王子妃としての日々 -2
――努力、といえるようなものだろうか。
この二年ばかり、「妃教育」と称して上流階級の礼儀作法などを学んだ。
けれどそれらは平易なもので、組まれた教育日程も無理のないよう最大限配慮されていた。本物の妃教育はこんなものではまったく追い付かないだろうことは、シェリエンにもなんとなくわかる。
嫁いだ先で思いがけない厚遇を受け、何もできない自分を心許なく思った。だから、少しでもできることがあれば、その思いで申し出たのであったが。これではかえって周りから気遣われているだけかもしれない。
それに、夫であるリオレティウスについても。
出会った最初の頃、なんとなく想像していた“王子様”とは少し違うような……シェリエンは彼にそんな印象を抱いた。
どこか飄々として、飾らない雰囲気があって。夜会などの華やかな催しについても、ああいう場は苦手だと少々面倒そうにこぼす人。
けれど――ふと思うときがある。やっぱり彼は王子様なのだな、と。
例えば、国王夫妻と夕食を共にするとき。彼は真面目な表情で、国王や兄王子と政務に関する会話を交わす。寝室でシェリエンが目にする、気を緩めたような姿とはまるで違う。
それから、並んで歩いているとき。何も言わずとも彼は歩幅を合わせてくれるし、段差があれば手を貸してくれる。これらの動作は、受ける側が注意を向けていなければ気づかないほどに自然だ。
おそらく彼は、そうしたことを無意識にやっている。真面目な顔をすべき場面とそうでないところの切り替えも、上流階級の男性らしい紳士的な振る舞いも。意識せずとも勝手に出るくらい、身に染み付いているのだ。
元村娘のシェリエンが王族の教育を受けてこなかったことを、彼が軽んじたことは一度もない。その上で、ここでの妃教育が大変すぎないようにだとか、様々な配慮をしてくれる。
そんな彼の隣にいることについて――私はこれでいいのだろうかと、シェリエンは時々落ち着かない気持ちになる。
こうした思いが一気に巡り、自信なくはにかむしかできないシェリエン。
けれども義姉ステーシャは、なおも優しい眼差しで彼女に微笑みかけた。
「第二王子殿下が大切になさるのもわかるわ」
ちょうどその頃。
自室にて執務中であったリオレティウスは、手元にある最後の書類に目を通し、ペンを置いた。
「少し時間が空いたな。……今、あれの予定は」
傍らで棚の整理をしていたティモンが振り返る。
「シェリエン様でしたら、第一王子妃殿下とお茶をしていらっしゃいます」
「……そうか」
「お呼びしますか?」
「いや、いい。邪魔をするつもりはない」
そう言うリオレティウスは所在なげに、先ほど置いたペンを意味もなく持ち上げたりしている。
「第一王子妃殿下とは、かなり打ち解けたご様子ですよ。ご友人か、本当の姉妹のようにも」
ティモンは部屋の案内ついでに茶席での二人を目にする機会があるが、場には和やかな空気が流れている。
王宮での余白時間を一人で過ごすことが多かったシェリエンにとって、誰かと交流を持つのは良いことだろう。
……が、今までそれを独り占めしていた夫君からすれば。
「お寂しいのですか?」
「……は?」
ぽかんとした顔を向けてくる王子へ、ティモンはにっこり笑みを返す。
「貴重な空き時間に、奥方様にお会いになれる機会が減ってしまいましたので」
揶揄っているともとれるティモンの言葉に、リオレティウスはじとっと一瞥をくれた。
それから彼はふいっとそっぽを向き、片肘をついて一つ溜め息を漏らす。
「……俺は、傲慢だな」
「……はい?」
「隅のほうに閉じこもっていた者が外を見るのはいいことだ。だが……」
顔を背けた体勢のまま、リオレティウスはぽつぽつと独り言のようにこぼす。
「自分の手の中だけで震えていたうさぎが外へ――成長した子を持つ親というのはこういう気持ちだろうか」
今度はティモンがぽかんとする番だ。
政略結婚ながら幼妻を丁重に扱う彼を見守ってきたティモンとしては、この生真面目な王子からそろそろ惚気の一つでも聞けるかと思っていたのだが。
「まだ、子どもだなどと仰っているのですか。シェリエン様のことを」
「……あれは、子どもだろう」
「もうすぐ十六歳ですよ。立派な女性に対していつまでも子ども扱いはいかがなものかと」
「…………」
ちらりと世話役のほうに視線を戻していたリオレティウスは、小さく眉を顰めると、無言のまま再びそっぽを向いた。
その背を見て、ティモンは少しだけ反省する。
彼の言葉に拍子抜けしたせいでつい無遠慮に言い募ってしまったが、二人がそれでいいならば周りがとやかく言うことではない。
差し出がましくも、子にも孫にも思える若い二人の幸せ、ただこれを願うばかりだ。




