186 話してしまったその秘密
※昨日も更新しています。前話をお読みでない方は、ひとつ前のお話からご覧ください。
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作戦会議を終えたあと、シルヴィアはグートハイルに送られて、劇団の宿泊している宿に帰っていった。
アルノルトの近衛騎士もこれまで通り、秘密裏に彼女を警護してくれている。ラウルの配下である狩人たちもついているようなので、鉄壁の守りだ。
リーシェはほっとしつつ、アルノルトとふたり、皇城内の回廊を歩いている。
「それにしても」
夏の虫の音が響く中、ドレスの裾を夜風に遊ばせながら、リーシェは言った。
「グートハイルさまのお考えは、随分変わりましたね」
「あれで当然だ。無欲で高潔な騎士など、俺にとってはなんの信用にも値しない」
アルノルトは、淡々と口にする。
「深い欲を持つ人間ほど、戦場で生き延び、兵に向いているものだ」
(……戦場で強い人が、『欲』を持つのだとしたら)
その横顔を見上げて、リーシェは心の中で問い掛けた。
(『何も望まない』と仰るあなたのそれは、どこにあるのですか?)
だが、それを実際に言葉にはしない。
「……そういえば。ありがとうございました、アルノルト殿下」
「何がだ」
「シルヴィアが諜報を辞めたがっていることを、信じてくださったでしょう?」
隣のアルノルトは、相変わらず冷めた表情だ。
「信じた訳ではない。いまある情報を統合した上で、そういった思考だろうと判断しただけだ」
「いいのです。それでも」
シルヴィアがガルクハインの敵であれば、アルノルトにとっては排除の対象だ。にもかかわらず、リーシェの我が儘に耳を傾け、彼女を救うための算段に手を貸してくれた。
囮作戦は、対象が危険に晒されるという恐れがある。
「私がこんな計画を立てられるのも、アルノルト殿下がいらっしゃってこそです。私ももちろん戦うつもりではありますが、何よりアルノルト殿下の剣術は、誰に負けることもありませんから」
きらきらとした気持ちでそう言うと、アルノルトは小さく息を吐いた。
「お前の方こそ、俺を信じすぎているんじゃないか」
「? 殿下の実力を信じない理由なんて、私にはありません」
「……」
きっぱり言い切れば、それを真っ直ぐ受け止めたアルノルトは、少しだけ眉根を寄せた。
「ですが、アルノルト殿下も私を信じてくださいましたね」
そのことが嬉しかったので、リーシェは微笑みながらそう言った。
リーシェがシルヴィアと親しくなったことは、アルノルトにとっても不測の事態だっただろう。
ガルクハインに来て二か月ほどのあいだに、リーシェはたくさんの機密を知っていた。その中には、他国に流出すれば致命的なものもある。
けれどもあの日、シルヴィアが劇場で倒れた際に、アルノルトはリーシェが助けに行くことをすぐに許してくれた。
そして、シルヴィアと親しくなったリーシェに対し、それを止めるように言うこともなかったのだ。
それどころか、シルヴィアへの疑いをリーシェに隠していたのは、友人となったリーシェが傷付くことのないようにという配慮に思える。
きっと、リーシェの心情を考慮した上で、シルヴィアに機密を漏らすことはないと判断してくれたのだろう。
アルノルトがリーシェを信頼し、何も言わずに見守ってくれた。
その事実が、リーシェの胸で暖かな鼓動を打つのだ。
「……あ。でも」
ひとつのことを思い出して、リーシェは足を止めた。
「ごめんなさい、アルノルト殿下。……実は、シルヴィアにひとつだけ、内緒の話を打ち明けてしまったのです」
「お前がか?」
アルノルトも立ち止まり、意外そうにリーシェを振り返った。
「どんな内容だ」
「う。……あの、それは……」
回廊の柱に灯されたランプが、きっとリーシェの頬も照らしている。
「アルノルト殿下と」
「俺と?」
赤くなっていそうで恥ずかしいのだが、悪いことはきちんと謝らなければならない。
リーシェは恥ずかしく思いながらも、自らの罪を正直に打ち明けた。
「……一度だけ、キスをしたことがあるって、話しちゃいました……」
「…………………」
アルノルトはきっと、呆れた顔をしているだろう。
表情を見る勇気がなくて、リーシェはぎゅうっと目を瞑った。数秒の沈黙が訪れ、リーシェがますます気恥ずかしくなったころ、アルノルトがようやく口を開いた。
「…………あれは」
彼は何かを言いかけて、すぐにやめる。
怒ってはいない様子だが、少々気まずそうな雰囲気なのは、リーシェの気の所為なのだろうか。
(……もしかして、反省していらっしゃる……?)
顔を上げて、ぱちりと瞬きをした。
礼拝堂であのキスをされた出来事は、リーシェにとって不意打ちだ。ものすごくびっくりしたし、どうしてあんなことをされたのかと混乱した。挙句、妙に手慣れていたような気もするので、そのことも後々やけに引っ掛かってしまったのだ。
けれども、あれはひょっとして、アルノルトにとっても思うところのある振る舞いだったのだろうか。
「ふふっ」
「……何を笑っている」
両手で口元を隠してくすくすと笑えば、やはりバツの悪そうな声音が返ってくる。
アルノルトがこんな態度を取るのは、とても珍しい。
「なんだか、アルノルト殿下が可愛い……」
「…………」
にこにこしながらそう言うと、アルノルトは、理解できないものを見る目で顔を顰める一方だ。
彼にとっては不本意なのだろうが、どうしても嬉しくて頬が緩んだ。




