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[完結]銀色の兎姫 ――母を亡くした一人ぽっちの少女と、母の顔を知らぬ軍人王子との、愛を知るまでの物語。  作者: momo_Ö
第一章『天地引き合う機にて』

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軍を率いる者 -3


 朝目を開いたとき、シェリエンの身体はリオレティウスに固く抱きしめられていた。

 彼はまだ眠っている。分厚い胸板から、とくとくと規則正しい鼓動が伝わってくる。


 寝起きの(おぼろ)な意識が覚めていく中で、ふっと、シェリエンは昨夜自分がえも言われぬ恐怖に(さいな)まれたことを思い出した。

 再び背筋に冷たい感覚が走りそうになって、気がつく。彼の腕は温かい。

 普段は軽く寄り添って眠る程度だが、これほどまでしっかり両腕に包み込まれているのは、彼が前日の夜の様子を心配してくれてのことだろうと思う。


 もう一度目を閉じて、シェリエンは彼の胸に顔を(うず)めた。その心臓の音が子守唄みたいに、気持ちを落ち着かせてくれる。

 突として湧いた恐怖心について、彼女は無理に考えることをやめた。



 そもそも、自身には到底手が及ばないところで、訳もわからないまま隣国に嫁ぐことになった。さも当然かのように姫として取り立てられ、住み慣れた村を離れて。理不尽といえば理不尽だ。

 けれどそこに異を唱える(すべ)を持たないシェリエンには、素直に従うよりほかなかった。


 幸いだったのは、自国での花嫁修行中も、ここへ来てからも、ひどい扱いはされなかったこと。

 村を離れるのは寂しかったし(つら)かったけれど、別れを惜しむ時間は多少なりとも与えられた。それに、自分の存在が平和の一助になるのなら、母を亡くしてからも支えてくれた村の皆への恩返しになるのかも――そうやって、十三歳という幼さにして気丈にも、彼女はなんとか自分を奮い立たせてきた。



 カーテンを通して、遮りきれない朝日が徐々に濃く、部屋を明るくする。


「ん……」


 もぞもぞと目覚めの気配を感じ、シェリエンは抱きしめられた格好のまま上体を反らせて、彼の顔を見上げた。その瞳が何度か瞬きを繰り返しながら、ゆっくり意識を取り戻していく。


 起きたかなとシェリエンが思ってからも、リオレティウスはしばらく無言で彼女の顔を見つめた。


「……おはようございます」

「ああ。……眠れたか?」


 遠慮がちなシェリエンの挨拶に、気遣うような返事が返ってくる。

 こくりと頷けば、彼は(いささ)か心配そうな雰囲気を残したまま、微笑みを見せた。


 それから彼はそうっと腕を(ほど)くと、上体を起こしてうーんと伸びをした。


「俺も久しぶりによく眠れた。やっぱり寝床にはうさぎがいないとな」



 ――また、うさぎ扱い……。


 ぱちぱちと目を瞬かせつつ、シェリエンもベッドに半身を起こして、隣で夜着を整える彼をぼんやり眺める。


 視察で彼が不在にしている間、特に寂しいとは思わなかったけれど。しばらくぶりの朝の光景に、不思議なほどホッと安心するような心地。


 “うさぎ扱い”も、不快だと思ったことはなかった。

 おそらく普通の夫婦とはまったく違うのだろうが――母ひとり子ひとりで暮らしてきたシェリエンにとって、普通の夫婦がどういうものか元よりあまり想像がついていなかったけれど――とりあえず花嫁修行中に説かれた、王子妃とは、夫婦とは、というような在り方とかけ離れていることは確か。


 それでも、うさぎだろうとなんだろうと、彼がシェリエンを大切に扱ってくれているのはわかった。



 ――まあ、いいか。うさぎで。


 そう心の中で独りごちながら。

 前日の夜の、ひたりと冷たい恐怖の闇が嘘のように。先ほど聴いた彼の鼓動のリズムが思い出され、シェリエンはその身が段々と温められていく感覚を覚える。



 夜着や髪を整え終わったリオレティウスが、何とはなしに彼女のほうを向く。瞬間彼は目を見張り、驚いた様相で動きを止めた。


「お前……、そんなふうに笑うんだな」

「えっ?」

「……初めて見た」


 言われてやっと、シェリエンは今、自分が微かな笑みを浮かべていることに気がついた。

 同時に、「初めて見た」と言わしめるほど、わたしはこれまで無愛想だったのかと戸惑いもする。



 彼女自身気づいていなかったことだが、確かに、シェリエンが彼に面と向かって笑顔らしい笑顔を見せたのはこれが初めてだ。

 心の準備が十分できたとはいえないままに異国への輿入れが決まり、見知らぬ地で一人、なんとか数か月間やってきた。本人が思う以上に表情が乏しくあったとして、なんら不思議はない。


 といっても時折、気を緩めたような表情がこぼれる瞬間もあった。

 しかしそれはリオレティウスが寝入ってからのことだったりしたので、彼の目には触れていない。



 当惑の色を映したシェリエンに、大きな手がそっと伸ばされた。日々鍛練に励む、固く骨張った男性らしい手。それはぽんと、彼女の頭の上に着地する。


「俺はお前が笑えば嬉しいが……、無理に笑うことはない」


 頭に柔らかな重みを感じながら。

 彼を見上げ、その瞳の青の温かさを確かめて、シェリエンは思う。このひとはどうして、こんなに優しくしてくれるんだろう。


「お前が笑いたいときに笑えるよう、俺は努めていこう」



 ――どうしてかはわからない。けれど、わたしにもはっきりとわかることがある。

 彼の瞳と手、それからこの胸が、今こんなにも温かいということ。



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