山岳地帯
山岳地帯へと足を踏み入れる。
アイリスが思っていた以上に、その道は険しかった。急な斜面、足元に転がる大小さまざまな石。それらが時折、アイリス達の歩みを止める。
「大丈夫か、アイリス」
大きな岩を必死によじ登ろうとピョンピョンとジャンプするアイリスに、アスターが手を差し伸べた。その手につかまると、力強く引き上げられる。アイリスはなんとかそのまま岩の上へと手をつけ、岩のくぼみに足をかけた。
「……すみません、アスターさん」
登り切った先で、トランクケースを拾い上げ、服を軽くはたく。相変わらず、コルザとガーベラがそんな二人をニヤニヤと見つめていたので、アスターが彼らに鋭い視線を送った。
「一度、休憩にするか?」
「それもそうね。なんだか、この辺り、暑いし……」
「ガーベラもそう思う? なんか、動いてるせいだけじゃなくて、気温も高い気がするんだよなぁ。ちょうどいい日陰があったら休もうか」
アスターの提案に、ガーベラとコルザも大きくうなずいた。アイリスも、ほっと胸をなでおろす。アイリスも、暑さには参っていたのだ。水分補給はしているものの、このままでは体が熱で溶けてしまう。ハンカチで軽く汗をぬぐい、アイリスは前を行く三人の後ろを追った。
どれほどそうして歩いただろうか。アイリス達、四人の前にぽっかりと大きな口を開けた洞窟が現れ、四人は水を得た魚のように一目散へとそこへ駆け込んだ。
洞窟の中の空気は湿っぽく、むわりと蒸されたような熱を帯びてはいるが、直接太陽の光が当たらない分、少しマシになったような気がした。
「それにしても……驚くほどに魔物がいないわね」
ガーベラがパタパタと手で顔を仰ぎながら、口を開く。確かに、ガーベラの言う通りだ。アイリスも、そして、アスターとコルザも、それは感じ取っていた。
「昨日みたいに、少しくらいは出てくるかと思ったけど……その気配すらないもんな」
「あぁ。不気味なくらい、静かだ」
コルザの言葉にアスターが返す。瞬間、ピチャン、と洞窟の天井から滴った水の音が鮮明に聞こえる。その音がまさに、アスターの言葉を証明するようだった。
「すみません、皆さん……。私のせいで……」
アイリスが言うと、三人はバッとアイリスの方へ視線を向ける。
「アイリスちゃんのせいじゃないわ。私だって、あの男の子を放っておいたんだし」
「あぁ。俺もガーベラと同じ」
「俺は……」
「「困っている人を助けるのが、魔法警団の仕事」」
からかうように声を合わせたコルザとガーベラにアスターが、いや、と首を振る。アスターは自らの拳を握りしめ、小さく俯いた。
「俺は、多分……ローレルを助けてやりたいんだ。混碧ですべてを失ったあの少年を……」
目を見開いたのは、コルザとガーベラだった。つい数秒前のアスターを揶揄するような笑みを消し、真剣な表情でアイリスとアスターを見つめる。
「あの子、混碧の生き残りなのね……。どうりで……」
「あぁ。何が何でも生きてやるって感じだった……。あんな、村が壊滅した絶望の中でも、あの子だけは……」
コルザとガーベラは顔を見合わせる。
「ねぇ、やっぱり、アイリスちゃんのせいじゃないわ。私たちも、その、ローレルって子に会いたいと思っているのかも。あの子、とっても強い魔法使いになると思う」
ガーベラはニコリと微笑んだ。アイリスもその言葉に自然と笑みを浮かべる。
「私も、そう思います!」
少し体が楽になった四人は洞窟を出る。どこまで続くのかもわからないその道のりを黙々と歩いた。
魔物が出ないことが不気味だ、とアスターは言ったが、アイリスには幸いなことだ。こんな足元の悪い中で戦闘などしようものなら、足を滑らせて落ちてしまいそう。パラパラと落ちていく足元の小石を見つめながら、アイリスはそんなことを考えた。
「暑い……」
前を歩いていたコルザが口を開く。我慢も限界のようだ。
「ねぇ、次から、暑いって言ったら罰金にしない?」
同じように感じていたのか、ガーベラがややいら立ちを含んだ声で言う。それほどまでに、山は蒸し暑かった。
日は照っているが、その日差しはいつもと変わりない。時折、風も感じられる。
だが、異常だった。
普通であれば、その標高に比例して気温は下がっていくはず。それなのに、この山と言えば、上へ、上へと近づくほどに、まるで人を寄せ付けまいとするかのように気温が上がっていくのだ。心なしか、地面まで温まっているような気がする。太陽に近づいているから、そんな風に思うのだろうか。
それとも……。
「ドラゴンの噂を、嫌でも思い出す」
アスターが顎に伝う汗をぬぐって、深く息を吐いた。どうやら、アイリスと同じことを考えていたようだ。
「ドラゴン? やめてよ、それも罰金対象にするわよ」
ガーベラはアスターに冷たい視線を投げかける。
「悪い……。だが……考えずにはいられないんだよ。山から吹きだす、炎そのもの……」
アスターは天高くそびえるその山頂を仰ぐ。アイリスもつられて、逆光にそびえる、まるで切っ先のようなそれを見つめた。かかっている雲が太陽光を乱反射させ、怪しく朱に染まる。暗がりは風で流れ、たなびいた彩雲がまるで炎のように揺れ――アイリスは思わず息を飲んだ。
「アイリスちゃん?」
コルザに声をかけられ、ハッと意識を目の前に戻す。
ドラゴンなど、伝承の魔物……。アイリスは曖昧に微笑んで、なんでもない、と首を振った。




