銀の兎 -2
――朝。
シェリエンは、普段と異なる感覚に目を覚ました。なんだかやけに布団が暖かい。
瞼を開けると、ベッドの天蓋が目に入った。
――そうだった、わたしは隣国に……。
未だに朝、目が覚めてここはどこだっけと思うときがある。村を出た後の暮らしに身体が順応しきれていないのだろう。
それはそうと、と彼女は思う。この国のベッドはこんなにあたたかかったっけ?
半分夢の中の状態で、ここでの生活の記憶を手繰り寄せる。
この国の布団はふかふかしていて……でも、これほどまであたたかな朝はなかった気がするけれど……。
不思議に思いながら、なんとはなしに横を向く。
すると目の前には、すやすやと心地よさそうに眠る男性の顔があった。鼻筋の通った端正なつくりの顔に、乱れた黒髪が数束はらりと落ちている。
そこでやっと、シェリエンは自分が彼――リオレティウスに抱きすくめられていることに気がついた。
彼の筋肉質な両腕は、シェリエンの身体をすっぽり包むように回されて。薄手の夜着の向こうから、自身のものではない体温が伝わってくる。
これは、いったい……? 昨夜はいつもどおり、彼は向こう側を向いて寝入っていたはず――少女の寝起きの頭は急速に働き、必死に思考を整理する。
そうこうしていると、瞳を閉じたままのリオレティウスが不明瞭な声を発した。
「……うさぎ……」
――そういえば。夢現の中、誰かがうさぎと言うのを聞いた気がする。
彼の寝言? もしかして今これは、夢の中でうさぎを抱いているつもりで……?
段々と状況が飲み込めてきた気がするも、この先どうしたらいいのかはシェリエンにはわからなかった。
どうしよう、そうっと抜け出れば……。
そうやって、少女がひそかに頭を悩ませているうち。
突然にリオレティウスの瞼がぱちりと開いた。思いがけず、目が合う。
彼の両眼はしぱしぱと眠そうに何度か瞬いたあと、大きく見開かれた。
「…………!?」
飛び起きるように身を離して、彼は再び目を瞬かせた。なぜだかシェリエン以上に驚き、狼狽えている様子。
「俺、なんかしたか……?」
「い、いえ」
「…………」
「……ただ、うさぎと」
「え?」
「寝ながら……うさぎと言って……」
「あー……」
少女の辿々しい説明に、思い当たるところがあったらしい。彼は片手で髪をかき上げながら、気恥ずかしそうに言った。
「……夢に、うさぎが出てきた」
シェリエンは、昨夜寝る前に彼へ手渡した絵本のことを思い出す。彼から、そこに描かれたうさぎに似ていると言われたことも。
「悪い、嫌だっただろ」
申し訳なさそうな視線が向けられる。
同時にかけられた言葉に、シェリエンは小さく首を横に振った。
――改めて問われてみると……嫌ではなかった。
彼は大きくて、近づかれれば無意識に身体が跳ねそうになるほどだったのに。全然怖くもなかった。
こんなふうに、誰かに抱きしめられて眠ったのは――。
「むかし、母と」
「え?」
「母と一緒に眠ったみたいで、あたたかかったです」
「……そうか」
返答を聞いたリオレティウスは、口の端を少しだけ上げて笑みを返した。
そこに漂った微かな寂しさに、シェリエンが気づくことはなかった。
「じゃあ、俺はそろそろ行く」
「はい。……あ、あの」
彼がベッドを出ようとするのを、シェリエンは慌てて呼び止める。
お礼を言えず仕舞いだったことを思い出したのだ。彼がここでの生活に心配ってくれたこと、それから、泣いていた夜に慰めてくれたこと。
「いろいろと、ありがとうございます、リオレティウス殿下」
彼は一瞬意外そうに瞼を持ち上げて。そして、ごく穏やかな瞳で微笑んだ。
続いて彼はベッドを降りたが、何かを思い出したように、ついと振り返る。
「リオでいい」
「……え?」
「リオレティウス殿下、なんて長ったらしいだろ」
どうやら先ほどシェリエンが、彼を“リオレティウス殿下”と呼んだことに言及しているようだ。
「リオ……様……」
「ん。まあ良いかそれで」
拙くも口に出してみれば、彼は満足気な視線を寄越した。
「じゃあ行ってくる。……シェリエン」
乱れた夜着を整えて、彼はいつものように寝室を出て行く。
静かに閉まる扉へ、消えた背を見送りながら。
シェリエンは今、初めて彼に名前を呼ばれたことに気がついた。




