230 ちゃんと得られているのです
ヨエルはリーシェを斬るために、一気に間合いへと踏み込んでくる。
(この剣)
手合わせと呼べる速度ではない。ヨエルの操る俊速の剣を、このままではまともに食らってしまう。頭上から振り下ろされる刃を前に、リーシェは悟った。
(剣術では、防ぎ切れない――!)
「おい、いい加減に……っ」
ラウルが咄嗟に投げナイフを引き抜く、それが視界の端に映る。けれどもリーシェはすぐさま閃き、自らの剣を盾として構えたまま、迷わずに足を振り上げた。
(正統な剣術で、駄目なら……)
「!」
ヨエルが驚いて目を見開く。ぱんっと爆ぜるような音がして、ヨエルの剣がその手から離れたのだ。
「な……」
リーシェが狙いを定めたのは、ヨエルが握り込んでいた剣の柄だった。
この蹴りは指の関節に衝撃を与え、剣には下からの力を加える。遥か高くに蹴り出された剣が、少し離れた石畳に突き刺さった。
「……」
「お手合わせありがとうございました。ヨエル先輩」
リーシェはほっと息を吐き、ヨエルに向かって一礼する。短い時間に凄まじく集中した所為か、思った以上に呼吸が乱れていた。
向こうでラウルがなんだか呆れたような顔をしている。そしてリーシェの前に立つヨエルも、大変な不覚を取ったと言いたげな顔をしていた。
「……皇太子の婚約者をやっている女の子が、足技……」
(ヨエル先輩にこうして『女の子』と呼ばれるのも、不思議な感じがするわね)
そもそも今は男装中だ。リーシェは息を切らしながら、ヨエルに向かって詫びた。
「剣術以外の戦法も使ってしまい、申し訳ありません。私が怪我をするととても心配して下さるお方がいるので、自衛の手段を選べず……」
まさかヨエルが手合わせで、こんなにも迷いなく攻撃してくるとは予想していなかったのだ。前世で手加減されていたのは、あくまでリーシェが『後輩』だったからなのだろう。
ヨエルは落ちた剣を見遣り、複雑そうな顔のままで言う。
「多少戦い慣れしてる騎士でも、剣術に体術を混ぜるなんて中々やらない。ましてや、あんなのが反射的に出るなんて」
(ヨエル先輩の仰る通りだわ。普通の『騎士』が身に付ける剣術は、騎士道精神に基づいた美徳が前提にある)
けれどもリーシェはガルクハインで、そうではない剣のことを学んでいた。
「美しい剣術の型にこだわらず、生き延びるためにどんな手をも使って戦う。……その戦術が最も強いのだと、私の怪我を心配して下さるお方に教えていただいたのです」
「…………」
アルノルトと初めて手合わせをし、いまのように男装して訓練に潜り込んだ、そんな二ヶ月前のことを思い出す。
あれからリーシェは日々、隙を見てはひとりで剣の鍛錬をしていた。時々アルノルトが指導してくれて、手ほどきに剣を交えてもらったことも数回ほどある。
『お前はそもそも正統派の剣術より、相手を翻弄する戦いの方が向いている』
例によって立てなくなったリーシェを抱えて歩きながら、アルノルトは平然とした顔で言っていた。
『翻弄、ですか?』
『素早い身のこなしと優れた体幹、高い瞬発力を持つからな。人体の急所がすべて頭に入っている上、飛び道具の弓矢と剣を同じくらい扱える人間もそうはいない。――そこに加えて、その突飛な発想力』
『最後のひとつはなんだか妙に、含みがある気がするのですが!!』
あれは恐らく揶揄われていた。けれどもリーシェは、この国に来てから学んだことを参考に、『美しい剣術だけに囚われない、ガルクハイン式の騎士の戦い』を意識して鍛錬していたのだ。
(アルノルト殿下に教わったことが身についていると思うと、こんなにも嬉しい……)
自分の両手を見下ろして、自然と口元が綻んだ。ヨエルはそんなリーシェを見て、ぽつりと呟く。
「……アルノルト・ハイン殿下、か」
「ヨエル先輩? 一体どうなさって……」
ヨエルの顔を覗き込もうとしたリーシェの首根っこを、ラウルが後ろから掴んで引いた。
「あーはいはい、その辺りでストップ。サボりの時間は終わりだルーシャスくん、ヨエルくん」
「ラウル……先輩」
「これ以上やらかされたら、俺がアルノルト殿下にキレられそうだ。ここでの目的は果たしたんだろ? これから戻ってくる隊長さんとやらを適当に誤魔化したら、さっさと次に行こう」
もっともであるラウルの言葉に頷いた。ドレスの試着が延期になった時間の分は、有効に活用しておきたい。
(ヨエル先輩の殺気も、なんだか落ち着いたみたいだし)
ヨエルは煉瓦造りの倉庫に背中を預けると、まだまだ眠そうな顔で言う。
「……次ってなに? というか俺、ほんとーに剣でしか役に立たないと思うけど。それでもまだあんたたちと行動しないと駄目……?」
「自分で言うな、自分で」
「出番が来たら呼んでほしい……。敵の所に乗り込んで全員斬っていいとか、なんかそういう……むにゃ」
相変わらずのヨエルに苦笑しつつ、リーシェは気を引き締める。
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