218 どこにも秘密の技術です
『――歴史的に見ても、ガルクハインが相手取るのは同じ大陸内の国ばかりだ。なにしろあの広大な大陸で、領土を広げるための戦争を繰り返してきたんだからな』
男装した騎士姿のリーシェは、城下にある酒場の片隅で、ヨエルの隣に座って団長の話を聞いていた。
『はい、団長!』
『うむ、なんだねルーシャス君!』
かしこまって挙手をしたリーシェのことを、同じく畏まった団長が指差す。随分と酒が入っているためか、彼の頬は赤い。
リーシェは麦酒のおかわりを注文しつつ、賑やかな酒場で上官に尋ねた。
『つまりガルクハインは、海の向こうと戦う技術に乏しいということですよね?』
『そうだ、あの国には海で戦うための船が無い。船を造る知識と技術も持たず、船を操る船員だって居ないということだ』
『ですが、貿易や旅に使うための船であれば、ガルクハインはどこよりも立派な船を持っていそうなのに……』
『軽くて速い方がいい商船と、強度が必要な戦闘用の船では違うからな。なあヨエル』
先ほどから少しずつチーズを齧っていたヨエルは、いきなり話を振られて眠そうに答えた。
『え、なんで俺に話を振るんですか。団長が酔っ払って始めた面倒臭い話、団長が頑張って膨らませて欲しいんですけど……』
『なんだヨエル。お前先輩のくせに、後輩の疑問に答えてやらないのか?』
『……先輩……』
ぽつりと呟いたヨエルは、もそもそとリーシェの方に向き直って言った。
『……ルー。海戦って、敵の船に移動して剣で戦うんだけど』
『はい、ヨエル先輩!』
『そのときに自分たちの船の先を、どーんと敵船の横っぱらにぶつけるの。騎士が剣で戦う前に、船同士がそうやって戦うんだよ』
『……戦闘用の船には、ぶつけるための攻撃力と、ぶつけられても耐え得る強度が必要になるということですよね……』
きっと凄まじい衝撃なのだろう。なにせ、船に穴を開けるための行為なのだ。
『ですが攻撃力と防御力を兼ね備えた船を造ると、今度は船体が重くなってしまうのでは? 速度が出ないと航海自体に時間が掛かって、敵と戦う前に戦争資金が尽きたり、なんらかの事故で全滅してしまいそう……』
『そーみたいだね。その点うちの国の船は、強くて頑丈で速いのがすごいって。陛下が酔っ払ってベタ褒めしてたけど……団長、合ってます?』
『その通り。このシャルガ国は、海の外と戦う手段がなければ立ち行かなくなる島国だからな』
受け取った麦酒を飲みながら、リーシェはふんふんと団長の話を聞く。
『戦いのための船を造る必要があったからこそ、造船技術が凄まじいんだ。これらは重大な国家機密であり、知識を持つ者は、国外に出られない決まりになっている程なんだぞ』
『国家機密!』
騎士人生のリーシェは、それを聞いて目を丸くした。確かにシャルガ国にとっては、決して他国に流せない情報だろう。
(懐かしい、騎士人生の思い出だわ。あのときの話を、アルノルト殿下の婚約者という立場で振り返ることになるとは思わなかったけれど)
船内の品々を見て回りつつ、リーシェは考える。
(海戦にも、船を使って他国に攻め込むのも、陸で戦う以上の危険がある。だからこそガルクハインだって、極力海戦を避ける傾向にあるはず)
たとえば海を挟んで向かいのコヨル国は、金鉱などを有する国だ。その領土の価値は高いのに、現皇帝はコヨルを積極的に攻めなかった。
(以前、ローヴァイン閣下やフリッツも話していたものね。数年前の戦争で、北の領地シウテナには敵国の船が攻めてきたときのことを)
それを迎え討ったアルノルトは、こちらも船で海上に出るのではなく、敵を敢えて陸地に上陸させてから一網打尽にしたらしい。
(少なくとも二年前までは、ガルクハインは明確に海戦を避けていた)
ガルクハインが世界中に侵略の手を広げるためには、造船技術と船乗りが足りていなかったのだ。
(けれど、それをこのお方が変えてしまう。――海をも超えて、遠い国を侵略する力さえ手に入れる……)
リーシェが隣を見上げると、アルノルトはすぐさま視線を返してくれる。
その青い瞳は、リーシェが世界で一番好きな色だ。
(造船の技術は国家機密で、本来なら技術者は国外に出られないわ。恐らく過去の人生では、海賊に攫われた造船技術者が、アルノルト殿下に出会ってしまっていたはず)
それを止めるそのために、ウェディングドレスの支度が間に合わない可能性を承知の上で、ヨエルがやってくる時期に合わせてベゼトリアに訪れられるように仕立てに出した。
シャルガ国の船は、一隻作るのにおよそ三年から四年かかるのだそうだ。設備の整っていないガルクハインであれば、四年以上の歳月を要するだろう。
つまるところ、アルノルトが五年後の戦争であの船を運用するためには、おおよそ今くらいの時期に造船技術を得ているということになる。
(あの戦争に間に合っているのだから、造船事業への着手はきっともうすぐ。とはいえ、いまの最大の目的は、一刻も早く被害者の女性たちを助け出すことだわ)




