の露出を抑えた上品な作り。腰回りが絞られ身体にぴたりと沿うシルエットは、女性らしい曲線美を浮き立たせている。
後頭部に纏めた髪には花を模した銀の髪飾りが輝き、顔には普段ほとんどしない化粧が施され――とにかく、最大限着飾った彼女は楚々として美しく、年齢よりも一、二歳大人びて見えた。
リオレティウスは、部屋に数歩踏み入れたところで不意に足を止めた。
その動作があまりに急だったので、後ろから来たティモンが彼の背にぶつかりそうになる。
何事かと主人を見上げた長年の世話役は、次にその妃の姿を確認して、合点がいったという様子で頷いた。
「これは……。奥方様のあまりのお美しさに声も出ないこととお見受けします、殿下」
その場で固まるように静止していたリオレティウスは、ティモンの言葉でハッと我に返った。それから振り向いて、即座に言い返す。
「ティモン、揶揄うな。……自分の妻に見惚れて何が悪い」
王子の眉根は険しく寄っていたが、決まりの悪さをごまかすためだとティモンにはすぐわかる。また、ぼそりと足された後半部分ももちろん聴き逃さなかった。
この優秀な世話役は、一瞬だけ驚いたように瞼を持ち上げて、そのあとにっこりと両目を三日月型に細めた。
一方、当のシェリエンはというと――正直もう、ふらふらと倒れそうだった。
普段着のゆったりした作りのドレスとは違い、胸元やお腹は苦しいし、長い髪を複雑に編み込んでアップスタイルにした頭は重い。
それにこの後は、知らない大勢の人の目に晒されるのだ。
部屋の入り口付近で繰り広げられたリオレティウスたちの会話を気に留める余裕は、彼女にはなかった。
ドレスの圧迫感に耐えつつなんとか姿勢を保っていたシェリエンは、自身の夫が目の前まで歩いてきてはじめて、気がついたように視線を上げた。
「よく、似合っている。……綺麗だ」
大変な支度の間、意識がすっかりどこかへと漂っていたために。
彼女はぼんやりとリオレティウスを見上げ、向けられた言葉より先に、その瞳が目に入った。いつもどおりの温かさと、慈しみを湛えた青。
そこでようやく彼女は、呼吸の仕方を思い出したかの心持ちがして。軽く肘を折って差し出された夫の腕に、そっと自らの手を添えた。
ドレスの裾に注意しつつ、会場へと続く廊下を歩く。隣に立つ夫は、当たり前に歩幅を合わせてくれる。
ヒールの高い靴を履いているせいか、シェリエンは彼を普段より近くに感じる気がして――ちらと仰いだその横顔に、ふっと先の言葉が思い出される。「綺麗だ」と。
遅れてやってきた気恥ずかしさに戸惑い、しかし同時に彼女は思った。――綺麗なのは、この人のほうだ。
リオレティウスは、長く豊かな黒髪を後ろで一束に纏めている。耳の上あたりに編み込んだ束が混ぜられ、さりげない大きさの銀飾りがあしらわれているのは夜会仕様か。
服装は、通常日中に着る騎士服と形は似たものだが、主に色が違う。いつもは限りなく黒に近い暗青色であるのに対し、今夜はもう少し明るめの灰がかった紺。落ち着いた色味ながら華やかさが感じられる。
けれどもそういった日常との違いが、彼のことを「綺麗」と感じる所以ではない、とシェリエンは思う。
また、例えば義姉ステーシャを前に美しいと思う感覚とも異なるような。
それ以上、どうにもうまく説明ができないのだけれど。凛と前を向くリオレティウスの横顔は、彼女にとって何か特別な光を放っていた。




