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[完結]銀色の兎姫 ――母を亡くした一人ぽっちの少女と、母の顔を知らぬ軍人王子との、愛を知るまでの物語。  作者: momo_Ö
第一章『天地引き合う機にて』

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竜神詣り -2


 宿の一室、洗面台が作りつけられた空間で、リオレティウスは寝支度を整えていた。


 昼間、竜神詣りを終えた一行は、遊歩道の入り口まで来た道を戻った。今晩はこの辺りで一番大きな宿に泊まり、明日からは馬車で王宮への帰路に着く。



 彼が寝室へ戻ると、先に支度を済ませたシェリエンが窓辺に佇んでいた。小さな身体をめいっぱい反らすようにし、カーテンの隙間から夜空を見上げている。

「天気が良ければ流星群が見られますよ」、宿の主人がそう言っていたのを、彼は思い出した。


 近くへ寄ると、シェリエンはそれに気づいて振り向いた。

 彼女の顔には、がっかりともいえる色が薄く漂っている。理由はすぐにわかった。暗い空は霧のように曇って、流星群どころか星の一つも見えそうにない。


 ――意外と、楽しみにしていたのか。


 宿の主人の話を聞いたときの彼女には、目に見えてはしゃぐような雰囲気はなかった。

 だが今、少し俯いてカーテンを閉めるいたいけな背中には、残念という文字が浮かぶようだ。



 リオレティウスはその姿を、彼女には悪いが、しかし微笑ましいとも思った。

 見られなくて残念だと思うようなものが、ここ、彼女にとって異国の地にもあるのだ。怯えて、ひとり震え泣いていた頃からすれば大進歩に思える。


 彼は穏やかな声で慰めの言葉をかけた。


「まあ、来年がある。ちょうど日程が合うことが多いから、次はきっと見られるだろ」


 シェリエンはつと彼のほうを振り向くと、無意識のままにこぼした。


「来年……?」


 あたかも予期せぬ言葉を聞いた面持ちで、目を丸くした彼女は、じっとリオレティウスを見上げている。

 その表情に面食らった彼は、慌てて返事をした。


「あ、悪い。山歩きはもう懲り懲りか? それなら、お前は来年無理に来る必要はない」


 元々、今回の参詣に彼女の同行は必須ではなかった。美しい景色が楽しめるだろうと伴ってみたものの、やはり少女の足に慣れない道のりはきつかったか、と。


 なお丸い目のまま、無言で彼を見つめ続けるシェリエン。

 もしかして何かまずいことを言ったか、この沈黙を一体どうしたものか……、途方に暮れるがごとく、黙り込む幼妻を前にした青年は小さく首を傾げた。




 彼の困惑をよそに、シェリエンはまったく別のことを考えていた。


 ――「来年」。


 その響きは彼女にとって未知のものだった。望むと望まざるとにかかわらず、自然と押し寄せてくる毎日をこなすことに精一杯だったからだ。


 姫として嫁ぐことが決まってからの日々は勿論そうだし、故郷の村での生活だってあるいはそうかもしれない。


 朝起きて、その日の仕事をし、食べて、眠る。村での暮らしは皆、生きることに必死だ。男たちは田畑を耕し、女たちは家のことや育児を担い、子どもや年寄りはそれらを手伝う。

 立ち止まって何かを考える余裕はない。先のこととして捉えるのは、明日の天気やせいぜい次の春くらいなもの。


 それが不幸だという意味では決してない。貧しいながらも助け合って繋ぐ日々の生活は、そっくりそのまま幸せな時間でもある。

 けれどもそこに、未来というものを改めて考える機会はなかった。



 来年。彼の口から聞いたその言葉を、シェリエンは再び噛みしめた。

 そして気がつく。来年も、私はこの人の隣にいるのだと。来年も、再来年も、そしてその先もずっと――。


 止まっていた時計が急に動き出したかのように、シェリエンは自身の心臓がとくとくと脈打つ音を聞いた。

 もしかしたらそれは、彼女が母を失くしてから今まで、ずっと動きを止めていたものかもしれなかった。



「あの」


 シェリエンは手を伸ばして、弱ったという表情で固まるリオレティウスの袖を掴んだ。

 そして、はっきりした声で言った。


「来年も、来たいです」


 彼はゆっくり目を見開いて。それから、その青空のような二つの瞳を柔らかく細めた。


「……来年は、晴れるといいな」


 小さく、でも確かに頷きながら、シェリエンはこの瞳をずっと見ていたいと思った。どこまでも明るく、天色(あまいろ)に輝く晴れの日の青。




 二人が眠りについたあと、雲の上では数多(あまた)の星が瞬いていた。来年こそは、この輝きを存分に披露するのだとまるで競い合うみたいに。


 呼応するように、少女の夢には無数の星が降っていた。


 降る星は少しずつ、静かに彼女の中へと積もっていく。彼女を満たすのは温かな白色の光。満ちてもなお、星々は優しく光を注ぎ続ける。



 顔を上げた彼女が見たものは、夜の闇ではなかった。明るく澄んだ青。


 星は青空から降ってくるんだ……。



 微睡(まどろ)みに呟きながら、覚えず伸ばした手のひらに、シェリエンは確かな温もりを感じた。

 ――夢と同じその柔らかな温度に安心し、彼女は再び眠りに落ちていった。



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