248 願いと祈り
(だってなんだか先ほどから、たくさん触れてくださっていて。それから……)
一緒の寝台に入ってからは、リーシェを落ち着かせるためでありながらも、アルノルト自身が戯れに触れているかのようだった。
リーシェははっとし、慌ててアルノルトに尋ねる。
「やはり、お怪我が障っているのかも……?」
「…………」
「体勢がお辛かったりしませんか? 仰向けも横向きも痛むようでしたら、負荷を分散するような形で寝ていただくのが良いのですが」
用意されているのが冬用の上掛けであれば、丸めることで姿勢の助けにもなっただろう。しかし、薄手の夏用や枕ではそれも難しい。
リーシェは少し考えて、もぞもぞとアルノルトの方に身を寄せた。
「……リーシェ?」
「だ……抱き枕があれば、苦痛も軽減出来るはずでして……」
意を決し、青い瞳を見つめて告げる。
ここで一番『抱き枕』として使いやすいのは、恐らくリーシェ自身だ。
「……私のことを、どうぞ殿下のお好きに抱いてください……」
「――――――……」
すると、無表情のアルノルトが目を伏せる。
かと思えば、先ほどまで丁寧に触れてくれていた指で、わしわしと髪を撫でられた。
「んんんん……っ!?」
リーシェは小さな頃、大好きだったぬいぐるみを、加減出来ずに撫で回したことを思い出す。
この触れ方は、甘えられているのでもあやされているのでもなく、どちらかというと叱られているような意図を感じた。
「やっ、殿下……!」
「……お前は……」
アルノルトはようやく手を止めたあと、物言いたげに小さく息をついた。
「ご、ごめんなさい」
いくらなんでも不便な提案だ。リーシェの抱き心地が良くなくて、却って傷口の負担になる可能性もある。
「少しでも、殿下の眠りが穏やかであれば良いのですが……出来ることが、あまりにも少なくて」
「……」
どれほど薬の知識を得ても、侍女として看病する方法を学んでも、まだまだ足りないのだと痛感する。
深い傷を負った誰かを癒すことは、女神でもない限り難しい。
「…………分かった」
アルノルトの青い双眸に、温かな温度が宿っている。
くしゃくしゃになったであろうリーシェの髪を、今度はやさしく梳きながら、アルノルトはこう言った。
「少し借りる」
「え…………」
次の瞬間、その腕の中に抱き込まれる。
「……っ」
片方の手はリーシェの腰を引き寄せ、もう片方の手は背中へと深く回された。リーシェの顔はアルノルトの胸元へとうずまり、あまりにも彼の存在が近いことに息を呑む。
(アルノルト殿下の、体温が……)
包み込まれてしまったリーシェは、耳まで熱く火照るのを感じた。
アルノルトに重みを少し預けられて、リーシェへと縋るような触れ方に左胸が疼く。
自分の心臓が鼓動を打つ度に、彼に恋をしている事実を思い知った。心がきゅうっと苦しくなって、リーシェはアルノルトのシャツを小さく握り込む。
「お前に甘えているのは、確かだな」
「……殿下……?」
アルノルトは、リーシェの額にくちびるを触れさせて囁いた。
その続きは語られない。けれども彼が考えていることを、リーシェはなんとなく汲み取ってしまう。
(私を妻にすることも、そのために傍に置いてくださっていることも。……この方には『目的』があって、その手段のひとつだと以前、仰った……)
アルノルトは、どうしても自身を許さない。
いまのリーシェが彼との婚姻を望んでいようとも、自分自身と父帝の所業を厭うアルノルトにとって、これはリーシェを犠牲にした結婚なのだろう。
(……私はあなたの目的にとって、誰よりも邪魔な存在になり得るのに)
アルノルトの戦争を止めて、彼をやさしい未来に連れて行きたいと、そんな目的を明かすつもりもない悪妻だ。
(……っ)
リーシェはアルノルトの背に腕を回し、自分からもぎゅうっと縋り付く。アルノルトが少し驚いた気配がしたものの、その手は大切に髪を撫でてくれた。
「……アルノルト殿下が、怖い夢を見ませんように」
「……リーシェ?」
リーシェに触れて眠ると、おかしな夢を見なくなると教えてくれた。どうか今夜もそうであってほしいと、リーシェは願う。
「あなたが、ご自身のそんなささやかな幸福を、望んで下さる日が来ますように……」
「――――……」
アルノルトの心音を聞きながら目を閉じると、大きな手が頭を撫でてくれた。
彼が眠るまで起きていたかったのに、体がゆっくりと温かな海に沈んでゆく。愛しい温かさに頬を寄せて、リーシェはいつしか寝息を立て始めるのだった。
「…………」
僅かに体を離したアルノルトが、眠ったリーシェの左手に指を絡めたことを、当然ながら知ることは出来ない。
「そんな幸福は、望まない」
リーシェに届くことのない彼の言葉が、淡々と紡がれる。
「――だが」
アルノルトは目を伏せると、リーシェの薬指に口付けを落とし、こんな風に告げた。
「……いつか、お前が俺の願いを叶えてくれ」
その声音は冷たさと、仄かな昏さを帯びているのだった。
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6章4節・終わり 6章最終節へ続く




