286 私が一番知っています
おそらくは、こんな説明を重ねたところで、アルノルトの疑念は払えないということなのだろう。
(私が浮かない顔をしているのが、ザハドの所為だと思っていらっしゃるのだわ。なんの話をしていたのか、本当のことは全部言えないけれど、ザハドの名誉を守らなきゃ……!!)
とはいえ、アルノルトに嘘は通用しない。
だからリーシェは、自分の心にある感情の中から、アルノルトに説明出来そうなものをひとつ選ぶ。
「本当に、何も問題は起きませんでした。ただ、幼いアルノルト殿下のお話を聞いているうちに、私が……」
俯いて、少し視線を彷徨わせた。
「悋気を、抱いてしまい」
「悋気?」
「その、お義父さまやザハド陛下が、羨ましくて」
思わず口をついたのは、こんな言葉だった。
「……私の知らないアルノルト殿下が沢山いらして、すごくさみしい……」
「………………」
そうまで言って、はっとする。
(……今、とんでもなく子供じみた我が儘を言ってしまったのでは!!)
アルノルトは僅かに眉根を寄せていた。呆れられても仕方がないので、リーシェは慌てて謝罪をする。
「も、申し訳ありません。おかしなことを」
「……時間を戻すことは、不可能だ」
(う…………!)
何度も時間を逆行しているリーシェにも、十分それは分かっている。
それでも、ついつい『繰り返し』経験者の視点が出てしまったのかもしれない。
(時間が戻るという現象について、アルノルト殿下は想像すらしたことがないはずだもの。叶えていただくことの出来ないおねだりをしてしまうなんて、やはり我が儘が過ぎたわ)
反省しているリーシェを見下ろして、アルノルトは少しだけ目を伏せる。
これは恐らく、何かを考えているときの表情だ。リーシェが首を傾げようとした、そのときだ。
「!」
アルノルトの両手で、頬をくるまれる。
「殿下……?」
「…………」
そうかと思えば、今度は親指でまなじりをなぞられた。
「ひわ」
これがどうにもくすぐったい。けれどもアルノルトは、リーシェのことを見下ろしたまま、無言でむにむにと頬を撫でてくる。
思わぬ行動に戸惑いながらも、リーシェはようやく思い至った。
(……これは、あやされているのかも……?)
願いを叶えられないことを、償われているような気がしたのだ。
そう考えると、これもアルノルトが困った末の行動に見えてきて、ついつい可笑しさが勝ってしまった。
「ふふっ」
「……なんだ」
リーシェは、自分自身の手をアルノルトの手に重ね、目を細める。
「ありがとうございます。殿下」
ひとつ、分かってしまったことがあるのだ。
リーシェは微笑み、アルノルトがくれたものが何かを言葉にする。
「少なくとも、こうしたアルノルト殿下のご様子を知っているのは、私だけですね?」
「――――……」
アルノルトが僅かに目を眇めた。
その耳には、リーシェの瞳と同じ色をしたエメラルドの石が輝いている。
「我が儘を、たくさん聞いてくださるのも。お嫌いなはずの宝飾を、こうして身に付けてくださるのも」
本来ならばエメラルドという石は、色が濃いほど価値が高い。リーシェの瞳に合わせた淡い色は、ガルクハインの皇太子が持つには似つかわしくないと、そんな批判を受けてもおかしくはなかった。
そんな中、アルノルトがくだんの宝石店で手配をしてくれたのは、たったひとつの地域からしか採取できないエメラルドだ。
アルノルトがそこまですることに、従者のオリヴァーは驚いていたようだが、リーシェだってとてもびっくりした。
「それに今夜は、ハリル・ラシャの正装まで」
「……あの男の国の衣服を、お前だけに纏わせる訳にいかないだろう」
「?」
不思議な言葉に首を傾げるが、異なる国の伝統衣装を着るという行為が、政治的な意味合いを持つ場面もある。恐らくアルノルトは、そのことを言っているのだ。
「!」
今度は親指でくちびるをなぞられて、リーシェは身を竦める。
ザハドへのやきもちはもう消えたと、遠回しにそう告げたつもりだったのだが、上手く伝わらなかっただろうか。
「アルノルト殿下……?」
「…………」
意図を尋ねるまなざしを送ると、アルノルトは、穏やかな声音でこう言った。
「ようやくちゃんと笑ったな、と思っただけだ」
「…………っ!!」
やはり、アルノルトはとてもリーシェに甘い。
(……どうしてこんなに、優しくしてくださるの……!)
冷たく残忍に振る舞おうとも、根底にあるその優しさこそが、アルノルトの本質なのだとは知っている。
それでもやはり、どうしても考えてしまうのだ。
(決して自惚れではないわ。アルノルト殿下にとっての『私』には、他の方と違う何かがある)
それこそが、アルノルトに婚姻を申し込まれた理由なのだろうか。
アルノルトに恋をしているからこそ、踏み込むことには勇気がいる。それでもリーシェは、口を開いた。
「……ここ最近は、あなたへの我が儘ばかりです」
リーシェの頬から、アルノルトの手がゆっくりと離れる。それを名残惜しく感じながらも、アルノルトの瞳を見上げた。
「特にお義父さまとの謁見については、無理なお願いを申し訳ありませんでした。――あのあと、アルノルト殿下がおひとりで残られたのは、お義父さまからのお叱りがあったからでは?」
「あれは、お前に起因したものではない」
アルノルトは、はっきりと言葉で否定する。
「騎士たちの今後の訓練計画について、報告する点があった。ただ、それだけだ」
「…………」
たとえリーシェの懸念通りでも、アルノルトならそんな風に庇ってくれるはずだ。
分かっているからこそ、これ以上を尋ねることは難しい。だから、とある選択をした。
「……お義父さまが、仰いましたが」
月の光が差し込む窓の前で、リーシェは真っ直ぐに言葉を向ける。
「私たち、幼い頃に出会ったことなど、ありませんよね?」
「――――……」
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