伝承
そんなものは伝説だと思っていた。
――人々を滅びへと導く厄災。それが起きてしまったら成す術がないとまで言われる大自然災害『ドラゴン』。
これの厄介なところは、大自然災害でありながら、魔物の性質を持つというところだ。あくまでも、伝承でしかないが、この国のものなら、必ず一度は聞く話である。
『ドラゴンは、赤く燃え盛る炎そのものである。すなわち、これ、自然災害なり。
山の持つ多くの魔力を、山から吹きだす炎そのものに宿して動く。すなわち、これ、魔物なり。
一度動き出したらとどまることを知らず、すべてのものを焼き払う。人も、大地も関係なく滅し、最後には荒廃した大地と、多くの死だけが残るであろう』
この伝承が一体いつからあるのか、誰が作ったのか、そんなことは誰も知らない。だが、妙にリアルな表現が、この伝承に信憑性をもたらしていた。この国が出来て以来、その歴史を振り返ってもドラゴンの記載はなく、もはや伝説と化してはいるが、心の中で誰もが皆、そんな話を信じている。
それが、このタイミングで……。アイリスは口をつぐむ。
「まだ、決まったわけじゃない。あくまでも噂だ」
慌てたようにアスターが付け加える。アイリスも、そうですよね、と愛想笑いを浮かべたが、各地での魔物の暴走が多発しているという現実とは辻褄が合うような気がした。
山一つ分の魔力を持つドラゴンが現れたとなれば、その膨大な魔力を魔物が感知できないわけがない。人間よりも数百倍は敏感だと言われているのだから、各地で発生していることにもうなずける。
「そうだ、アイリス。ドラゴンの話はどこまで知っている?」
話題を少し明るい方向へ逸らそうとしているのか、アスターは、やや声のトーンを上げてアイリスに視線をやった。
「え? どこまでって……ドラゴンが現れたら、すべてを焼き尽くすっていうところまでですけど……」
アイリスはキョトンと首をかしげた。成す術がなく、焼き尽くされ、破壊の限りを尽くされて、すべてのものが滅んでしまう。そういう伝承で間違いないはずだ。目の前に座っていたアスターは珍しく子供じみた笑みを浮かべる。
「実は、その伝承に続きがあるって言ったら?」
「続き?」
アイリスはまたも目を丸くした。そんな話は聞いたことがない。てっきり、それで終わりだと思っていた。からかっているのかと思ったが、アスターの様子は真剣だった。決して嘘をつき、アイリスをだまそうとしているわけではないようだ。
「杖屋なら、知っておいたほうがいいんじゃないのか?」
「杖屋と何の関係が?」
アイリスはもったいぶるようなアスターの口調に、思わず身を乗り出す。まるで子供がおとぎ話の続きをせがむような表情だ。アイリスは無意識だが、そんなキラキラとした瞳を向けられたアスターはたまったものじゃない。分かったから落ち着いてくれ、とやんわりアイリスを諭して、話を続ける。
「実は、ある地域ではこう続くらしい」
『ドラゴンを静める者、これ、すなわち、杖を持つなり。
杖とは、これ、すなわちドラゴンのためだけに存在せし杖なりて、特別な力がなければ、扱うことすらできぬがゆえに、静める者を必要とせん。
静める者とは、これ、すなわち、杖のために存在せし者なりて、特別な力をもって生まれるがゆえに、ドラゴンが現れるとき、ともに姿を現すだろう』
アイリスは、ドクン、と胸が高鳴るのを感じた。
どうにもできないと思っていたドラゴンの伝承に、まさか、こんな続きがあるなんて。しかも、特別な杖が登場するのだ。確かに、杖屋として、今までこの話を知らなかったとは、なんたる失態。だが、もしもドラゴンが本当に存在するのなら、その杖も存在するということである。ぜひ、死ぬまでに一度はお目にかかりたい。
アイリスは、ついアスターを見つめる。
「う……。頼むから、そんな目で見るな……」
アスターはアイリスの輝きを放った瞳を直視しないように、自らの目の前に片手をかざして、ふいと顔をそむけた。
「す、すみません……。つい……」
慌ててうつむいたアイリスに、アスターはふっと笑みをこぼした。
「それで、その杖がどんなものかは、わかっているんですか?」
「ドラゴンを静める者より、杖が気になるとは。さすがは杖屋だな」
アスターに言われて、アイリスは確かに、と苦笑した。魔法使いならば、普通はドラゴンを静める者、それほどの魔法使いがどのような人物か気になるところだろう。アイリスも、杖屋である前に魔法使いのはずだが、少々特殊らしい。どんなすごい魔法使いでも、アイリスの前では、杖に負けてしまうようだ。
「まぁ、聞かれてもドラゴンを静める者が何者かはわからないから、ちょうどよかったが」
アスターはクスリと微笑んで続ける。
「杖については、いくつか噂がある。例えば……ただの木の棒、とかな」
「ただの木の棒……」
アイリスはその言葉にハッと顔を上げた。




