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やさしい角に、たんぽぽを。  作者: 賀東しょこら
男のひと
24/26

廿参/竜神様が居る街

【一】

 むかしむかし、あるところに竜がいました。

 竜は長い時をすみかで過ごしていましたが、あるときお出掛けをしようと思い立ちました。

 はるばる飛んできた竜がたどり着いたのは、ここ主水(もんど)市。悪い人をこらしめたことをきっかけに、竜はこの街で数多くの人たちと出会います。時に泣き、時に笑い、竜はこの街の人たちと一緒にもうしばらくの時を過ごすことにしました。

 そして――。

 実は今も、竜はこの街にいるのです。


 読み終えたパンフレットを、たたむ。

「一応、人の口から聞きたいんですけど。何ですかこれ?」

「町おこしのパンフレットだね」

 リクエストどおり、九条(くじょう)さんが答えてくれた。相変わらずの黒い長袖Tシャツにジーンズ姿、薄手の革手袋をはめた指先をテーブル上に組んで顎をのせていて、隣にはネザエルさんが丈の短めな黒いゴシックドレス姿で座っている。

 格好いいカップルなのに、なぜか二人はファミリーレストランの店内にも関わらず鹿の角の飾りが付いたヘアバンドを頭に付けていて、そこだけがやたらと様にならない。

 休日、オレと神様を呼び出した九条さんが待っていたのは、以前神様と一緒に来たファミレスだった。来る時にも鹿の角のヘアバンドを付けた人たちとやたらすれ違い、この一帯で色々イベントがあるんだろうと思っていたら、ここでも『ドラゴンフェア』なんてキャンペーン中だったのだ。

 戸惑いながら席についてみれば、九条さんから渡されたのが、さっき読んだパンフレット。いつの間にか、この前の一件がかなりの大事(おおごと)にふくれ上がっていたらしい。

「なになに……『もんどたん』? 巫女装束に角のある娘が、ますこっとじゃと?」

 オレの置いたパンフレットに隣から手を伸ばし、広げ直した神様が、あっけに取られたような顔でつぶやく。

「まるでわしではないか」

「十中八九、元ネタはあなたでしょうね」

 ため息をはさんで、九条さんは言葉を続けた。

「この街では短期間に不自然な嵐が続き、竜の目撃談もある。口止めを徹底すると逆に不自然になってしまうので加減してはいましたが、少ない目撃談を元に町おこしが始まるとまでは思いませんでしたよ」

 呑気な街だ、というつぶやきに、思わず神様と顔を見合わせる。つい最近、自分の意思で竜が夜空を飛んだ。それもまた、人目に触れる可能性はあったのだ。

 神様は腕組みをして渋い顔になった。

「ま、まあ……きっかけはここでわしが怒り狂ったことじゃろう。今思えば、ほんに浅慮じゃったものよ」

 居心地が悪かった。それは結局、オレがただの無力な人間だからだ。このひとに付きまとう人間離れした事情に、オレはただのお荷物でしかない。

「悪い……オレのせいで」

「気にするな琢磨(たくま)

 オレに向けられたのは、曇りのない笑み。それが逆に後ろめたい。

「それ自体に悔いはない。いよいよというときは駆け落ちに及ぶまでよ。付き合ってくれるじゃろう?」

「まあ、いいけどね」

 なくすものがあっても、この(ひと)ほどの価値はそうそうないだろう。問題は、駆け落ちとかだと身の上を隠さなきゃいけないだろうから、仕事に就けるかどうか怪しいこと。働かない旦那とかシャレにならない。

 にこにこしている神様を見ながら表情を引き締める。お嫁さんもらうつもりなら色々考えておく必要はあるはずだ。

「そういう事態に対しての話もあって、そちらを呼び出したのだ――そうでしょう御主人様?」

 口を開いたネザエルさんは最後でいきなり口調を変え、九条さんを振り返った。小首をかしげた拍子に、ちゃら、と音を立てて、短くも太い鉄の鎖が揺れる。

 なぜか、彼女の細い首には鉄の鎖がつながったごつい首輪がついているのだ。

「町おこし自体はむしろ追い風だろう。多少の情報のズレこそあれ、街そのものが竜神という存在を認知しバックアップにまわったようなものだからね。俺が君たちを呼んだのは、主に君自身の自衛に関しての話があったからだ」

 九条さんはネザエルさんを完全に無視してオレの目を見た。鋭く引き締まった印象の顔は無表情に近いが、その眼は穏やかだ。微かにだが笑っているのかもしれない。

「自衛……」

「君をさらった連中は『魔術師崩れ』だ。君の言う『御神体』の価値を知り、その力を自分のものにしたがる人間は意外と多い。そして君自身も実はかなり大きな存在なんだよ」

「オレ自身も……?」

「俺やカナハ、そして君。御神体の加護を受けた人間は、基本的に魔術的な効果を受け付けない。記憶の書き換えや暗示、誓約の強制、そういった操る手段はもちろん、眠らせたり幻を見せたりもできないので、味方にすれば強大で、敵に回せば厄介だ。だから連中は君をさらう際にも本来不慣れなスタンガンや人海戦術といった物理的手段をとるしかなかったし、言葉で丸め込もうとした。薬物で洗脳という手もあったはずだが、多分今回の奴らには金やノウハウがなかっただけだな。運が良かったよ」

 ぞっとした。今さらながら、ろくでもないことにさらされていたらしい。

「じゃから、この前ネザエル殿が色々と教えに来てくれたのか」

 神様のつぶやきに、九条さんもうなずき、またオレに目を戻した。

「今更君に覚悟を問う必要はないだろう。だが、いずれまた脅威にさらされる時が来る。人間以上と渡り合わなければならないこともあるだろう。その時は、ちゃんと彼女を呼び、力を借りなさい。彼女はもう君の助け方を知っているし、本来、距離とは無縁の存在だ。君だけで強くなる必要はない」

「私と御主人様は無敵よっ」

 鎖を鳴らしながら、ネザエルさんが九条さんの腕に抱きつく。なんか、キャラ違うんですけど。

「九条さん……」

「つっこんだら負けかなと思っている」

 九条さんは相変わらず無表情。ネザエルさんに目も向けない。

「御主人様ったら照れちゃって。うふふ」

 ネザエルさんが指先で九条さんの頬をつつく。どういうノリでやってるか知らないけど、見てるこっちが恥ずかしいので何とかしてください九条さん。

 無反応な九条さんを見上げていたネザエルさんの表情が、すっと冷めた。

「――()いた」

「早っ」

 思わず声が出る。あっけなく、ネザエルさんが元の偉そうな様子に戻った。可愛さを振りまくような甘えた感じから、堂々とした威厳で腕組みをしている。

影仁(かげひと)、構え。今なら舌を入れることを許すぞ」

 強い眼差しを傍らの九条さんに投げる、が九条さんは目を合わせない。

「断る」

 舌を入れるって、何だ。まさかとは思うものの、オレには正直口に出して訊く勇気がない。

「まあよい、言って聞かぬなら従えるまでだ」

 どこか楽しそうに目を細めるネザエルさんの耳が、ぴんと上向きに立ったかと思うと、ネザエルさんはオレたちの視線をさえぎるような格好で九条さんの頭を抱え込んでいた。

 何だかんだで九条さんもネザエルさんを引っぺがす気はないらしい。反射的にかネザエルさんの肩をつかんだ手に力は入っていない。そして聞こえてくる鼻息は荒く、湿っぽい音も聞こえてくる。

「これは……まさか」

 つい目を離せずにいると、手に触れるものに気付いた。九条さんたちを食い入るように見つめながら、神様がオレの手を握りしめているのだ。

「姉さん……」

「思えば……わしらもまだ、ああいうことはしておらなんだな。練習は……したのじゃが、な」

 ちらりとオレを見、今度しようぞ、と赤い顔でつぶやくなりうつむいてしまう。

 ディープなやつをですか!?

 思わず想像して、喉がぐびりと鳴る。相当いやらしい気分になりそうな気がする。理性保ちきれるだろうか。

 と、不意に単調な電子音が鳴り始めた。

 ネザエルさんを引っぺがし、九条さんが懐から取り出した携帯電話を耳に当てる。

「俺だ。どうしたカナハ。……ああ。ああ、そうか。なるほど、それは……なかなか面倒だな。分かった」

 携帯電話をたたむなり立ち上がる。

「行くぞネザエル。今度は『魔王』だそうだ」

「ふん……余を差し置いて魔王だと。図々しい」

 二重の意味で不満そうに手の甲で口元を拭いながら、ネザエルさんも立ち上がった。

「仕事ですか?」

 問うと、九条さんはうなずいた。

「人に仇なす類のタタリが動き出した。こうも忙しいと、本業どころじゃないんだがな」

「どうせ探偵など収入になっておるまい。いい加減、軸足をジェッソに置けばどうだ」

「うるさいな――悪いが俺たちの分も君たちに任せる。代金は余計に置いて行くから、好きなものを食べてくれ」

 懐の財布から一万円札をテーブルに置くと、九条さんたちは走り出して行ってしまった。

「……姉さん、パフェ二つ食べられるか?」

 実は一人一つずつの計四つ、パフェを注文してある。九条さんたちがいなくなったことで、オレと神様とで二つずつ食べることになるのだ。

「ちょこれいと入りじゃろう。二つと言わず三つでも構わぬぞ」

 神様の目は輝いていた。チョコレート好き、恐るべし。

「ブラックドラゴンパフェ、お待たせしました」

 さっそくのタイミングでやって来た店員さんが容器を続けざまに四つ置いていく。

「何はともあれ、いただこうかの」

「そうだね」

 黒い竜をあしらったパフェは、鱗がチョコレートでできている。ひんやり冷えたチョコレートは適度な歯応えで、添えられている果物の酸味ともいいバランス。

 チョコレートを食べて幸せそうな神様を眺めていると、オレ自身も結構幸せだった。



【二】

「当たってるんですけど……」

「しかし、嫌ではなかろう?」

 オレの腕を白いワンピースの胸元に抱え、寄り添って歩きながら、神様。何が当たっているのか分かった上で、恥ずかしがっている様子がない。むしろ嬉しそうで困る。

「う……」

 はねつけられるほどクールじゃない自分がこういう時うらめしい。ごめんなさい、オレいやらしいです。

 九条さんのおごりで昼を済ませた後、オレたちは台無しになったこの前の日程をやり直していた。ワンピースを買い直したのもその一環だ。

 鹿の角のヘアバンドを付けた人がそこら中にいるお陰で、薄手の布で角の生え際を隠しているだけの神様の姿にも違和感が全くない。

 ただし、元が美人なので結局は目立つ。すれ違う人の視線がいちいち痛かった。

「あれ? 源?」

「え?」

 聞き覚えのある声に目を向けると、男女の二人連れがいた。(かがみ)と、これまた見覚えのある女子……確か同じ陸上部で、トラック組のオレや鑑とは違う投擲(とうてき)組、桐野(きりの)先輩だった気がする。

「鑑――」

「ちょ、お姉さん! ちょっと美味しい店を知ってるんですが、今度一緒にどうですか?」

 目を見開いて駆け寄って来たかと思うと、第一声が神様の目の前でのそれ。さすが過ぎて恐れ入る。

「琢磨も一緒か?」

「あ……いやいや、ぜひあなたと二人っきりで!」

 男の腕に腕をからめている女の人に面と向かって言ってのける神経が素晴らしい。まさに女好きの鑑だろう。

「ぬしには興味がないぞ」

「即答ッ!?」

 叫びながらがっくりとうなだれる鑑。にこやかな表情と柔らかな声に、真っ向から心を打ち砕かれたらしい。

「鑑、お前な……」

「悪い、源。間近で見たら美人過ぎて我を忘れちまった」

「まあ、美人なのは間違いないけどさ」

「イヤミとかじゃなくて素直にそう思ってるから口に出るのは知ってるけどな。人前でひとのこと美人とか綺麗とか言うのは、この先控えた方がいいと思うぞ源」

「あ、ああ。よく解らないけど、分かった」

「しっかし、どこでつかまえてきたんだこんな超美人。当たって砕けといてなんだけど、他人が割り込める可能性さえなさそうなんだがな」

「まあ……そうだな」

 会話で最初にオレの名前が出てくる辺りで完璧に負ける目がないというのが、鑑には悪いが変に誇らしい。現金なもので、ちょっとだけ同情したくなった。成功なんかしてほしくはないものの、せめてチョコレートで釣れば……。

「ダメだ、絶対食いつく」

 頭を振ってろくでもない確信を追い払う。つまりオレの恋敵はチョコレートなのか? そんなもんに嫉妬とかしたくないぞ!?

「いや、やっぱりさすがだね鑑くんは」

 遅れて歩み寄ってきた先輩は楽しそうにけらけら笑っている。

「桐野先輩、思いっきり放置されてましたけど怒らないんですか?」

「いやあ、別に? 鑑くんのこういうところが楽しいからね、独占なんてとてもとても。邪魔しちゃったみたいだね、源くん」

「いえ、別に」

 口では言ったものの、恥ずかしいことこの上ない。いつでも落ち着いて余裕のあるこの先輩なら変に噂が広まることはなさそうだが、それで今オレが落ち着くかはまた別の話だ。

「ぬしが鑑か。話はよく聞いておるよ。こちらは?」

「あ、あたしは桐野っていいます。鑑くんと源くんとは同じ部活で、あたしが先輩になりますね」

「そうかそうか。お初にお目にかかるのう。わしは紗雫(さな)という。夫が世話になっておるようで。ありがとうな」

 空気が凍った。

「え」

「え?」

「いや――まだだから! あ」

 思わず叫んでから、さらに墓穴を深々と掘ったことに気が付いた。語るに落ちる、というやつだ。

「まだ? ああ、そうじゃな。今はまだ婚約者か。そう、ふぃあんせであるぞ」

 オレの腕を放し、誇らしげに胸を張る神様。思ったとおり、ものの見事に追い討ちをぶちかましてくれる。

 こんな息の合い方、イヤだ。

「おっと……?」

「ふぃあんせ?」

 もうしばらく、沈黙。

「えええええええッ!?」

「源くん、いつの間に?」

「話せば長くなるんですけど……」

「昔、誓い合った仲ぞ」

 神様の説明は単刀直入だった。しかも案外それでほとんど過不足がない。

「きちんと指輪をもろうたのは、つい最近じゃがな」

 目尻を下げて、左手を見つめて返し、また返す。

 薬指を見せびらかしているというより、単純に嬉しくて、その嬉しさを反芻(はんすう)しているんだろう。恥ずかしいが、喜ばれているのがもっと嬉しい。

「源、本当か?」

 いいや、もう。変に話題になるのを避けるために口だけでも否定しようって発想自体がもったいなくなってきた。

「ああ。まだ学生だし、待ってもらってるけど」

「女の子避けてたかと思えば、何この急展開。一撃必殺! って感じだな」

「そうだねえ。ちょっと憧れちゃったよ」

 まあ、とりあえず。と鑑は桐野先輩に目配せをして、先輩もうなずいた。

「邪魔して悪かったな。先行くわ」

「またね」

 二人は足早に行ってしまった。たぶん、気を遣ってくれたんだろう。鑑が先輩に後ろから首をがばっとつかまえられていたのは、見なかったことにしておく。

「琢磨」

 呼ばれて振り返ると、神様が微笑みながらオレに手を差し伸べていた。

「行こうぞ。他にも服を探すのであろう。琢磨の気に入る服があるに越したことはない」

「オレの?」

 着るのは神様じゃないか。何を言い出すんだろう。

「琢磨がよりわしを気に入るように着飾るのが、楽しみでな」

 基準はオレってことか。ファッションセンスを磨かないと他の人には神様が綺麗に見えなくなってしまう。これは責任重大だ。

「頑張ります」

「頼むぞ」

 神様の手を握り、歩き出す。

 手をつないで、どちらが先導しているわけでもない。オレがこのひとを好きで、このひとがオレを好きで。勝ち負けじゃあないけど、対等な気持ちで一緒にいたいと思い、実際いられる。

 それはとても幸せなことなんだと思う。

 まだまだ日は高い。できることはたくさんありそうだ。



今更、舞台である街の名前を明かしてみました。

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