196 騎士の誓約
名前を呼ばれたアルノルトが、オリヴァーへの指示を中断する。
アルノルトが視線で合図をすると、オリヴァーは心得たように一礼し、舞台裏から出て行った。面倒臭そうな溜め息をついたアルノルトに対し、グートハイルが告げる。
「この度、アルノルト殿下にご指導いただいたことを、私は生涯忘れません。……守るために、命を捧げて戦うのではなく、最後まで生き抜く覚悟で守り続ける。その大切さを知ると共に、難しさも痛感する次第です」
そしてグートハイルは、アルノルトの前に跪いた。
「己の未熟も、不甲斐なさもすべて承知いたしております。その上で、国という大きなものではなく、まずは目の前の大切な人を守り抜ける騎士になるため」
深く頭を下げたのちに、グートハイルがアルノルトを見上げた。
「――私を、あなたの臣下に加えていただけないでしょうか」
(……!!)
グートハイルの申し出に、リーシェは息を呑む。
リーシェの知っている未来において、グートハイルはアルノルトの忠実な臣下だ。
戦争による侵略を行うために、各地で戦場を指揮して戦う。グートハイルの功績によって、いくつもの国が落とされるのだった。
(グートハイルさまがアルノルト殿下の騎士になれば、未来の状況に近付いてしまう……)
つい先日までは、そのことを恐ろしく思っていた。
けれどもいまは固唾を飲み、アルノルトが頷くのを祈っている。
彼の望みが叶い、アルノルトの騎士として、実力にふさわしい評価が与えられることを心から願った。
(アルノルト殿下)
「……」
アルノルトは眉根を寄せ、忌々しそうにグートハイルを見下ろした。
「立て」
「……っ」
冷たく威圧するような声音だが、グートハイルに引き下がる様子は無い。
「何度でも頭を下げさせていただきます。認めていただけるまで、私は……」
「いいから立てと言っている」
「殿下……!」
そしてアルノルトは渋面のまま、溜め息をついたあとでこう告げるのだ。
「その礼は、忠誠対象に首を捧げるために取る姿勢だ。必然的に隙が多く、襲撃されてもすぐには動けない」
「……アルノルト殿下……」
「聞こえたのならすぐにやめろ。これは、俺の近衛騎士全員に告げていることだ」
「!!」
アルノルトの透き通った瞳が、真っ直ぐにグートハイルを見据えている。
「――俺の騎士を名乗る以上、これからはその姿を安易に晒すな」
「……っ」
グートハイルは急いで立ち上がると、今度はアルノルトに深く一礼した。
「ありがとう、ございます……!!」
「グートハイルさま!!」
「!!」
シルヴィアが大きな声を上げ、グートハイルにぎゅうっと抱き着いた。
たじろいだグートハイルが、それでもしっかりシルヴィアを抱き止める。シルヴィアは、今度は先ほどまでと違う泣き声で、グートハイルを祝福した。
「おめでとう……!! これできっと、あなたの願いが、騎士としての第一歩が叶うのね!」
「シルヴィア殿……」
「あなたはこれから、お父さまの罪に関係なく、あなたの素晴らしさだけで評価されるんだわ」
シルヴィアがそんな風に言えば、グートハイルがはっとしたように目を見開く。
「そのことが、すごく嬉しい……!」
「……私は、そんなことよりも」
グートハイルは苦笑したあと、シルヴィアを改めて抱き締める。
「その事実を、私以上に喜んで下さるあなたの存在が、何よりも嬉しく愛おしいです」
(……良かった)
リーシェはほっと息をつく。
シルヴィアはきっと、『グートハイルの前から消える』なんて、そんな風には言わなくなるだろう。
そのことを確かめたわけではないけれど、グートハイルへ懸命に抱き着いている姿を見ていれば、そんな未来がはっきりと見える。
(グートハイルさまが変化して、それをアルノルト殿下が認めて下さったお陰だわ)
そのことが嬉しくて、リーシェはアルノルトの傍に行く。そして、彼の袖をきゅうっと握り締めた。
「……なんだ?」
「ふふっ」
堪え切れずに笑ったら、アルノルトは少し怪訝そうにする。
(私の知っている未来の通り、グートハイルさまはアルノルト殿下の騎士になった。……だけどきっと、少しずつでも変わっていけば、あんな未来は回避できるはず)
リーシェは心からそう思う。
けれども口にはしないでいると、アルノルトが諦めたように息をついた。
そして、袖を握り締めているリーシェの手を、子供をあやすように弱く握る。
「ひゃ……」
指同士を甘く絡めるようなその仕草に、左胸が大きな鼓動を打った。
「後処理を指示する必要がある。お前は着替えて待っていろ」
(……さっき分かった『誕生日に欲しいもの』を、殿下に早くお伝えしたい気もするけれど……)
けれど、それを話すのはこの後だ。
アルノルトの言う通り、作戦はこれで終わりではない。運び込まれた敵が増えてきたし、劇場内はまだ落ち着かない様子だ。オリヴァーが先ほど退室したが、彼も手が足りていないだろう。
「私もお手伝いいたします、アルノルト殿下」
リーシェは笑い、ひとまず被っていたヴェールだけ外すと、アルノルトと一緒に行動を始めるのだった。
***
「……まったく、あの人間離れ夫婦め」
大興奮に包まれた劇場の片隅で、ラウルはぽそりと呟いた。
「無茶苦茶な作戦を立ててくれる。普通、諜報組織に切り捨てられた色仕掛け要員を助けるために、未来の皇太子妃と皇太子殿が出てくるかね」
観客の目に触れないよう弓を仕舞い、ローブのフードを脱いで、四階の手摺に頬杖をつく。
劇場の外を見張らせた配下から、外に逃げた諜報はいないと報告を受けていたが、念のためもう少し監視は必要だろう。
「まあ、これで『アルノルト殿下』の求める情報も集まりやすくなる。奥さんの我が儘に振り回されているふりをしながら、どこまで計算尽くなんだか」
そしてラウルは、花びらだけが残った舞台を見つめるのだ。
「……もっとも、それくらいの人間でなけりゃ、俺にあんなことを命じて来ないか」
ともあれ今回は、よく働いた。
自分をそう褒め称えつつ、ラウルは小さくあくびをして、誰にも気付かれないうちに劇場を去るのだった。
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五章エピローグへ続く




