庭園にて -3
そよ風が、ベンチに腰掛けるリオレティウスの髪を軽く揺らした。
小径に消えゆくシェリエンの後ろ姿を見送ったあと、彼は、何とはなしに空を仰いだ。――のどかだ。たまにはこういうのも悪くない。
そうして彼が束の間思考を空っぽにしていると、宮殿のほうから一人の男性が歩いてきた。
落ち着いた静けさを纏いながら、どこか堂々とした佇まい。繊細で艶やかな金の髪を後ろで一つに束ねている。
この人物に気づいて、リオレティウスはベンチからさっと腰を上げた。
「兄上」
やってきたのは第一王子エドゥアルスだ。
弟王子からの呼びかけに気づくと、奇遇だとでもいう視線を返してよこす。
「めずらしいな、こんなところで」
「ちょっと、シェリエンと散歩を。兄上こそ、どうして庭に?」
「私は、ステーシャへの花を見繕いに」
「へえ」
兄の返答に、今度はリオレティウスが目を見張る番だった。
エドゥアルスは常に冷静で淡々とした人だ。妃であるステーシャとの仲は悪くないはずだが、人前での二人の空気感はあっさりとしている。そんな彼が手ずから選んだ花を妻に贈るとは、少々意外だった。
――まあでも、あれだけの美しさなら花の一つや二つ、贈りたくもなるか。
義姉の姿を浮かべたリオレティウスは、心の中で頷く。
華奢で儚げで、誰もが振り返るような美貌を持ち、妃としての教養や気品も備えている。第一王子との結婚は何年も前から決まっていたが、異を唱えるなど誰も思いつきもしなかった。
正式な婚姻は、二人が十八歳に達するのを待って結ばれた。此国がシェリエンを迎えた、約半年前のことだ。
父同様に真面目で政務のことばかりの兄上に、自らの手で花を贈らせるとは。義姉上はなかなかやるな――リオレティウスはそこまで考えて、ふと思い至った。
いや、もしかして妻に花を贈るというのは特別なことではないのか? 俺が至らないだけか、やはりシェリエンにも何か。いや、あれは要らないと言って雑草を摘みに行った訳だし……
いつの間にか、思考はそんな方向へ。とはいえ彼の逡巡は表には現れず、静かに脳内を巡ったに過ぎなかったが。
それらを読み取りでもしたかのように、エドゥアルスは弟に声をかけた。
「案外仲良くやっているんだな」
「え?」
「お前の、妃どのと」
「……まあ」
隣国ガイレアとの同盟と婚姻が決まったとき、ウレノス王家の誰も、“シェリエン自身”には関心がなかった。リオレティウスもそのうちの一人だ。
兄王子には既に然るべき相手がいて、その兄はいずれ王位に相応しいと皆が認めている。ならば自分は結婚などしなくとも別に問題ないかと考えていたところに、隣国からの縁談が来た。国のために必要ならちょうどいいと、二つ返事で受けただけだ。
初めて実物の彼女がウレノスに到着した日。その毒にも薬にもならなそうな少女を、国王は王子の好きにしてよいと言った。
リオレティウスとしては、この夫婦関係に取り立てて望むことはなかった。ただ、震える彼女を目にし、できるだけ不自由のないようにはしてやりたいと、そう思った。
彼女はいきなり現れた「夫」というものに怯えた様子だったので、初めはなるべく関わらないようにしていた。
気づけば、見知らぬ夫に対する彼女の警戒は少しずつ解かれている。といっても、二人の間に夫婦らしい何かがあるわけではない。
――仲良くと言っていいのかはわからないが……、まあ悪くはないだろう。多分。
そんなふうに結論付ける。
「政略結婚を押し付けたようで気にしていた。お前には縁談もたくさんあったのに」
普段ほとんど喜怒哀楽の表情を映さないエドゥアルスの顔が、ほんの僅かすまなそうに翳った。
しかし、リオレティウスは即座に首を横に振る。
「いえ、縁談には元々興味もなかったし。…………あ、」
兄に返事をしながら、彼は後ろを振り返った。
「シェリエン」
そこには、花冠を作りに出向いた少女が戻ってきていた。




