零/竜神様はいつか
ざぶん。水音がしました。
竜神様が棲みかである淵の底で顔を上げると、水面の辺りに何やら動いているものが見えました。それは、しばらくの間せわしなく動いていましたが、やがて動きが鈍くなり、全く動かなくなります。
ゆっくりと力なく、沈んでくるそれは、人の体でした。
ああ、またか。と竜神様は思いました。
竜神様の棲んでいる淵には、時折こうして、人間が投げ込まれます。
淵の近くの村に住んでいる人間たちは、願いごとがあると、こうして仲間を竜神様のところへ投げ込んでいくのです。
けれど、投げ込まれてくる人間は、ほとんどの場合、願いを持っていませんでした。伝わってくるのはただ、苦しい、苦しい、というつらさだけで、体中をせわしなく動かし続け、やがて何も考えなくなり、動きもやむのです。
願いを持たないのにやって来て、帰りもしない。竜神様は人間が不思議でなりませんでした。
沈んできた人間を、竜神様は鱗の生えた長く大きな体で受け止めました。けれど、支えながら水の上まで運ぼうと体をうねらせたとたん、竜神様の体に乗っていた人の体はばらばらになってしまいました。赤黒い色が辺りの水を染め、やがてすぐに薄まっていきます。
また失敗してしまった、と竜神様は残念に思いました。人の体は、体中に硬く鋭い鱗の生えている竜神様と比べて、とてもとても弱いものだったのです。
竜神様は、誰にも触れられることがありませんでした。人間たちは竜神様を恐ろしいものと思って近寄らず、時折投げ込まれてくる人間も、竜神様が触れたとたん、ばらばらになってしまうからです。
竜神様はひとりぼっちでしたが、気が付けばずっと長いことそうだったので、それをつらいものだとは思っていませんでした。
◇ ◇ ◇ ◇
ある日、竜神様は、淵へ近づいてくる足音に気が付きました。
不思議なことに、足音はひとつだけ。
今まで、人間は大勢でやって来て騒ぎながら仲間を投げ込んでいきました。いつもと違うのです。どうしたのだろう、と竜神様が淵の底で耳を澄ましていると、声が聞こえました。
「竜神様……すさな様。お姿をお見せください」
若い女の声が、竜神様の名前を呼んだのです。
竜神様の名前を知っている人間は多くありません。皆、竜神様を祀る者ばかりです。
何事だろう、願いを直接言いに来たのだろうか、と竜神様は長い体を伸ばし、水面から顔を出しました。
その気になれば馬や牛であっても一口で丸呑みにできるほど大きな竜神様の顔を、目を丸くして見上げていたのは、白い着物に赤い袴、長い黒髪の若い巫女でした。
「何用か、娘」
「ご、ごあいさつに参りました」
そう言って、巫女は深々と頭を下げました。
「たま、と申します。新しく、お社に参りました」
「社。……社か」
人間が竜神様の棲む淵へ続く森の入り口に建物を作っているのは、竜神様も知っていました。巫女はそこから来たと言っているのです。
「あいさつとはいえ、巫女が一人で来たのは初めてだ。何か、願いでもあるのか。わしに叶えられるかは判らぬがな」
竜神様は嵐を起こすことができました。雨や風、そして雷。山さえも崩してしまう恐ろしい力です。だからこそ、竜神様は淵の近くに住む人間たちから恐れられているのでした。
ところが、たまと名乗った巫女は、いいえ、と首を左右に振り、何か言いたそうな顔のまま黙ってしまいました。
困ったのは竜神様です。竜神様は、人間が何を考えて何をする生き物なのかをよく知りません。目の前の人間が何をしたいのか、さっぱりわかりませんでした。
「たま、と言うたな」
「は、はい」
名前を呼ばれて、巫女は背筋を伸ばしました。
「ぬしは、何をしに来た?」
「あのっ……その……」
言いづらいことなのか、たまは落ち着かなげに視線をさまよわせます。
そんな様を、竜神様はじっと眺めていました。おかしいわけでも、怒っているわけでもありません。今まで人間と普通に話すことがなかったので、人間が珍しかったのです。
竜神様が自分を見ていることに気付くと、たまはあきらめたようにうつむき、小さな声で竜神様、と呼びました。
「またここに来ても、いいですか?」
「物好きじゃな」
少しばかり驚きながら、竜神様は言いました。恐ろしいものとして遠ざけられている自分のところへ、わざわざひとりで来る人間がいたかと思えば、また来たいと言うのです。そんな人間は初めてでした。
「構わぬよ」
来ても来なくても、竜神様が困ることはありません。なので竜神様がそう答えると、たまは明るい顔になりました。
「ありがとうございます!」
そう言って、その日のたまは帰っていったのでした。
◇ ◇ ◇ ◇
また、ある日のこと。
一人分の足音が淵へ近づいて来て、それきり何の物音もしない。不思議に思った竜神様が淵から顔を出すと、そこには若い巫女の姿がありました。
「む……また、ぬしか」
以前言ったとおり、たまが来ていたのです。
「こんにちは、竜神様。また来ました」
「うむ……こんにちは。ぬしは、物好きじゃな」
「すみません。ダメ、ですか?」
「構わぬよ」
「ありがとうございます」
ほっとしたように息を吐き、たまは竜神様に頭を下げます。
けれど、それきり、たまは何も言いません。黙って、淵のそばにいるだけです。
竜神様も、話しかけられなかったので黙っていました。人間のことはよく知りませんでしたから、そういうものなのだろうと思って気にしなかったのです。
風に吹かれた葉がさらさらと鳴り、時折思い出したように小鳥がさえずります。そんな穏やかな時間の中、竜神様は淵のほとりに顎をのせてひなたぼっこ、たまは木陰に座ってなにやら考え込んでいました。
太陽が傾き、木洩れ日が陰り始めた頃、木陰に座っていたたまが立ち上がりました。
「竜神様、そろそろ帰ります」
「そうか。またな」
「はい」
たまは帰っていきました。
◇ ◇ ◇ ◇
それからというもの、たまは竜神様の棲む淵へよく来るようになりました。そして、来るたび、黙って時間を過ごし、また帰っていきました。
そのうち、竜神様も不思議に思うようになりました。用がないようなのに、なぜ来るのだろう、と。
そんなある日、来てからずっと下を向いていたたまが、竜神様に声をかけたのです。
「竜神様、あたしは人が嫌いです」
とても小さな声でした。下を向いた顔の辺りからは、何やらきらきらしたものが落ちていくのが見えます。
「不思議なことを言う。ぬしも人であろうに」
夏の夜、人間たちが自分の棲む淵の近くへ集まってきて楽しそうにしている『祭り』というものを、竜神様は知っています。他にも、竜神様が見たことのある人間はだいたい大勢でした。ですから人間はあまり一人きりで過ごそうとしない生き物だと思っていたのですが、たまは違っていたようです。
「あたしは……この村の人間じゃないんです。でも、それだけです。なのに、あたしは誰からも厄介者扱い。……なんで? なんで!? あたしが悪いことしたっていうの!?」
次第に大きな声を、かすれさせながらも出し始めるたまの顔はくしゃくしゃにゆがみ、水びたしになっていました。
いつもとは違うたまの様子に困ってしまった竜神様は、ひなたぼっこをやめ、そうっと淵に顔を半分沈めました。
「娘。人の気持ちは、わしにはよくわからぬ。じゃが、話を聞くことならわしにもできるぞ」
ぐす、ぐす、と湿った音をさせながら、たまは小さくうなずきました。
しばらく竜神様が見守っていると、落ち着いたのか、たまは淵のほとりまで近づき、座りました。
「あたしは、村の近くの山の中で拾われた、捨て子だったそうです。物心ついた頃から、それは知らされていて、みんなも知っていて、ずっといじめられてきました。よそ者だ、って。お社に預けられたのも、厄介払いだそうです」
「そうか」
人間は、自分と少し違うものを嫌う生き物なのでしょう。何が悪いかは見てもわかりませんでしたが、一方的に痛めつけられている人間の姿を、竜神様も見たことはありました。きっとたまもそうなのです。
「竜神様なら、あたしに何も言わないでくれると思ったから……」
「わしは人間ではないからな」
人間の理屈はよくわからない、と竜神様は思いました。そして、今のたまのように誰かが元気をなくしている様を見るのは面白くない、とも思いました。
「それだけで、ありがたいです」
「そうか。必要なら、また来るがよい」
「ありがとう、ございます」
顔を上げて、たまはにっこりと笑いました。
◇ ◇ ◇ ◇
「きっと、あたしを竜神様だと思ったんですね」
淵のほとりの倒木に腰掛けながら、たまはくすくすと笑いました。淵に来る途中、しめ縄の外から恐ろしそうに自分を眺めていたという猟師の姿を話すその姿は、とても楽しそうです。
「無理もない。巫女が一人で神域を歩いているなど、尋常の沙汰ではあるまいよ」
草むらに顎を乗せてひなたぼっこをしながら、竜神様も応えます。
「ふふ、それもそうですね」
たまは竜神様と話すようになりました。
話すとはいっても、人間のことをよく知らない竜神様にたまが話しかけ、竜神様がそれを聞く、という形がほとんどです。
たまは笑うようにもなり、それを見るたび竜神様はよい気分になれました。
「のう、娘」
「え、はい?」
「ぬしは、笑うようになったの」
「そう、ですか?」
「よいものだ。その顔を、忘れるでないぞ」
「はい、竜神様」
たまは、またにっこりと笑いました。
◇ ◇ ◇ ◇
にぎやかなセミたちが静まった、夏の夜。
山のふもとの辺りから、太鼓や笛の音、人の声がにぎやかに聞こえてきます。
長いこと淵の中で過ごしてきて、竜神様もそれが何なのかは知っていました。お祭です。
何気なく、竜神様は祭りを眺めてみようと思い立ちました。淵の水を蹴り、薄雲を蹴り、瞬く間に大きく長い体は夜空高くへ舞い上がります。
何人もの人間が集まっていて、そのほとんどが、最近のたまのような笑顔でした。
ふと目を移すと、社のそばの木陰に白と赤の巫女装束が見えました。どうやら、たまのようです。
よく見ると、その隣には別の人間がひとりいました。その人間と話しているたまは、とてもとても嬉しそうです。竜神様が知っている穏やかな笑顔以外にも、弾けるような笑顔、しみじみと何かをかみしめるような笑顔。たまの表情は、竜神様にはきらきらと輝いて見えました。
たまはもう、人が嫌いではないのでしょう。
◇ ◇ ◇ ◇
たまが淵に来ることは、いつからか少なくなっていました。
今日も、たまはいません。
いつの間にやら習慣になってしまった、淵から頭だけ出してのひなたぼっこをしながら、竜神様はたまのことを思い浮かべます。
何とはうまく言えないものの、物足りませんでした。
周りを見回しても、誰もいません。
さえずる小鳥や、時々通りかかる獣も、竜神様が動かない限り逃げてしまうことはありませんが、元々、竜神様のそばにいようと思って、いてくれるわけではないのです。
竜神様はまた、ひとりぼっちになりました。
今までずっと、長い時をそうして過ごしてきたのに、竜神様の心が、ちくんと痛みました。
◇ ◇ ◇ ◇
淵の中から見上げると、水面が下がり、濁っているように見えます。
長いこと、雨が降りません。日照りの年でした。
竜神様の心は、少しだけ暗くなりました。嵐を起こすことのできる竜神様の力を求めて、また人間が大勢やってくるのでしょうか。投げ込まれる人間は願いなど持っていないというのに。
果たして、夏の暑い盛り。大勢の人間が淵へ近づく気配がしました。
ざぶん、と水音を聞いて水面を見上げ、竜神様は驚きました。
白い着物、赤い袴、そして長い黒髪。投げ込まれたのは、たまだったのです。
目を閉じたままもがくこともなく沈んでくるたまを助けようと、竜神様は近づきましたが、自分の体には硬く鋭い鱗がたくさん生えていることを思い出し、触ることができません。困りながらも、当たってはしまわぬよう、たまの体を大きく囲むようにとぐろを巻き、一緒に淵の底へと沈んでゆきます。
「娘。なぜ、ぬしが来た」
竜神様の声に、たまは目を開けます。息を吐き出してしまい、苦しげな中で、たまの思っていることは不思議と伝わってきました。
『お願いです、竜神様。雨を降らせてください。あの人を、助けてください』
「いいや、それどころではなかろう。ぬしをどう岸へ上げたものか」
水の中で、人間は生きられないはずです。このままでは、たまはすぐに動かなくなってしまうことは竜神様にもよく分かっていました。
『あたしのことは、いいんです』
「なに?」
『あたしが帰ったら、ひどい目にあう人がいる。だから竜神様――あたしを食べてください。かけらでさえも誰かの目に触れないように。……お願いです、雨を、降らせて、ください……』
一際苦しげに体を震わせると、それきりたまは動かなくなりました。
「……それが、ぬしの願いなれば」
願いを確かに受け取った竜神様は、動かなくなったたまを一呑みにするなり淵を、空を駆け上がり、雷雲を呼びました。瞬く間に空には黒雲が垂れ込め、叩きつけるような雨が降り出します。
地上からの喜びの声に混じって、竜神様は悲しげな、ひどく悲しげな心を感じた気がしました。
◇ ◇ ◇ ◇
日照りの夏が終わろうとしている中、竜神様は、たまのことを思い出していました。
ひとりぼっちだったらしいたまは、最後には誰かを案じていました。ひとりぼっちではなかったのです。
ひとりぼっちの竜神様は、たまがうらやましくなりました。たまのようであれば、自分の隣にも誰かがいてくれるのだろうか、と。
長い黒髪、白い着物、赤い袴。たまの姿を思い浮かべていると、淵のそばに、一人分の足音が近づくのがわかりました。
まるで、たまのようだ、と水面を目指そうとして、竜神様は異変に気付きました。いつもより自分の体が小さいのです。首をかしげながらも水面にたどり着いた竜神様は、ついでとばかりに全身を水から出します。
そこにいたのは、全身が傷だらけ、ぼろぼろの着物を赤黒く染めた若い男でした。男は竜神様を見て、驚いている様子です。
「たま……!?」
「なに?」
竜神様が何気なく前脚を見下ろすと、それは白い肌の、人間の手でした。いつの間にやら、竜神様は人間によく似た姿になっていたのです。
「わしは、たまに似ているのか?」
「たまじゃ……ないのか」
がっくりと膝を折り、男はその場にへたり込みます。その顔に、竜神様は見覚えがあることに気付きました。
「ぬしは、確か……祭りの時、たまと一緒にいたな」
「たまをもらうと、約束したんだ。……日照りさえ、なければ……!」
ぶるぶると体を震わせながら、男は懐から白い珠を取り出しました。その手はまるで酔ったように震えています。
「あんたは、竜神様だな。この御神体さえあれば願いは叶えてくれると聞いた。それで足りないなら、おれを殺してくれていい」
どうせもう長くないしな、とつぶやきながら、男は倒れます。
「……ぬしの願いは、何だ」
「雨を。沈めてくれ……滅ぼしてくれ! たまを殺したこんな村ッ!」
涙を隠そうともしない男の泣き顔に、竜神様の心がちくんと痛みました。
「確と聞き入れた」
空高くへ駆け上がった竜神様は、雷雲を呼びました。嵐が山の中の村を沈めようと荒れ狂う中、男から伝わってきていた、悲しみに満ちた願いがふっつりと途切れます。
嵐を起こすことをやめた竜神様が地上を見下ろすと、男は何人もの村人に囲まれ、ずたずたになって転がっていました。もう、息をしている様子もありません。
村人たちが運び去り、村の外れへ捨てられた男のそばへ、竜神様は降り立ちました。
「礼を言わねばなるまいな」
恐る恐る触れてみた男の体が傷つかなかったことを、竜神様は嬉しく思いました。けれど、男の体はとうに傷だらけで、すっかり冷たくなっています。
「たまは、幸せそうに見えたぞ。ぬしのお陰であろう」
たまがこの男にされていたように、竜神様は男に寄り添ってみましたが、竜神様はなにひとつ嬉しいと思えませんでした。
竜神様は知らなかったのです。たまが大事に思う相手と一緒にいて嬉しいのは、たまだけということを。そして、どれほどたまに似ていても、たまではない竜神様の心には、たまと同じ喜びなど宿らないことを。
◇ ◇ ◇ ◇
長い長い年月が過ぎ、竜神様を祀っていた村もすっかり小さくなり、やがて湖の底へ沈んでしまいました。
竜神様の棲んでいた淵も沈んでしまい、いつからか竜神様は森の中へ棲むようになっていました。
その頃には、竜神様はひとりぼっちではなくなっていました。くま、という年老いた女の人が竜神様の世話をしてくれていたのです。
くまもひとりぼっちではなく、時折は家族が訪れていました。中でも元気だったのがくまの孫で、今日は山の中で迷子になってしまったのだそうです。
勝手知ったる山の中。くまやくまの子供たちとは別に探しに出た竜神様は、ふと草の陰から鼻をすする押し殺したような泣き声を聞きつけます。
見つけ出したのは、小さな男の子。
「子どもはすぐ泣くものと思うておったが……強い子は生きづらいのじゃな」
「おねえさん、だれ?」
不安そうな男の子に、竜神様は笑いかけます。くまから教えてもらった、優しい顔です。
「わしは源の竜神よ。別に覚えずともよい。おばあちゃんがあわてておったぞ。いらぬ心配をかけるでない」
優しい顔をした意味があったのでしょう、男の子がそれ以上泣くことはなく、どこかほっとしたように竜神様を見上げます。
「おばあちゃんをしってるの?」
「うむ。さあ来よ、おばあちゃんの処まで送ってやろうな」
先導して竜神様が歩き出した時でした。何を考えたのか、男の子は竜神様に駆け寄るなりその手をしっかりとつかんだのです。驚いた竜神様がとっさに振り払いそうになっても、男の子は放しません。
竜神様は、自分に触れた人の体は傷ついてしまうと思っていたので、人に触るのは怖かったのです。ですから、竜神様に触れた人は、こうして無理やり手を握った男の子が初めてでした。
男の子は、竜神様を怖がっていませんでしたし、痛がってもいませんでした。そして、竜神様のことを、きれいだとも言いました。
男の子にとって、竜神様は、恐ろしいものではなく、心地よいもの。ただの優しくきれいなお姉さんだったのです。
男の子と手をつなぎ、遊んでいると、竜神様の心はほんのりと温かくなりました。竜神様自身にもなぜかはわかりませんでしたが、男の子と一緒にいるのが嬉しかったのでした。
くまの元へ男の子を送り届けた竜神様は、自分がひとりぼっちであることを思い出しました。いつかのように、心がちくんと痛みます。
男の子は、元住んでいたところへ帰ってしまいました。
けれどその後、竜神様は、くまから、男の子がきっとまた来るということを聞かされました。
また、会えるのかもしれない。そう思うと、竜神様の心は、不思議なことにまたほんのりと温かくなりました。
◇ ◇ ◇ ◇
竜神様は、男の子と、また会うことができました。
いつかと同じようにくまのところへ遊びに来た男の子は、自分から山の中へ、竜神様に会いにやって来たのです。
竜神様は、不思議でなりませんでした。男の子が会いに来てくれたことと、それを嬉しく思っている自分のことが。
竜神様は男の子と一緒に遊ぶようになり、男の子が帰ってしまうと、またひとりぼっちに戻ります。
いつからでしょう、竜神様の心は、男の子と一緒にいるわずかな間だけ温かくなっては、痛むようになりました。くまがいるから、本当はひとりぼっちではないはずなのに、少しずつ少しずつ、心の痛みは強く、長くなるように、竜神様には感じられました。
竜神様は知りません。そんな気持ちを人間が何と呼ぶのかを。
いつものように男の子が竜神様に会いに来た、あるときのことです。一面に黄金色の花の咲く、春の山奥で、男の子は竜神様にひとつの約束をしました。
それは――――。




