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魔法使いと杖屋さん  作者: 安井優
第十三章 ドラゴン

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選ばれし者

 アイリスとガーベラを空へとふわりと巻き上げたそれは、ローレルの放った魔法によって起こされたものだった。空を浮くアイリスの目に映ったローレルの顔面は蒼白(そうはく)で、緊張のせいか手が震えているのが見えた。


 二人の手から離れた杖が遠く、地面へと向かって小さく消えていき、ガーベラの体はコルザのもとへ、アイリスの体はアスターのホウキ後方へと回収される。アイリスの鼓動はバクバクとうるさく、激しく体内を血が(めぐ)っていた。


 まだ……生きてる……。

 アイリスは目の前のローレルを見つめる。あの、魔法を使うことをひどく恐れていたローレルが、自らの意思で魔法を放ったのだ。それも、大切な、形見の杖を使って。

 呼吸を整えたローレルが、意を決したように杖を握る。グレーがかった髪が舞い上がると、そのうちに秘められた美しいエメラルドグリーンが、激しく燃えていた。


「アスターさん! もっと火口に近づけますか?!」

 ローレルの(するど)い口調に、アスターはホウキを強く握りしめた。

「っ! やってみる!」


 三人を乗せたホウキは、迫りくる火のムチをかいくぐり、右へ、左へ、上へ、下へ。ゴウゴウと熱に取り込まれた岩が弾丸のようにまき散らされれば、前へ、後ろへ、宙返りしてみせる。もはや、天と地もわからない。激しく脳が揺れ、体の中がひっくり返りそうだった。


「まだ!」

 無意識にスピードを落としたアスターに、ローレルの怒号(どごう)が飛ぶ。

「これ以上は!」

「いけます!」


 全てを飲み込むような赤き海が目前に迫り、フツフツと泡を立てている。沸騰して、暴発するマグマが激しく飛び散り、行く手を(さえぎ)っている。それでも――

「っ! 死んでも、俺のせいにするなよ!」

 アスターは再びホウキのスピードを上げ、もはや死を覚悟した。目の前に灼熱(しゃくねつ)が広がり、まばゆいばかりの輝きが怪しく、鈍く、誘っている。思わず(まぶた)を閉じ、暗闇が包み……


「死なせません! 絶対に!」


 ――誰一人として、これ以上、僕は失いたくないんだ!


 ローレルの声がこだました。

 瞬間、アイリス達の視界を青き光が(つらぬ)く。

 ローレルが、杖をかまえているのが、その逆光に浮かびあがった。


 ――神様みたい。

 真の魔法使い。選ばれし者、ローレル。アイリスの頬に一筋の涙が伝う。

 彼の魔法は、今までにみたどんなものよりも美しく、そして、まっすぐだった。


 杖の先端に付けられた宝石が純然たる青き炎を灯し、やがて、世界の全てを飲み込むように光り輝いた。


「世界を破壊せし、命の女神よ。我、ここに(なんじ)の運命を(つかさど)らんとする者なりて、その命よ、眠りたまえ!」


 美しい響きだった。

 まるで唄うかのように、空いっぱいに満ちるテノール。

 力強く、大地を育むように、降り注ぐ光の雨。

 胸を締め付けるこの轟音(ごうおん)は、ドラゴンの悲痛な叫びだろうか。

 それとも、この世界を守り抜くと決めた、ローレルの覚悟だろうか……。


 静寂(せいじゃく)が、世界を支配する。

 時計の針はピタリと動きを止め。

 音もなく、姿もなく、ただ、ただそこに、沈黙が横たわっている。


 ピシッ――

 ローレルの手もとから、音が生まれる。

「杖が……!」

 続いて、アイリスの口から。

「折れる……」

 アスターの口から。


 パキッ――

 ローレルの杖から。


 美しい青の宝石が台座から(こぼ)れ落ち、はるか下へと降り注いだ。

 やがて、金メッキの(ほどこ)された台座もハラハラと光の粒となって大気へ散乱し、真っ二つに折れた杖の胴体だけが、ローレルの右手と左手にそれぞれおさまった。そして、ただの木の棒へと姿を変えた。


「ローレルの杖が!」

 アイリスが思わず声を上げると、ローレルはその杖をじっと見つめて、それから優しくアイリスに微笑みかける。ローレルの細く、しなやかな手は震えていた。


「良かった……」

「良くない! 大切な、ご両親の形見なのに!」

「良いんです!」

 アイリスを(とが)めるように、けれど、優しく。ローレルは穏やかに笑う。

「アイリスさんを……大切な人たちを守れたんですから」


 ――僕は誇らしいんです。

 ローレルの笑みは、美しく、雲の隙間から()した光に反射して、輝いていた。

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[良い点] 39/39  ――神様みたい。  真の魔法使い。選ばれし者、ローレル。アイリスの頬に一筋の涙が伝う。  彼の魔法は、今までにみたどんなものよりも美しく、そして、まっすぐだった。 ここ…
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